第46話 俺だって

 「あ?」


 この日、2度目の会合。


 俺は、兵頭が鎮座するブルーシートへと戻って来た。


 合わせただけでも分かる、刺すような視線。一触即発という四字熟語がこの状況に

ぴったりと当てはまる。


 「何しに来たんだ? 土下座でもするつもりか」


 「違う」


 その一触即発の不確定を受け入れる準備は、もうできていた。


 「土下座なんかしない」


 こいつらの目論見を正面から破壊するために、俺はここに戻って来た。


 「返せよ。太鼓」


 「ふん、まあ、バレるわな」


 兵頭は一抹の驚きこそ見せたものの、俺の意識を軽んじるように笑った。


 そして、こいつの次の一言が、俺を突き動かした。


 「お前の記憶、今どうなってんの? 大門耕平がオタクみたいな踊りをしてるよう

に見えるんだろ?」


 走った。


 足取りが軽かった。


 正面にある兵頭の身体を横にずらし、一目散にブルーシートへと駆け込んだ…のも

束の間、後ろから、乱暴に襟首を掴まれ、前方へ叩きつけられた。


 「お前、何しやがんだ? おい」


 兵頭はすかさず、倒れ込んだ俺の背中に近づき、髪を掴み、再び地面に叩きつけ

た。額から着地し、痛みと更なる恐怖が走る。


 『集合時間、5分前となりました。生徒は各所定の場所に集合してください』


 アナウンスが、ここにはもう誰も来ないことを無感動に告げる。後戻りはできない

ことを知る。


 もう、どうでもいい。


 「うるせえ」


 「あ?」


 抵抗できない状態で、俺は、兵頭を睨み返した。


 「先輩のこと、何にも知らないくせに」


 声を出すと、止まらなかった。


 「お前みたいな強い人間には、俺たちの傷なんて分からないんだよ」


 「なんだと?」


 立ち上がったが胸倉を掴まれ、再び自由を奪われる。


 「何にも知らないくせに、何でも持ってるくせに、お前らはそうやって、遊び感覚

で、他人のこと弄んで、強者の愉悦を感じて」


 掴む手を、力強く振りほどく。


 「俺のこと、卑怯者って言ったよな。はっきり反論してやる。卑怯者は、お前だ! 

兵頭勝治!」


 言った。


 ついに、言ってしまった。


 勢いが止まらない。


 次は俺から、兵頭を掴んでしまった。


 「俺が喧嘩弱いってことを知りながら、堂々とやろうなんて提案する。もし、俺の

方が喧嘩が強かったら、お前は俺に同じことが言えるのかよ!」


 「うるせえ!」


 掴む手を、軽々と振りほどかれ、腹を殴られた。


 「てめえ、黙って聞いてやってりゃ、調子に乗りやがって…。ふざけんなよ! こ

のビビりが! いつもみてえにコソコソ泣けや!」


 うずくまる俺の左腕あたりをボールのように何度も蹴る。重く、固い蹴りが、固ま

った俺の決意を砕こうとする。


 痛い。


 今にもやめてくれと、心が挫けそうになる。


しかし、俺に対して兵頭がここまで動揺するのは初めてだ。逆らわれたのがそんなに

気に入らなかったのか。


 「おい! 輔! いるんだろ!」


 「…なに?」


 「やっぱりな! お前は1人じゃ何もできねえんだよ! いざとなったらこいつに

止めてもらおうと思ったんだろ! ああ!? 女に助けてもらうなんて情けねえな

ぁ! おい!」


 ぐつぐつと、自分の中身がマグマのように熱くなる感覚を覚えた。


 涙が出る。


 「泣いてんじゃねえか! 今なら土下座で許してやるよ」


 降りかかる兵頭の罵声と矯正が、さらに俺を熱くする。


 「ほら、早く土下座しろよ…」


 「うああああああああああああああああああああ!!!!!」


 俺は、立ち上がり、そのまま兵頭へと捨て身の突進を繰り出した。


 強くぶつかりはしなかったものの、体操服を強く掴んでいたため、前進する勢いのまま、兵頭は俺もろとも倒れ込んだ。


 今の俺の顔は酷いだろう。潰れた果物みたいにぐちゃぐちゃで、見っともなかった

だろう。


 でも、そんなことは、どうでもよかった。


 「なんでだよ! なんでこんなことするんだよ!」


 「ああ?」


 さすがの兵頭も俺の暴走に動揺する。


 「俺は! 頑張ってるのに! 俺だって! 誰かに認められたいのに! なんでお

前はいっつも、いっつもいっつもいっつも!!! 俺のことを邪魔するんだよ!!」


 駄々をこねる小学生のように、泣きわめいてしまった。


 輔にも見られているのに、恥ずかしいはずなのに、むしろ開放的でやめられなくな

っていた。


 長年、遠慮で堰き止めていた感情が爆発する。


 あとのことなんて、何も考えていなかった。


 「うるせえっ!」


 兵頭に無理やり引きはがされる。


再び掴みかかる。


 何度投げられても、再びしがみつく。そうしていないと、溢れ出す感情で身体の内

側が破裂してしまいそうだった。


 体力の限界で冷静さを取り戻した。我に返った途端、肺が潰れそうな感覚に苦し

み、俺は膝間づいた。蹴られたところもズキズキと、痛いなんてものじゃない。


 一方の兵頭は、少し呼吸が乱れているだけだった。その事実にさえも苛立ってしま

う。敗北感を感じ、悔しくなる。


 「お前…、いい加減にしろよ。クソっ!」


 上から降り注ぐ悪態。もう、立ち向かう気力なかった。


 「ビビりのくせに、こんな時だけ度胸みせやがって…、勝手にしろ。…俺だっ

て…」


 その言葉から、数秒の沈黙が続いた。


 「新太…! 新太…!」


 輔の声が聞こえる。聞き慣れた声がやけに遠い。触れられた手の感触がまるでな

い。視界も薄っすらと不明瞭で、まるで夢でも見ているような酩酊を感じる。


 白んでいく感覚。眠りの底に落ちていく自我。


 …。


 大門先輩。


 「た…すく…、た、太鼓…、出してくれ…」


 峰を嫌う人間が、峰と親しい人間の得になるようなことはしないかもしれない。で

も、ここで掘り返さなければ、ダメなんだ。


 「…分かったよ」


 意外にも、輔は承諾した。


 その言葉で、感じ取れる世界のすべてが完全に真っ暗になった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る