一縷の望みと忘れられない記憶

ヒラメキカガヤ

出会いの記憶

第1話 俺の絶望に入り込む変なやつ

  決行


 月明りと夜風が差し込む闇夜の室内。


 犯人は彫刻刀を握り締めた。


 刃は持ち手によって役割が変わる。この平たい刃を持つ彫刻刀も、木彫りが持てば

創作物が生まれるが、悪意を苛まれたものが持ってしまえば凶器へとなり得る。


 犯人は、呑気なことを考えながらも、高鳴る心臓を抑えつけ、深呼吸を三度繰り返

す。


 「やる・・・やれる」


 深い安堵と信頼の闇に包まれながら呑気に寝息を立てている人物を起こさぬように

発した、決起の一声。


 そして、目の前に立つ。


 この刃を突き立ててしまえば、元に戻れない。


 犯人は大切な人を思い出す。


 自分を変えてくれた大切な人を。


 2人の運命を、この1本の刃に託す。




一、 出会いの記憶


二、 再会の記憶


三、 忘れられない記憶


四、 糧になる記憶



五、 多重の記憶


六、 悪意の記憶


七、 善意の記憶






     △△△


 



 教室の窓から覗くソメイヨシノと思しき木々から、桜がごっそりと抜け落ちていた。料理にふりかけられたゴマのようにポツポツと点在するピンク色を、勝手に俺の脳みそに例えてみると、見事にマッチした。


