ウニとプリン

板大根

ウニとプリン


 ある土曜日の昼前、私は軽自動車を走らせていた。

向かっているのは発明家の木下博士の自宅だ。 私と木下博士は駅近くのとある居酒屋でたまたま知り合った。 木下博士は厚い瓶底メガネにぼさぼさの白髪で、年は恐らく50代半ばといった、いかにも博士だろうという風貌をしていた。

 そんな人物が自分の隣に座って、彼の胡散臭い発明について熱く語り始めたとしたら、普通だったら取り合わない。 もしくは黙ってその場から離れるだろう。

しかし私が彼と出会ったのは居酒屋。

私は独りで飲んでいた。

そのときの私はすでにビールを何杯か飲み干した後で、酔っていたのであった。

私は、隣に座ってきた博士の話を熱心に聞いてしまい、そのまま意気投合し、それから1年近く彼との親交が続いている。

私は30代後半の独身男性であり、特に趣味も無かったので、胡散臭い博士に付き合っている時間は人よりもあると思う。


 雑木林が生い茂るデコボコな道を抜けると、博士の家が見えた。

家の周辺だけ、綺麗に雑木林が刈り取られている。 ぽつんとした空間に、ぽつんと博士の家だけがあった。

 彼の家の見た目自体はごく一般的であった。 外壁がやや灰色がかった白の、二階建ての一軒家だ。 最も、周りを雑木林に囲まれた、他に建物が何一つない場所に建つ一軒家に住むというのはあまり一般的ではない。


 家の近くに車を停め、インターホンを鳴らした。

「木下博士。 柴田です。 呼ばれたんで来ましたよ」と言うと、インターホン越しに、

「ォオ~柴田くぅ~ん! 待ってたよぉ~ 今開けるからねぇ~」

と素っ頓狂だが嬉しそうな声が聞こえてきた。

ドアの向こうからどたどたと足音が聞こえたかと思うと、目の前のドアがガチャリと開いた。

「柴田くぅ~ん!!」 白衣姿の木下博士が立っていた。 皺だらけの顔に、子供のような笑みを浮かべている。

「どうも、博士」と私が挨拶をした直後、博士の顔から笑みが消え、焦りの表情になった。

「アッ! 柴田くん!! そういえば早くドア閉めてッ!!」

博士が叫んだのと同時に、黒い影が玄関の開いている隙間にめがけて飛び込んできた。

黒い影はそのまま外に飛び出そうとしたが、私が素早く中に入りドアを閉めたため、黒い影はドアの目の前でピタリと動きを止めた。

「茶々丸ぅ~ 外に出ようとしちゃダメだよぉ~」

黒い影の正体は猫であった。 博士の飼い猫の茶々丸は、真夜中みたいな黒猫であった。

「茶々丸くんになにかしたんですか」と私が聞くと、

「ぅ~ん……実はさっき、キャットフードと間違えてドッグフードをあげちゃって… それからゴキゲン斜めなんだよねぇ~」と、がっくりとした口調で答えた。

「ふーん。 あれ? でも博士の家には犬はいませんよね? 猫は茶々丸くんがいるけど」

「あぁ、なんでドッグフードがあるのかってことね。 僕が自分で食べる用に買ってきたんだよ。 こないだホームセンターでね」

「そうですか」


 私たちはリビングにあるダイニングテーブルを二人で挟む形に座った。

博士のリビングは小綺麗であった。 時計やソファー、その他日用品が、すっぽりとあるべき場所に収まっている。

私は発明家の家というのは、胡散臭い発明品や、難解な文字がびっしりと書き込まれているレポート用紙で、身体を横にする場所も無いほど埋め尽くされているものだと思っていた。

