別件でご用命いただければと存じます
代々多くの異能者を輩出してきた黒瓜家の一人、口寄で身を立てた祖母、白野フク(旧姓:黒瓜)。白野紅珠朗は昔から彼女に目をかけられており、彼がこの家を譲り受けたのは自然なことだった。
実家を出てこの家で代筆屋を始めた頃に購入した唯一の家具、お気に入りのソファに彼は腰を下ろした。ベジタブルタンニン鞣しの紅がかったダークブラウンの皮革は美しく艶めき、ロクロ脚の曲線が色っぽい。
「この度は災難でしたね」
「本当に。あのバカ、白野さんにご迷惑おかけしませんでした?」
電話の向こうで憤慨しつつも恐縮した様子の声は、手紙の受け取り人である角田頼子。今回は音声のみの通話なので、ソファに腰掛けて足を組んでいても問題ない。
「いえいえ、こちらも仕事ですから」
「あいつ、昔からメールでも誤字ばっかりだったんです。ほんとイライラする。『炎が燃え滾る』だの『駆けつけていきたい』だの『満天の星空』だの……」
「その辺は私もご指摘したんですが、お耳に届かなかったようで」
「そうでしょう。一旦話し始めると、いや、話してなくても他人の言葉なんて聞いちゃいないんだから」
ティーカップに手を伸ばし、音を立てずに紅茶をひとくち。こちらは大倉陶園のバラの実シリーズ、紅色のカップに紅茶が映える。
「あの、句点が三つ連なってるの、あれもホント嫌い」
白野が代筆した手紙にあった、「。。。」の部分だ。あれもわざわざ指定されたのだが、その意図は不明のまま。
「文章が全体的にポップなのもまた……ああ、ごめんなさい。思い出したら怒りがぶり返してしまって。本当は赤ペンで添削して突き返してやりたかったんだけど、姉に止められました」
「……お察しします」
言葉少なに留める。本当はあのツッコミどころ満載の手紙や、その送り主の為人について大いに語り合いたいところだが、あれでも一応顧客だ。
それに、足元に寝転がって顔をくっつけるようにして古いアルバムを見ている双子姉妹に、汚い言葉を聞かせたくない。
「それで、あの……」
彼女が言い淀んだ理由は理解している。ある理由から特定の人物に自分の住所を知られたくない、という人は結構居るものだ。
「どうやって角田様の住所を調べたのか、ですね?」
「……はい。宛名だけ書かれた手紙が郵便受けに入っていたので、驚きました」
「当社の場合、ちょっと特殊な方法でお送りしています」
カップをソーサーに戻して立ち上がり、デスクへ向かう。便箋を一枚剥ぎ取り、ペンを取った。
「角田様、今はご自宅でしょうか」
「……いえ、出先です」
一瞬間が空いたのは、嘘をついたからかもしれない。本当は自宅にいるのだろうが、やはりこちらを警戒している。
「では、お手元に鞄やハンドバッグなどお持ちですか?」
「ああ、はい」
「では、中の物を取り出して、バッグの中がよく見えるようにしてください。空にしなくても構いません。中がよく見える状態であれば」
「……はい、出来ました」
「今から空間を繋げて、そちらに直接手紙を送ります」
双子に合図を送ると、彼女達はアルバムを置いて向かい合わせに正座し、手を取り合った。
「何か好きなもの……食べ物や花、色の名前でもいい。何か一つ、おっしゃってください」
「えっ?」
「まぁ、手品のようなものです」
数秒の逡巡ののち、彼女は小さな声で言った。
「……すみれ」
「なるほど。すみれの砂糖漬け、すみれの花、すみれ色……」
白野は「すみれ」と書き付けた便箋を折り畳み、封筒にしまった。今回は封蝋は省略。このまま送る。
「では、今から送りますので、一旦バッグを置いてください。行きますよ?」
封筒の角を摘み、蝋燭の火にかざす。炎が封筒を覆う寸前にふわっと投げ上げると、それは空中で消えた。
「バッグの中を見てください」
「……あ、あります! 中にすみれ、って書いてある……」
「では、空間を閉じますね」
双子に頷きかけると、彼女らは手を解いた。満足げに微笑んで、揃いのマグカップからジュースを飲むと、またアルバムに戻った。
「前回の手紙も同様の方法でお送りしたので、角田様の住所は存じ上げません。もちろん鳴瀬様も」
「……わかりました。不思議だけど、安心しました」
角田頼子の声からは緊張感が消え、安堵のため息が聞こえた。
「よかった。ちなみに今回の送付はサービスです。もし何かありましたら、いつでもご用命ください」
「……姉がガツンと返信してくれたことだし、これ以上何も無いことを願うわ。弁護士や取り立て屋に依頼するとお金かかっちゃう上に、とにかく面倒で」
声に笑いが混じっている。白野もにっこりと、しかし若干胡散臭く微笑んだ。
「では、別件で何かございましたら……」
「ふふっ、そうさせてもらいます」
🍻
〜 二通目 過去の男からの手紙・完 〜
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