入学式から2週間が経つ頃、俺は堀田瑠璃子に絶交された。


俺とは1つ年下の後輩で、彼女はまだ中学3年生。俺が中学にいたときは、親友の加

賀美光と彼女と3人で登下校をするくらいの仲だったが、今回の一件で彼女は心を閉

ざした。


もともと、俺のことはそんなに好きではなかった。彼女は光が目当てで接近したわけ

で、俺のことなんて眼中にない、むしろ邪魔だったかもしれない。


しかし、なんというか、自分のことを特別だと思っていた俺も、どこにでもいる思春

期の男子の1人だったようで、彼女の振りまく愛想にまんまと惚れてしまったのだ。

かわいいから、たったそれだけでも理由として成り立つ。回りくどい言い方はやめよ

う。一目惚れだ。俺は確かに、彼女のことを性的な目で見ていた。


そして、幼馴染で腐れ縁の兵藤勝治に勘づかれ、例のごとく俺の進路を妨害されたわ

けだ。


兵藤勝治は、いつも俺の能力を利用して俺を貶める。


「あ、ドタキャン男と目が合ったぞ」


「あの堀田ちゃんだろ? 恥かかすなんていい度胸してるよな、あいつ」


 中学の時まで仲良く話していた友人の信頼も、ご覧のとおり、地に落ちた。


 全てを兵藤のせいにするつもりはない。


 もとはと言えば俺が悪い。


 俺が、こんな能力を持って生まれてしまったから。


 俺は、がっくりと項垂れた。


 堀田と会う日程と場所を、どうしてメモなんかに残してしまったのだろう。不確定

要素を過剰に忌避する俺の悪い癖が出てしまった。


 メモなんかを書いてしまったがために。


 軽々と埋められる『私物』を生んでしまったがために。


 その記憶だけがすっぽりと抜け落ちてしまった。


 そう、俺の能力は、『埋没忘却』。俺自身が『私物』と定義したものを埋めてしまう

というもの。または他者に埋められてしまうと、それについての記憶が完全に消えて

しまう。


 自他ともに大迷惑な異能を持って生まれてしまった俺の人生は、まだまだ続いてい

くわけである。






 4限の体育の授業は教師の都合により自由時間となった。兵藤勝治の妨害により孤

立してしまった俺は、もちろんその時間も1人で過ごすことになった。


 だんだん、と体育館の床を小気味よく鳴らすバスケットボールの音。その音を包み

込む男子たちの嬌声。あんなことがなければ、俺だってあの場にいたはずなんだ。


 『仕返しですか?』


 記憶が再生される。小柄で、子犬のような顔をした女の子。


 『私に見向きもされなかったからですか? それとも、加賀美先輩と一緒にいるの

が目障りだったりしますか?』


 あのとき彼女が握り締めていた拳の強さを、今になっても容易に想像できてしま

う。


 『いい人だと思ってたのに、最低』


 最低、と言い放った瞬間の声色は、彼女の口からは今までに聞いたこともないドス

黒さを帯び、これだけ時間のたった今でも俺の心を蝕んでいる。


 …埋めてしまおう。都合の悪い部分だけは紙に書き出して、それを『私物』と定義

づけて、記憶を消してしまおうか。


こんな事態を引き起こしてしまったこの異能で、決着を付けよう。


 永遠のように長い事由時間が終わると、一斉に飛び立つ渡り鳥のように教室へと帰

っていく生徒たち。


 残ったのは俺1人、ではなかった。


 「あの!」


 透き通ったきれいな声だった。


 振り向くと、隣のクラスの峰一縷が、射すくめるように俺を見ていた。


 肩甲骨の辺りまで伸び、パーマをかけたように不規則にうねる長髪。意図的に染め

ているのかと誰もが疑う茶髪。


 大きく、少しだけつり上がった目。俗に言う猫目というやつに、強い意志を感じ

た。大きな目がそう思わせているのだろうか。


 「…なに?」


 恐る恐る、俺は問うた。


 峰一縷。


 学校中で、痛い女の子と呼ばれ、避けられている変人。そんな人間が、いったい俺

に何の用だ。


 何かが始まりそうな予感に恐怖を覚えた。


 俺は昔から、不確定要素が嫌いだった。『埋没忘却』なんてものを持って生まれた

せいで、ランダムに起こる事故を味わい続けた。それが嫌で、中学に入った時から

は、意識的に危機を予知し、対策を施し、全力で回避するように生きてきた。


 今回もそうするだろう。存在そのものがイレギュラーのようなこの女にも、遠慮の

壁を張り、対処する。そうに決まっていたのに。


 「誰かにハメられたんだよね? 土屋君がドタキャンするなんて信じられない」


 まるで俺のことを知っているかのような物言い。初対面だろ。


 「そんなところにまで噂が広まってるのか。ハメられた? とんでもない。俺がそ

うしたかっただけだよ」


 俺は嘘を吐くとき、首の後ろを右手で触る癖があるらしい。姉に見抜かれてからと

いうもの、右手に注意するようになった。俺のことを一方的に知っていた峰一縷に、

勘づかれる可能性(極めてあり得ない可能性)にも配慮し、嘘を吐いている今も右手

を静止させる。


 「本当に?」


 首を前に傾け、無駄に優美な容姿を俺に近づけた峰一縷。揺らめいてはいけないの

に、


 「…ハメられた」


 俺は本心をさらけ出してしまった。


 「ほら」


 納得する峰一縷は、前傾した首を引っ込め、次は上方、角度にして45度くらい上

を向き、自分の胸を叩いて、


 「でも大丈夫、この私が来たからには、ドンと解決してあげるんだから!」


 豪語した。ここまで急激に距離を詰めてくるやつは初めてだった。変人扱いされる

理由の一つだろう。


 「ミステリーハンターサークル(非公認かつ部員1名)の部長である私が、謎を謎

のままで終わらせないんだから!」


 「なに言ってんだ、お前」


 相手にとって聞き覚えのない固有名詞を堂々と言ってしまえる図々しさ。他の誰よ

りも異質で、違った。兵藤よりも、光よりも、姉貴よりも違う。違うということは、

分からないということ。不確定要素を呼び込むということ。つまり、違うというの

は、怖い。


 「いらないって」


 だから、言った。


 「いらないって。そういうの。余計なお世話だ。俺は平穏に暮らしたいんだよ。ヘ

タレって呼んでもらっても構わない。分からないっていうのがたまらなく苦しい。幸

か不幸かが揺れ動くような事象が大嫌いなんだ。上も下もない、フラット。一生それ

でもいい。大それたイベントなんて無くてもいい。地味に、穏やかに生きる。邪魔し

