青い

根耒芽我

青い

酷く空っぽなものを見たような気がする。


私は、

汚れてしまったのだと

思い知らされる。









母の様子が変だと思っていた。

在宅でも仕事をしていた母が自分のパソコンに書き残した文章は

それだけでは何のことなのかわからなかった。


私が大学に入学して少ししてから、

母はそれまで契約社員として働いていた会社から、契約解除を言い渡された。


技術者として働いてきた母は、その経歴を生かして別の仕事を探すのだと言って笑っていたが、求人に何度も応募しても、なかなか採用されなかった。


そして、母が次に選んだのは

派遣社員として事務職をすることだった。


「あんたたち二人とも何とか大学卒業させないといけないからさ」

と、私と兄に笑いながら話していた母は

離職期間を長引かせないために、フルタイムでの技術職を諦めたのだ。


時短パートの低賃金職だったが「コンビニのバイトよりましだと思うから」と言って働き始めた。


派遣先は大企業と呼ばれる会社の地方研究所での事務業務だったのだが、時短では済まないような作業量の事務を請け負っていたようで

仕事を家に持ち帰っている姿もしばしば見受けられた。


それが半年を過ぎた頃、

帰宅した母は深いため息をついていた。


「もう一人、事務の仕事する人が派遣で来ることになったみたいだけど、私より時給高いんだって」


なぜ母が他人の時給の情報を知っているのかは、教えてくれなかった。


それからしばらくしてから、新しい派遣さんが来たらしい。

「…私よりできない人だった。…それなのに私より時給高いってどういうこと?」

ぶつぶつと文句を言っている母に、どう言葉をかけていいのかわからなかった。


その新しい派遣さんとは、表向きうまくやっているようだったが

母は思うところがいろいろとあったようで

口には出さないが、時折落とすため息が増えているのが気になった、


母が働き始めて一年ほどたった頃。

私と兄がバイトの時給が上がった話で盛り上がり

先月のバイト代を披露しあっていた時の事。


「…あんたたち、そんなにもらってるの?」


ふと話に入ってきた母の一言に、兄と私は無言で顔を見合わせた。

時短とは言え、週4で勤務している母が

授業終わりの隙間時間でちょこちょことバイトしているだけの私達より収入が低いはずがない。と思っていたのだが


母が「そんなに」と言うわけだ。と思う程度の収入しか、母は得られていなかった。



兄と二人、

「なんでそんなに働いているのに、その収入しかもらえないのか?おかしいって訴えていいと思う」と言ってみたものの


「お給料の文句って、言えないでしょ?」

と、母は苦い顔をして、仕方なく笑うだけだった。



そしてある日、

「もう疲れた」とだけ、自宅のメモに書き残して

母がいなくなった。



最初にそのメモを見つけた私が、慌てて兄と父に連絡し。

とにかく家で待つように言われた私が、母の持ち物をいろいろと探っていたのだ。


母は、技術者のくせに自身のセキュリティにはちょっと無頓着な部分があって、パスワードの類をみんな一緒にしてしまうのを知っていた私は

母のパソコンのパスワードを一発で当ててしまった。


だけど、

書いてあることの意味は全く分からなかった。


そんなことをしているうちに

父は会社を早退して帰ってきて

兄はバイトを終わらせて走って帰ってきた。


メモを見せ、母のスマホにみんなでメッセージを入れた。

ふと、何かの音を感じ、三人で探すと

母のスマホだけがキッチンに残されていた。


「…連絡つかないってことか」

父がいよいよ険しい顔をし、顎に手を当て考え込んだ時だった。



「ただいまぁ。。。」


母ののんきな声が玄関から聞こえてきた。



三人であわてて玄関に駆け付けると、母が驚く。

「えぇ?どうしたの?」

「どうしたのじゃないよ!」


と、メモを母の眼前に突きつける。


「うん。疲れたからね」

「スマホもおいてっちゃって、何の連絡もなく家を空けるなんて。今までしたことなかったじゃん!心配したんだからね!」

「えぇ?メッセージ入れたよ?体が限界だからマッサージ行ってくるって…あっ!」

母はそこで気がついたようにバッグの中を探し始めた。

「あれ?スマホ…」

「キッチンに置いてあったよ」

兄がスマホを差し出すと、母は忘れて言ったことすら気づいていなかったと言いながらそれを受け取る。


「…あ。ごめん。送信ボタン押してなかった」

「…はぁ。…じゃあまぁ、ただの行き違いってことか。そんなことならよかった」

父はそういうと、ネクタイを緩めながらリビングに戻っていく。


「こいつ、めっちゃ心配して、オレとオヤジに『どうしよう?ママがいなくなっちゃった!』って電話してきたんだよ。…ただのマッサージならよかったけどさ」

兄も頭を掻きながら自分の部屋に戻っていく。


「あ…ごめんね」

「ううん。大丈夫。よかった。…マッサージ、気持ちよかった?」

「うん。生き返った」

母はごめんね。を何度か言いながら、靴を脱いでリビングに向かった。


結局その日は、せっかく家族全員そろったんだし。と

近所のファミレスで夕食をとることにした。


母は「家族みんなそろって外食なんて久しぶりね」と嬉しそうだった。


それから数日して、

たまたま母と二人の時間があったので聞いてみた。


母のパソコンに書かれていた文章の意味を。


「…あんたさ。なんとかっていう、ロックバンド好きでしょ?」

母は私に笑顔を向けてきた。

私の最推しがそのバンドのボーカルで、何度かその良さを母に語って聞かせたことがあった。そう言えば先週もYouTubeをみながら歌詞の良さを語った気が…


「在宅で仕事しながら、どうしても集中力が上がらないから、音楽かけてたらその曲が出てきてね。ふと、歌詞をきいちゃったのよ。いつもは聞き流しているだけなのにね。…歌詞を聞いたら、急に。…あんたには悪いんだけど、これは若い人が聞く音楽なんだなぁって思っちゃって」