以前、初めて博士の家に訪れた際にそのことを口に出すと、「散らかってると茶々丸がケガするかもでしょ?」と、博士は答えた。

「で、今日は何の用でわざわざ呼び出したんですか」

私がそう言うと、博士はよくぞ聞いてくれましたと嬉しそうな声を上げる。

博士は椅子を立ち上がったかと思うと、テーブル脇にあった木製の引き出しから何かを取り出し、また椅子に戻ってきた。

「これだよ! これを見せたかったんだ!!」

そう言いながら、博士は私にそれを見せた。

茶色いガラスの小瓶であった。 その中に半分ほど液体が入っている。

「これは…何かの薬ですか?」

そう聞くと、博士は難しい顔をした。

「う~ん…… 薬というよりかは…調味料と言ったほうがいいかもしれないね……」

「へぇ どんな味がするんです?」

「いや、これ自体は無味だ。 こいつは既存の食品と組み合わせることで効果を発揮するんだ」

「既存の食品って…まさかドッグフードじゃないですよね?」

私は玄関での会話を思い出しながら聞いた。

「ふふっ、ドッグフードではないよ」 博士はそう言いながら、再び立ち上がって今度は冷蔵庫へと向かった。

博士が冷蔵庫の中身を物色しているのを見ながら私は、少なくともドッグフードを食べさせられることはないのだ。と安心した。

博士はプリンとスプーンを手にしながら戻ってきた。

プリンはプラスチックの容器に入っていて、恐らくスーパーマーケットにて安価で入手できる、三つ並んで一セットのものらしかった。

博士はプリンと小瓶の蓋を開け、瓶の液体を二、三滴プリンに垂らした。

博士は頷くと、私にプリンとスプーンを差し出した。

「ささ! 柴田くん! どうぞ召し上がって!!」

「味の説明とか無いんですか?」

「いやぁ~ 何も聞かずに食べて驚いてほしいんだけどなぁ~」

「はぁ……変な味じゃないですよね」

「その点については大丈夫。 君も一度は食べたことがある味だよ」

博士は噓を言っている様子ではなかったため、私はスプーンでプリンを一すくいし、そのまま口に運んだ。

口の中に広がったのは磯の香であった。 私が食べているのはプリンだろう?

舌にクリーミーな食感が伝わる。 これはまるで――

「どうだい? ウニの味がするでしょ」

驚いている私を見ながら、にやにやと博士が言った。

口の中のウニ……いやプリンを飲み込んでから私は答えた。

「えぇ…… しかもただのウニじゃない 高級感のある味がします」

私は何年か前、会社のお偉い人に、回転しない寿司屋に連れて行ってもらったときのことを思い出していた。 今食べたウニ……プリンはそのとき食べたウニと同等、いやそれ以上の味がした。

「ふふふ そうだろうそうだろぉ~」 発明品が認められたのが余程嬉しかったのか、博士の声は弾むようだった。

「プリンに醬油をかけるとウニの味になるって噂があるでしょ? それを参考にして作ったんだよ」

「ほぉ~ しかし凄いですね 味どころか食感まで完全にウニでしたよ」

私がそう言うと、博士は嬉しそうにふふふと笑う。

私はふと、「こんなものがあれば寿司屋は大儲けだな」と言葉を洩らした。

それを聞いて博士の目の色が変わった。

「柴田くぅ~ん…… なんで僕がこの調味料を作ったのか分かるかい?」

「えっ 分かんないです。 何でですか?」

「君が今言ったとおりのことだよ。 寿司屋を儲けさせるために作った」

私はいまいちピンとこなかった。

博士は続ける 「この調味料、もともと2Lほどあったんだが、僕はそのほとんどをある大手回転寿司チェーンに提供したんだ。 これを加えたプリンに着色料でもつけておけば高級ウニの出来上がりでしょ? それでお金が浮けば僕にも報酬が入ってくるってことさ」

