第17話

「あれは……」


 寺にたどり着くよりずっと早く、月下、地蔵らしき影が目に留まり駆け寄った。苔むした石の地蔵尊が六体、横一列に並んでいる。


 光秀が、ないのが普通、といっていた六地蔵だ。


 その前を続く道は集落に入る。寺はその先らしい。


「まるで道祖神のようだな」


 光秀が地蔵尊の前にかがむ。


 秀満は彼の斜め後ろでそうした。視線が地蔵尊と同じ高さになった。ここが餓鬼道だということを忘れさせるような優しい顔をしていた。


「この地蔵様が人間界につながっているのですか?」


「ふむ……」光秀が首を傾げる。「……分からん」


「六地蔵ですぞ」


「刀にも、業物わざものなまくらがある。石像が地蔵尊の形をしているからといって、仏の魂が宿っているかどうか、それは分からん」


「もし、鈍だったら?」


「別の六地蔵を探す。とにかく、時を待とう」


 光秀が腰を落とし、胡坐あぐらをかく。秀満もそれにならった。


「得心しました。それで殿、拙者は何をすれば?……命じてくだされ」


「すぐには無理だ。力が足りない」


「力? どんな力です?」


「怒りや恨み、戦や爆発、……世界をゆがめる力だ」


 世界を歪める力?……秀満には想像もできない。だから、光秀についていく、と改めて自分に言い聞かせた。


「……その力は、いつ生じるのですか?」


「分からない。明日なのか、来月なのか、一年後になるのか。力が凝縮するのを待つしかない」


「それまで、じっとしているのですか?」


「いや、地蔵を運ぶ。問題は、どこに運ぶかだ。誰にも邪魔されない、平らな場所がいい」


 秀満は立ち上がり、平らな場所があるだろうか、と周囲を見回した。


 月明かりはあるが、遠くまでは見渡せない。そうして気づいた。空に浮かんでいる月が二つあることに。


「暗くて分かりませんな」


「うむ、明るくなってから場所を決めよう」


「月が二つあります」


「ああ、餓鬼道だからな」


「気づいておられたのですな?」


「もちろんよ」


 その言葉に肝が縮んだ。迂闊うかつ、不注意、と指摘された気がした。


 二人は背中を六地蔵に預け、野生動物などに警戒しながら仮眠を取った。




 ――カーン、カーン、カーン――


 翌朝、秀満はたがねを打つ音で目覚めた。空は白々しているものの、太陽はまだ、山の影から顔を出していなかった。


「何事……」


 光秀も目覚めた。


「分りませぬ」


 立ち上がってみると、草むらの向こうの景色が見えた。南面、遠くない場所にある小山が石切り場だった。早朝から幾人かの者たちが石を切り出しているようだ。


「……まだ、夜も明けきっていないというのに……」


 秀満はあくびをみ殺し、目をこすった。


「石を切り出すのが好きなのだろう。いや、執着だ」


「金のためですかな? 履物屋の主人のように」


「それは分からん。ただ、仕事が好きなのかもしれぬ。仕事に対する執着だ」


「はあ……」


 石切りのような重労働に執着する者などいるのだろうか?……理解できなかった。


「そんな者でもいなければ、寝呆ねほうける者、遊び呆ける者の多い餓鬼道で、食物がいきわたることなどあるまい。石の建物なども造れない」


 光秀が西に首をめぐらす。その視線の先にあるのは、昨夜、黒いシルエットを見た仏塔だった。京都に多い五重塔や三重塔とは違う、石造りの塔だ。


「秀満……」


「はい」


「ワシは今、こうして正気でいるが、いつまた殺し始めるかわからぬ。お前の命さえ狙うかもしれない」


「まさか、そのような……」


「ワシは餓鬼なのだ。もはや自分のことさえ信じられぬ」


「……クッ……」うっかりすると涙がこぼれそうだった。


「もし、ワシがお前に刃を向けたら、遠慮なく切れ。それがお互いのためだ」


「しかし……」


 ――カーン、カーン、カーン――


 鏨の音が、己の心臓の鼓動のようだった。鼓動が心臓を穿うがつ。


「……昨日、殿が言われました。拙者は殿に執着しておると。その拙者が、殿を切れるでしょうか?」


「……そうか、……そうであった」


 光秀が苦笑を漏らした。


 秀満は、光秀が自分に刃を向けることはないだろうと思った。何故なら、自分が服従を示している限り、光秀の権力欲のわずかでも満たしているはずだからだ。


 いや、違うのか? いくら殺しても満たされない、と殿は言っておられた。自分が従っている程度では、殿が深い欲を制御するのには足りないのかもしれない。


「そうなる前に人間界に戻りましょうぞ」


 そうして秀吉を倒さなければならない。……秀満は覚悟した。すべては大切な主のためだ。


「ふむ……」


 光秀は何か言いたげだったが、唇を結んだ。


 二人は六地蔵の背後、北側の林に目をやる。広葉樹が青々と葉を茂らせていた。そこに目を引き付けるものがあった。何者かが行き来した跡だ。


「獣道があるな。行ってみよう」


 光秀が立った。


 秀満は主人の後を追った。

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