「どういうこと?」

「あんたはまだわからなくていいと思うのよ?…年取った時に、それがわかっちゃうのかもしれないしね。」

母はまたあの、仕方なさそうな顔をした。


「私の後から入った派遣さんね。その人も若くて、あんたの好きなバンドのギターの人が好きなんだって。…ウチの娘が好きみたいです。って言ったら、喜んでた。推しトークしたいって。」

「へぇ。いい人なんだね」

「…そうね。いい人なのかも」


それから、母は言った。


「私だって、もう少し若かったら。…もうちょっとお給料、もらえたのかもね」

「え?」

「覚えておきなさい。…どんなに能力があっても、どんなに働く意欲があっても、どんなにきれいごとを並べても、結局ね。会社は年が若くて『できるだけ長く働いてくれる人』に期待するのよ。そういう人が欲しいの。仕事ができても年を取ってあと何年もしないうちに定年の年齢になるような人にお金を使いたくないのよ」

母は手元にあったコーヒーを一気に飲み干してから言った。


「だからね。あなたは、自分が仕事をしなくてもいいぐらい裕福な人と結婚するか、自分が若い時に荒稼ぎして資産を作るか、どんなに子供がかわいくても将来のために働き続けるか。どれかにしておきなさい。」

「ママは私が小学生になるまで家にいてくれたじゃん」

「…そうね」

「私、それでよかったと思ってるけど?」

「…そう。」


母はもう、それ以上話さなかった。





数か月後

母は「仕事がフルタイムになった」と、少し嬉しそうに報告してきた。

母の後に入った派遣さんが、どういうわけかいなくなり、

その肩代わりをするという名目で母がフルタイム勤務となったらしい。

もちろん、待遇もよくなったんだとか。


母は相変わらず忙しそうではあったが、ため息の数は減ったように思えた。









「ねぇ。派遣さん、クビになったの?部長のお気に入りだったのに」

「あぁ、秘書経験のあったあの人でしょう?違うんだって。なんか、ある日突然行方不明になったらしくて」

「えぇ?行方不明?」

「家族から大事にしないでくれって要請があったらしくて、派遣会社とウチで内密にってことで扱ってたみたいだけど…。でもね。警察、部長に話を聞きに来たらしいよ?」

「えぇ?マジで?」

「それがさ、部長は出張でいない。もう一人の派遣さんは在宅勤務のときに、出社してたらしくて。…会社にパソコンも荷物も置いたまま、いなくなってたんだって」

「パソコンも荷物も置いてって…スマホとかは?」

「スマホも置いたまま。…だからね。何か用事があってちょっと外に出ただけなのかなぁ?って雰囲気で忽然といなくなってたってことなのよ。…で、部長ともう一人の派遣さんも出社してないから、いなくなった時の状況を誰も知らないのよねぇ」

「なにそれ、ホラーじゃん」

「そうなのよ。ホラーなのよ。夜間警備の人が見回りに来たんだけど。ほら。ウチの会社ってフルフレックスだから、たまーに深夜勤務してる人もいるじゃない?だから、休憩に行ってるの人なのかなぁ?って思って放置してたらしくて。…だから、家族のほうから『会社から帰宅してないんだけど』って翌日の昼ぐらいに連絡が来るまで誰も気がつかなかったってことなのよ」

「えぇ?部長は次の日出社してなかったの?」

「うん、在宅にしてたって。もう一人の派遣さんは別の部屋で仕事してて、パソコンが置いてあったからどこかにはいるんだろうけど姿は見てない。って言ってたらしいよ」

「やだやだ。どうしちゃったんだろうね?」

「さぁ?…で、派遣会社とウチで抜けた穴をどうするか。って話になって。新しく求人だすか、もう一人の派遣さんに頑張ってもらうか…って話になった時に、派遣会社のほうから『本当はフルタイム勤務を希望されていた方だから、もう一人の方にがんばってもらう方向でどうでしょう?』って申し出があったらしくて。…結局ほら、時短で二人雇うより、一人に今より長い時間頑張ってもらう方がコスト安く済むわけでしょう?で、部長もそういうことなら。って」

「結局コストかぁ。まぁ。あの派遣さん、仕事できる人だからいいんじゃない?」

「部長は若い子がよかったみたいだけどねぇ。」



「あの。…ちょっと、聞きたいんだけど」

「はい。どうしました?部長」

「オレの机に、なんか、入ってるんだけど」

「…なんですか?」

「いや、あの、なんか、ナイフ」

「ん?先月、海外出張でお土産にパイを買ってきたからみんなで切り分けよう。って使ってらっしゃったナイフじゃないですか?部長の私物でしたでしょう?」

「いや。…実は先週、なくなってたんだよね。でも。今見たらあって」

「なくなってた?…でも、今そこにおありなんでしょう?」

「…うん。…うん。」

「じゃあ、部長が見落としてらしただけで、ずっとそこにあったんじゃないですか?」


私はにっこりと笑って見せ、またパソコンに視線を落とした。

仕事は、山ほどあるのだ。

些末なことに、関わっている暇はない。






私は、

汚れてしまったのだと




あの空っぽな歌を

小さく小さく口ずさみながら、指先はキーボードをたたく。


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青い 根耒芽我 @megane-suki

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