「そんなにお金好きでしたっけ?」

「いやぁ~ 生活と発明に困らない程度のお金はあるけどさ たまには旅行にでも行こうと思ってね 茶々丸も連れて」

いつからそこにいたのだろうか、茶々丸はソファーの上にちょこんと座っていて、にゃおんと鳴いた。

「旅費を貯めようと思ってね」

「ふーん」


時計の針はちょうど12時を指していた。

「そうだ! 柴田くん これからご飯でも食べに行かないかい?」

「いいですよ ちょうどお昼だし」

博士は申し訳なさそうに、

「こっから最寄りの回転寿司でもいいかな?」と聞いた。

「もしかしてそこに例の調味料を提供したんですか?」

「うん ちょうど一週間前にね。 だからそこの店長に売り上げがどう変化したとか、色々聞きに行きたいんだ」

「ふーん まぁ別に大丈夫ですよ」

私達は茶々丸が外に逃げ出さないように、素早く玄関から外に出た。

どうやら回転寿司までは博士が運転してくれるようだったので、私は博士の車の助手席に乗り込んだ。

博士の車はやや古めの軽自動車だった。 博士は運転席に乗り込みながら、

「ホントはロードスターみたいなカッコいい車に乗りたいねぇ……」

と呟いていた。


デコボコな雑木林の道を抜けさえすれば、目的地に至るまでの道のりは大したものではなかった。

ただ、博士が車内でかけた音楽には参った。

博士がCDをかけたかと思うと、

「茶々丸~♪ 私の愛しの茶々丸ゥ~♪」

と、無茶苦茶なアコースティックギターの音と博士の歌声がスピーカーから流れ始めた。

「なんですかこれは」

と聞くと、博士は得意げな顔で、

「僕が作詞作曲した歌だよ 録音してCDに取り込んだんだ」と言った。

スピーカーからは「君の瞳~♫まるで琥珀のようだよぉ~♪」と、聴きたくもない歌が聞こえてくる。

私はCDがいくつか並んでいた白い籠から、レインボーのアルバムを取り出すと、無言で博士の自作CDと入れ替えた。

スピーカーからは「Man On The Silver Mountain」が流れ始めた。


私達が回転寿司に着くと、土曜日の昼間ということもあり、店の中は人が多かった。

受付の女性に、現在は満席だと言われたので、私達は整理券を渡され30分ほど待つことになった。

待ち時間の間、私と博士はコンピューターゲームの話をしていた。

以前、実家で掃除の手伝いをしていたところ、ファミリーコンピューターを押し入れで発見した。 私は捨てるのも面倒だったので、同じく押し入れにあったいくつかのゲームソフトと共に、博士にプレゼントした。

博士はそれをとても気に入ったようで、毎日3時間ほどプレイしているらしい。

博士曰く、ゲームは脳の気分転換に丁度いい。とのことだ。

博士の言い分は、ゲームのやりすぎを親に𠮟られたときの子供の言い訳みたいに感じられて、私は少し可笑しく思った。


私が握っていた整理券の番号が呼ばれ、私達はテーブルに案内された。

私から見て前のテーブルには、サラリーマン風の中年男が3人座っていて、後ろのテーブルには家族連れ―私と同じくらいの歳であろう夫婦と、小さい男の子と女の子が座っていた。

少し見ただけでは、男の子と女の子のどちらが年上で年下なのかまでは分からなかった。

目の前に座った博士が、私にお茶を入れてくれた。

「柴田くんはさ 何が食べたい?」

「さぁ……鯛とか?」

私のつまらないダジャレにも、博士はふふふと笑った。

「あっ! いくらだ!」

博士はそう言うと、回転レーンからいくらの軍艦巻きを取った。

「あぁ~ ぼくのイクラがぁ」後ろの席で男の子が残念そうな声で言った。

「残念ながら少年 回転寿司とはそういうものだよ」

いくらの軍艦を頬張りながら、博士はニヤリと呟いた。

私はテーブルに備え付けのタブレット端末で、カレイの縁側を注文した。

私が回転寿司に来ることは、小学生以来のことであったため、タブレット端末で注文をすることなどは当然知らなかった。 慣れない端末の操作をしながら私は、デジタル化の時代なんだな、と思った。


