第Ⅲ章 明智光秀と明智秀満

第12話

 ――ドドドドォォォン……――


 大量の火薬が火を噴き、柱、はり、土壁がくずれてもうもうと土煙を上げる。天井板は火を噴いた。


「殿……」


 倒壊する坂本さかもと城の天守閣の中、明智秀満は、義父、明智光秀を思った。……本能寺で織田信長を殺した後、光秀は京都の治安維持を図るとともに、周辺大名に使者を派遣して地盤固めを急いだ。秀満も安土城に入った。織田の後を丸々明智が治める体を示すためだ。


 ところが、予想より早く羽柴秀吉はしばひでよしが遠い備中の戦場から戻った。神速ともいえる〝中国大返し〟と呼ばれた反撃行動だ。


 それで状況が変わった。羽柴軍は明智のそれの数倍ある。


 光秀は京都の入り口にあたる狭小地、山崎やまざきで秀吉を迎え撃った。そこなら少数の軍でも大軍を抑えられるという算段だった。その間に周辺の大名が明智に味方してくれれば勝ち目はある。秀満も数百の兵を従え、光秀を助けるべく山崎に向かった。


 ところが山崎の合戦は、秀満が到着する前に決着がついてしまった。明智軍は四散、秀満は明智光秀の本城である琵琶湖西岸の坂本城に入った。


 光秀は死んだと教えたのは、城を包囲する敵将、堀秀政ほりひでまさだった。


 秀満は、光秀の家族が辱めを受けることがないよう、自分の手で殺して、自分もまた死ぬことに決めた。それでありったけの火薬を天守閣に集めて火をつけたのだ。


 ――ドドドドォォォン……――


 城は燃え落ち、秀満の意識も遠のいた。




 生暖かくヌメヌメした何かが唇を這う。冷たい指が胸を、腹を、下腹部をまさぐった。命をつなぐ本能が、色欲が、むくむくと膨らんでいく。


 闇の中に鬼の顔が浮かんだ。鬼女だ!……分かっても身動きできない。


 ドッ、と生臭いものを放出して目覚めた。


 目の前に女性の顔があった。鬼女ではなかった。青い瞳は落ちくぼみ、頬のげっそりやせた、真っ白な肌の中年女性だった。


 彼女も自分も全裸だった。


「お前はバテレンの女子か?……何をした……?」


 分かっているが訊かずにいられなかった。


「オホホホホ……」


 女性が笑った。


「何を、って可笑しい。オホホホホ……。さあ、もっと、もっと、私を楽しませなさい」


 彼女が腰を振る。


「どけ!」


 恐怖を覚えて彼女を突き飛ばした。


 思わず力が入った。彼女も不意を突かれたからだろう。やせた裸体は大きく飛んだ。


 ――ドン――


 ベッドから転げ落ちた女性は、背中を石の床にして両足を天に向けていた。


 秀満は上半身を起こして室内を見回す。これまで見たことのない西洋風のきらびやかな内装だった。タイル張りの床に自分の着物と武具が乱雑に転がっていた。


「ここは安土城か?」


 奇抜な内装が安土城の豪勢な内装と重なっていた。しかし、安土城で寝心地の良いベッドや西欧の女性を見たことはない。まして自分は安土城を捨てて坂本城に入り、それを爆破したばかりだ。生きていることさえ理解が及ばない。


「何をするのよ。私が助けてあげたのよ。私は恩人よ!……突き飛ばすなんて、ヒドイ。紳士らしくない!」


 身体を起こした女性は目を三角にしていた。


「助けて欲しくなどなかった。俺は死ぬつもりだったのだ」


 そう応じてから、何故、死ねなかったのかが、頭の中で大きな疑問の塊になった。柱や梁が吹き飛ぶほどの爆発だったのだ。生きているなど、あってなるものか!


「道端に寝ていたところで死ねるはずがないじゃない!」


 ずけずけとモノをいう女性が新鮮に見えた。秀満の知る女性に、そうした者はいない。


「……待ってくれ。俺は、道端に寝ていたのか?」


「そうよ。何を寝ぼけたことを……」


「城はどうなった? 坂本城は……」


「本当に寝ぼけているのね」


「ここはどこだ?」


「私の家よ。そんなことより、もう一回、やりましょう? まだまだ、やり足りない!」


 こいつは色情狂か?


「そんな場合ではないのだ」


 自分が生きているからには、城の破壊に失敗したのかもしれない。とにかく状況を確認して対策を立てねば。……秀満は自分の身の振り方を決めるためにも、坂本の町を見なければならないと思った。


 床に散らばっていた着物をまとい、刀を腰にく。脇差は光秀の愛刀だ。鎧はつけない。偵察にそれは邪魔だ。


 どこを見ても履物がなかった。それで裸足で行くことにした。


 秀満が身支度を整える間も、裸の女性は色事をしようと言ってきかなかなかった。秀満の手を取って白い肌を押し付けてくる。


「離せ。俺は出ていく」


 そう言ったもののふすまが見当たらない。


「出口は何処だ?」


「もう、仕方がないわね。用事がすんだら戻っておいでよ」


「ムッ……」


 素直になられると申し訳なく思った。


「……女、名前は?」


「キャサリン」


 彼女は応じながらドアを開けた。長い廊下の先に寝室のドアより大きなドアがある。そこへ向かった。


 ドアの向こう側から喧噪けんそうが流れ込んでくる。


「羽柴勢か……」


 ドアの前で立ち止まった。


「服従しろ!」――ギン!――「エイッ!」「従え!」――ズン――「ヒャァ……」


 刃で切り結ぶ音、気合と恐怖が入り混じる声……。一方が羽柴勢なら、もう一方は明智勢に違いない。


 秀満はドアノブを握った。

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