第22話 峰一縷の記憶


 ゆらゆらと揺れる夕暮れの景色。


 土屋君たちが載りこんだ電車には乗らず、一本遅れのものに乗った。


 分かんないよ。


 言ってくれないと、分かんないから。


 こんなことを思うことすら傲慢なのかもしれない。


 私は、土屋君にとって大きな人物だと思っていた。思ってしまっていた。間宮輔

や、和田果子よりも上だと、心のどこかで勘違いして舞い上がっていた。


 ふざけてばかりで頭の悪い私だから、自分の事ばかりで精いっぱいな私だから、誰

も本当の味方にはなってくれなかった。


 『峰ちゃんの制服盗ったの誰?』


 中学2年の時、体操服を盗られた。


 女子たちが着替えた後の教室に、男子たちが3人入り込んだ。誰かに言わなきゃ。

先生、廊下を歩いている女子、同じクラスの男子。


 怖くて動けなかった。ただ、見ていることしかできなかった。


 見ていると、女子がいた。クラスの中でも自由に発言できる、本当の意味で活発な

女の子。私みたいに大声を出してふざけなくても面白いと思われる女の子。不真面目

で、服装も着崩して、先生にも逆らって、誰とでも口喧嘩のできる女の子。


 彼女のグループも教室にいた。このまま、何をするんだろう。


 見てしまったことを後悔した。


 男子の1人が、私のカバンの中に手を突っ込んだ。女子とは違う、男子の硬そうな

手は、獣のようで、凄まじく怖かった。


 女子たちが、目を細めて笑った。『大丈夫なの?』と他人事のように笑った。


 その場に立っていられなくなる。口を両手で抑えて、悲鳴をあげたくなるのを必死

にこらえる。


 引っ張り出された制服、スカート。私の私物。弄ぶ男子たち。


 『あいつ、頭はおかしいけど顔は可愛いもんな』


 顔に押し当て、『いい匂いだぜ』とふざけ調子で笑う。こちらからも聞こえるくら

い大きな呼吸でそのスカートを嗅いだ。


 息が苦しくなった。うっ、うっ、と嗚咽が漏れ、涙がこぼれだした。


 慌てて保健室に駆け込んだ。


 先生は事情を聞かずに、泣き止むまで背中をさすってくれた。


 その後は、私だけ体操服で授業を受けた。


恥ずかしくて、帰りたかった。


でも、帰ったとして、事情が親に知れるのも嫌だった。病気で入院中のお父さんに迷

惑をかけたくなかった。お父さんのお見舞いやパートと家事に追われるお母さんの負

担になりたくなかった。


『早く言わないと帰れないよ~。部活行けないよ~。私だってこれから仕事あるんだ

から』


 担任の先生は、面倒だと言わんばかりにあくびを掻いた。


 『峰さんが無くしたんじゃない?』


 『峰さんの事だから間違えて捨てたとか?』


 『ははっ、それただのバカじゃん』


 誰も本気で応えようとしてくれない。主犯格の男子と目が合う。


 『なんで俺の方見るんだよ。俺たち3人で真っ先に体育館に行ってバスケしてたよ

な?』


 『ああ、俺らが一番乗りだったし』


 一緒に笑っていた男子も平気で嘘を吐く。


 『何の根拠もないのに人を疑うなんて最低』


 普段は口を開かない女子が、声を出した。それを皮切りに、いつもは大人しい男子

もぼそぼそと非難の声を上げた。


 前にも、横にも、後ろにも。


 私の味方は、いなかった。


 誰とも深い関係になれなかった。


 『ゴミ箱でも見てみたら』と女子の1人がせせら笑う。


 ありえないと思いつつ、ゴミ箱のふたを開けると、くしゃくしゃに丸め込まれた制

服が、ぎっしりとゴミの山に詰め込まれていた。


 『ほら、あったじゃん。やっぱり峰さん、あったまおかしいね』


 彼女は私に吐き捨てて、『部活始まるよ、行こっ!』と、隣の女子たちと一緒に小

走りで逃げ去るように消えていった。


 家族以外で、1番の味方だと思っていた土屋君。そんな彼にとっての私は、1番ど

ころか、2番でも3番でもない。出会って間もない、馴れ馴れしい女。


そして、見抜けなかった。浅はかな人間だった。土屋君があいつらと同じことをする

わけがないのに、目に見える状況だけで彼を最低な人間だと決めつけてしまった。間

宮さんを庇っているなんて、考えもしなかった。


 そんな私が、私ごときが、傲慢な態度で彼を冷たく突き放し、過去に報復した気分

になった。落ち込んでいるそぶりを見せる彼を見て、ああ、私は彼にとって大きな存

在になれたんだと勘違いした。本当は間宮さんのことで悩んでいたのに、私は勘違い

をした。


 『何も知らないくせに』


 彼に言われた言葉が脳裏によみがえる。


 『途中から割り込んできたくせに』


 彼女の言葉が胸を締め付ける。


 間違っていた。今日の態度も、これまでの生き方も。


 「ああ、…ああああ…」


 鼻の奥がツンと痛み、ぼんやりと視界が涙で水没する。


 「死ねよ、こんな頭の悪いやつ、死んでしまえ…」


 部屋に戻って、床に転がって、呟いた。


 電車に乗ってからは、もうどうでもよくて、どうやって帰り着いたかも覚えていな

い。ただ下を向いたまま、地面を弱く蹴り続けて、家にたどり着いた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る