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「……よし。送ったー!」
半田ひよりは両手でスマホを掲げたまま、テーブルに突っ伏した。
彼女の自宅に程近い、客のまばらなこぢんまりとしたカフェ。その最奥に二人は席を取っていた。卒業したとはいえ、元アイドル。目立たぬに越したことはない。
「はああああ、こんな長文書いたのはじめてだよぉ。今までSNSの短い発信しかやってなかったもん。しかも事務所のチェックありで」
あー疲れた、とぐったりするひよりに、白野紅珠朗は下書きのためのノートを閉じて、彼女の前にドリンクを置き直した。なんだかやたらと長い名前のドリンクで、全く覚えられない。
「お疲れさま。頑張りましたね」
スマホをドリンクに持ち替え、ひよりは勢いよくストローを吸う。たちまち中身が半分ほどに減った。
「ほんと、白野さんに頼んでよかったぁ。内容的に親にも相談しにくいし、あたし一人じゃもっとアホみたいな文章しか作れなかった」
「よく書けてましたよ。私はちょっと添削しただけです。こういうメールは正しく堅苦しい文章より、ご自身の言葉で伝えるのが一番ですから」
「ほんとですか? ちゃんと伝わったかなぁ」
「大丈夫」
そっか、とグラスを置いて、そわそわと氷をつつく。
「……我妻さん、必殺のコークスクリュー・ブロー、回避できたかなぁ。ってか、必殺のコークスクリュー・ブローって何? やたらと強そうだけど」
「さあ、初耳です」
「でもまさか、あの優しいサジコ様が旦那さんに暴力なんて、ねえ」
「……どうでしょう。夫婦のことは、外からはわかりませんから」
「あ、サジコ様といえばね、映画のヒロインに抜擢されたんだって。『たんみそ』って言ってね、えーっと確か、『探偵が
「ほう、『たんみそ』。なかなか美味しそ…いや、面白そうですね」
「でしょ。観てみてね。ってかさ、メールって既読とかつかないんだ。読んでくれたかわかんないじゃん」
彼女がやたらと饒舌なのは、相手の反応が不安だからだろう。
白野は落ち着いた態度でゆったりと手を伸ばし、端に寄せてあった紅茶のカップを引き寄せた。香りを確認して淡く微笑み、ひとくち。
「メール、不便ですか?」
「んー、不便………だけど……ちょっと、エモい?」
ふっ…と思わず笑みをこぼしてしまったが、メールで頭がいっぱいな彼女は気づいていない。
「でもさー、津曲さんは無理だよね。あたし、勝手に張り切って空回りして、自分のセンス押し付けちゃって……ほんと最低。無理なのは分かってるんだ、です……」
メールで頭がいっぱい過ぎるのか、敬語も覚束ないようだ。
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白野が彼女に出会ったのは、海浜幕張にある祖母フクの別宅を双子とともに訪ねた帰りだった。駅のベンチで大きな荷物を抱え、泣きじゃくっている彼女に声をかけたのだ。いや、正しくは双子に声をかけさせた。このご時世、いかにイケオジであろうとも、見知らぬ若い女性に声をかけることは憚られる。
初めてのデートで言い合いになって、店を飛び出してきてしまったのだと泣きながら語る彼女に、代筆屋の名刺を渡した。その日のうちに、彼女は「メール文の添削」を申し込んできたのだった。
『あなたの心を綴った手紙。お届けします、どこへでも。』
✉️
ひよりは甘ったるそうなドリンクを飲み干し、ふぅ、とため息をついた。
「いいんだ。あたしは謝りたかっただけなんだから」
「ええ、それでいいと思います。本当に伝えたいことだけに絞って書く方がわかりやすいし、だらだらと言葉を連ねるよりもよっぽど誠意が伝わります」
白野は以前に受けた、誠実さのカケラもない復縁要請の手紙の話を面白おかしく語り聞かせた。もちろん、個人情報は出さず内容もぼかして。
「何それ、そんなヤツ実在すんの? キモッ」
彼女の顔にようやく笑顔が戻る。あの身勝手なクズ男も、やっと少しだけ役に立ったみたいだ。
「アイドル辞めて社会に出たらさ、仕事のメールとかも自分で書かなきゃなんですよね。自信ないなぁ」
「大丈夫ですよ。今はネットでいくらでも例文が拾えますし、数をこなすうちに慣れます。それでもご不安でしたら、またご用命ください。ただし……」
白野はカップの向こうから、若干胡散臭く微笑みかける。
「今後は正規料金で、ね」
「初回割引、あざまーっす」
「飲み物のおかわりはいかがです? 奢りますよ」
「やった! じゃあ、今度はあったかいのを…」
メニューに手を伸ばしかけた時、彼女のスマホが震えた。ひよりが飛びつくように手に取り、操作する。
「……へ、返事、きた………どうしよう」
「開いて」
「え、やだ怖い。ってか今日、双子ちゃんは?」
「学校です。話、逸らさないで。返信への添削、今なら初回割引分に含まれますよ」
「えっ、お、お、お、お願いしますぅ」
ひよりは震える指で画面をタップし、そろそろとスクロールしていく。
「……津曲さん、怒ってなかったって………『自分も女性に慣れてないから、困惑はしたけど』……って! えっと……『やっぱり自分は追いかける恋愛の方が好きみたいで』……これって、アイドルの追っかけのこと?」
「さあ。私に聞かれても」
「……え………どうしよ。『今度近くに来たら、一緒にラーメンでも』だって!! 友達としてでもよければ……だって!!!」
頬を紅潮させ、キラキラと輝く瞳でひよりは立ち上がりかけ、また座った。が、テーブルの下で足をバタバタさせている。
「よい! お友達、よいです!! まずはお友達から! なのです!! ふおおお、身体があっつくなってきたぁぁぁ!!」
「よかった。職場の皆さんもお喜びでしょう。返信します?」
「します! でもその前に……」
彼女は店員に手を挙げ、元気に叫んだ。
「すみません、アイスマンゴーアップルティーwithメイプルホイップキャラメルソース添え、おかわり!」
やっぱり、長くて覚えられない。
白野はゆるゆると頭を振りながら、下書きのためのノートを再び開いた。
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〜 三通目 強すぎる妻からの手紙・完 〜
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