ないでくれ。他人との繋がりを作りたくない。他人の意思が干渉すれば、そこに不確

定要素に発展するから」


 これでよかったはずなのに、背を向けて歩き出した一歩が、まるで足枷でも付けら

れたように重かった。


 「分からないことより、分かってもらえないことの方が苦しいよ」


 峰一縷の言葉で、俺は全身を巨大な何かに握られるように硬直した。


 その場に動けなくなった。


 図星を指されたことを認めた。


 兵藤のことは災害や病原菌のように、数年間耐え凌いでいれば数年後にはどこかへ

自然と消えていく疫病神だと、割り切ったふりをしていた。


 別に自分のことは自分だけが分かっていればいいと、大人のふりをして、自分を騙

し続けていた。


 兵藤が俺のノートを盗み、埋めた。俺はテストで0点を取った。


 兵藤が俺の靴を盗み、埋めた。俺は上履きのまま帰った。


 兵藤が俺のメモを盗み、埋めた。俺は堀田瑠璃子と遊ぶ予定をすっかり忘れてしま

い、裏切ることになった。


 不確定要素が嫌いで、逆らうことを恐れに恐れ、たどり着いた結末が、頭の悪い悪

人という悪評。


 悔しいはずなのに、諦めた。弁明しても分かってくれなかったらどうしようと、心

のどこかで怯えてしまったんだ。


 「チャンスを…チャンスをやるよ」


 どっちつかずの判断をすると、峰一縷は「チャンス!? ホントに!? 張り切っ

ちゃおうかな! で、私は何をクリアすればいいの?」と双眸を輝かせた。


 「これ」


 どうせ昼休みだからと、男子たちが置き去りにしたバスケットボールを拾い上げ

た。


 「スリーポイント、ミスすることなく3連続で決められたら、お前の言うこと聞い

てやるよ」


 我ながらに卑怯な提案だった。峰一縷は、帰宅部で、運動神経もそんなにいい方で

はないだろう。なのに。


 「分かった!」と難儀を示すことなく即答した。


 「よーし、やってやるぞー! 確か、こんな感じだっけか?」


 握りとフォームに苦戦する峰一縷。根拠のないその自信はどこから来るのだろう

か。


 「えいっ!」


 第一投。


 ボールを乗せた両手を八の字にしてそのまま上に突き出す。女子がよくやる投げ

方。


 素人の俺から見ても素人の投げっぷり。


 しかし、ふわっと浮き上がったボールは綺麗な弧を描き、ボードに当たることなく

ネットを揺らした。


 汚いフォームから繰り出した綺麗なスリーポイントシュート。開いた口を慌てて塞

ぐ。「ええ! マジで!? 入ったんだけど!!」


 入れた本人が一番驚いていた。とことこと小走りでボールを拾い上げて定位置に戻

る。


 「よーし、もう一回」


 まぐれが続くわけがない。


 二投目。


 ボードに直撃し、投げられたボールは、床に落ちた。


 リングの中を綺麗に通過して、床に落ちた。


 「嘘だろ…」


 驚愕が声に出た。バスケ部の連中でも無理難題に近いチャンスを、こいつは乗り越

えようとしている。


 関わらないでほしいのに、第三投がゴールに決まることを期待していた。その証拠

に胸の高鳴りを感じている。俺の本心が、一縷の希望へと繋がる不和を望んでいた。


 「新太君! …じゃなかった、土屋君!」


 両手を八の字に構えたまま峰が振り向いた。


 「私が、あなたを変えてみせるから」


 そう言い切るなり、峰一縷は再びゴールに向き合い、ボールを投げた。


 午後の陽光が体育館の窓を貫き、埃とともに宙を舞う少女を照らす。くしゃくしゃ

の明るい髪が羽のようにふわっと揺れる。


 帰ってきてくれ、一縷


 「あっ」


 無味乾燥な声を発した峰一縷は、しばらく動かなかった。


 ボールがリングの外を弾き、床に落下した。


床を数回叩きつけるボールの音だけが、無情に鳴り響く。


「あーあ…」


初めて落ち込んだ表情を作る峰。酩酊にも似た夢物語も、これで終わりだな。俺はす

っかり目が覚めた。不確定要素を招かなくてよかった。特にこういうイレギュラーな

やつは、俺の人生を不安定にし、毎日を不確定で包み込んでしまう。無理難題を課し

て正解だった。俺は、フラットに生きていきたい。峰一縷に掛けた言葉を、頭の中で

もう一度反芻した。


「まあ、お前のことは分かんないけどさ、変なやつって言われてるけど、中身は意外

といい奴だったんだな、って思い直したわ。俺を変えたってのは事実だ。俺から見え

る峰一縷という人間のイメージが少し変わった。ありが…なにやってんだよ」


峰一縷はボールを拾い上げ、3ポイントの定位置に戻った。


「もう一回!」


なんて女だ。こいつは、当たり前のようにやり直そうとしている。


「おい、話が違うぞ! 俺は3ポイントを3回連続で…あ」


挑戦は一度まで、なんてルールは設けていなかったことに気付いた俺は黙った。「ね」

と峰一縷が笑った。


「気に入らない結果なら、何度だってやり返しちゃえばいいんだよ! こうやっ

て…」


集中が切れたのか、峰一縷が投げたボールは、投げた直後からゴールに入らないと予

測できる軌道で、再び「もう一回」と言い放ってはミス、このやり取りを4回ほど繰

り返したところで、俺は根負けした。体育館に近づく、活発な人間たちの声と足音。

兵藤もいるかもしれない。その目に男女2人の構図を晒してしまえば、勝手な想像と

噂を繰り広げられるのは間違いない。堀田瑠璃子のデートをすっぽかした分際が、次

の女にちょっかいをかけている、ような内容。


 「放課後、空いてるか? 昼休みの残りで消化できないからその時に話す」


 「デートってこと!? 男子がもっともらしい理由を付けて女子を誘うって、土屋

君、もしかして、私に気が…」


 「別に無理なら会わなくていいんだぞ」


 「ごめんってば」


 苦笑して、頭を掻く峰一縷。


 違和感があった。


 この時点で俺たちは初対面のはずなのに、再会したような気分だった。


たまに見る夢に、声が出てくる。その声が、恐ろしく似ていたのだ。完全に一致した

と言っても過言ではない。その夢の人物が現世に飛び出してきたのか、それとも、こ

の女が俺の意識に干渉できる力を持っているのか。


 俺自身に『埋没忘却』なんて異能があるせいで、そういう可能性も視野に入れなけ

ればならないのが痛くて痒い所だ。本当に忌々しい体質だ。


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