私がほたて貝柱を食べているときに、後ろから男の子とその父親の声が聞こえてきた。

「ねぇお父さん~ デザートにプリン食べたいのにないよ~」

「ん~? あれ? ホントだ? プリンは在庫切れってなってるな なんでだろね」

ちょうど女性店員が、家族のテーブルの前を横切ろうとしたので、父親は彼女を呼び止めて質問した。

「あの~ プリンが在庫切れってなってるんですけど……」

「申し訳ございません。 プリンは一週間ほど前から品切れの状態になることが多くなっていまして……」

彼女がそう言うと、男の子は不満げに「え~」と言った。

そんな男の子に対し、「そんなことでブーブー言わないの!」と女の子が叱った。

なるほど、彼女が姉で、男の子は弟だな。と私は確信した。

「え~プリン無いの~?」 博士が嘆いた。

私は「博士があの調味料を提供したから、ウニの材料として大量にプリンが使われてるんじゃないですか?」と単刀直入に思ったことを口に出した。

「ア…… そ、そうかも……」 博士はバツが悪そうだ。

「ま、まぁとにかくお会計して店長に話を聞きに行こう」

博士はそう言いながら、皿に残っていた炙りマヨサーモンを頬張った。

会計のため、私達はレジへと向かった。

私達の前のテーブルに座っていた中年男3人組も、同じタイミングで会計をするようだった。

私達と彼らは近くを歩いていたので、3人の会話は私の耳に入ってきた。

「ここのウニ、なかなか旨かったよ」と男の一人が言うと

もう一人の男は「でも250円の高いやつだろ。 値段で旨く感じてるんじゃないか?」

とちょっと皮肉っぽく言った。

「そうかな…… そうかも……」

男達はそれきりウニの話はしなかった。


レジの順番を待っているときに、博士が「あ」と声をあげた。

博士の視線の先には、人がよさそうな小太りの中年男がいた。

博士は彼のほうに駆け寄ると、「こんにちは店長」と挨拶をした。

「ああ どうも木下さん。 例の件についてのお話ですね」

小太りの店長はにこやかにそう言った。


私達は応接室のような場所に案内された。

私達が椅子に座るときに、店長は私に視線を向け、

「失礼ですがそちらの方は……」と言った。

「私の助手です」

博士は噓をついた。

「すいません。 そうでしたか。 それでは木下さん、早速本題に入りたいのですが……」

店長はそこで真剣な面持ちになった。

「例の調味料、一週間ほど使わせてもらいましたが、ハッキリ言って店の稼ぎにほとんど影響はありませんでした」

博士は驚いた表情をする。

店長は続ける。

「あの調味料を使ってウニの仕入れ値を安くしても、プリンに着色料をつけて形をウニっぽくするという面倒な工程が増えてしまって……結果的に仕事の効率が悪くなってしまうんです。 それにデザートメニューのプリンがすぐに在庫切れになってしまうし……プリンの売り上げが減少してしまって……」

私は「プリンを多めに仕入れすれば在庫切れにはなりませんよね?」と指摘した。

「いやぁ~ あまり目立つようなことはしたくないんですよ。 プリンを多めに仕入れたことで怪しまれて、我々がウニの代わりにプリンを客に出しているのが外部に漏れたら……  そもそもこの一週間だってたまたまウニが不漁だったからあの調味料を使えたようなものだし……」

なるほど。 それもそうだと私は思った。

店長は人がよさそうな顔で、精一杯の真剣な表情を作り、言った。

「プリンをウニとして提供していることは、この店でも一部の人間しか知りません パートやアルバイトの店員などは何も知らずに働いています。 全ては情報の流出を防ぐためです。 木下さん達もこのことはどうか他言無用にお願いします」

言い終わると、店長は博士に茶色い封筒を手渡した。

「結果的にあまりいい結果にはなりませんでしたが…… これはせめてものお礼です。」

茫然自失の表情の博士はそれを受け取った。


応接室を出ようとしたときに、私は店長に聞いた。

「あのウニプリンの味は高級店と比べても遜色ないものですよね。 味が評判になって売り上げが伸びたりはしなかったんですか?」

店長はにっこりと笑って言った。

「誰もね、回転寿司に味なんて求めてないんですよ」


博士は魂が抜けたような顔で、車を運転していた。

赤信号で止まったときに、私は

「いやぁ~ 残念でしたけど貰った封筒に3万くらいは入ってるんじゃないですか」

と慰めるように言った。

博士が封筒の中身を取り出すと、

中に入っていたのは回転寿司の割引チケットであった。


博士の家に戻ると、博士はぐったりとソファーに座り込んだ。

「そうだ柴田くん 冷蔵庫にプリンが二つ余ってるから一緒に食べない?」

博士がそう言ったので、私は冷蔵庫からプリンを取り出して、スプーンと一緒に彼に渡してやった。

博士はプリンを一口食べると

「プリンの味だね」

と言った。

ダイニングテーブルに座って、私もプリンを一口食べた。

ちゃんとプリンの味がした。

いつの間にか茶々丸が、博士の膝の上にちょこんと乗っている。

茶々丸はにゃおんと鳴いた。

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ウニとプリン 板大根 @ita_daikon

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