第3部
第10話 願え、明日を
砂ばかりが広がる大地にて。
「懐かしい、ですね」
げほごほと健康的ではない咳をしながら、サトーが宣った。懐かしい、か。あの頃から跡形もなくなったこの地をそんな風に評せるのは、サトーはサトーで少なからず、この地に思い入れがあるからだろう。
我とサトーは始まりの地と言っていいであろう、砂の塔の跡地に来ていた。民のいなくなった砂漠の真ん中に新しい村などできるわけもなく、そこは地平線が見えるほど、まっさらになっていた。
サトーに願われて、ここにやってきた。サトーが連れていってと言ったのは、おそらくここだ。
サトーは探していた自分がここにある、と言っていた。それが何なのかも知らないし、それが正解なのかも我は知らない。
神は全知全能が一般認識である。だがそれは人間の作った勝手な認識だ。
我のように受動的な神の方が圧倒的多数だろう。願われたからそこにいる。願われたから叶える。願われたから呪う。たまに人間が神が好き勝手しているように言うが、こちらからすれば、人間が好き勝手しているのだ。
我のような神は全知全能とは程遠い。人間の願いによって、一時的にそうなることはできても、願いがなければ、ただの蜘蛛とそう変わりない。
だから、サトーが願わないから、我はサトーの病を治せない。命を削るであろう一歩を引き留めることができない。
できるのは、ただ問うことだけ。
「ここに、何があるというのだ」
もう何もない。我がサトーの願いのために殺した人間も、正当に土に還り、砂の塔は崩れ、ここはただの砂漠の真ん中だ。何があるというのだろう。
けれど、サトーは導かれるように歩いていく。病に咳をこぼしながら。何もない砂の大地を。
「干からびていても、あるものはあるんですよ」
「水脈か?」
「そんなありふれたものじゃありません。僕にとっては唯一のものです」
そんなことを言われても、と物思いに耽ろうとしたところで気づく。
サトーの気配がする。我を肩に乗せているサトーとは別に、サトーの気配がするのだ。
サトーは見える目を持つためか、気配が不思議のものに近い。人間なのだが、人ならざるものの気配がするのだ。それに、十数年、この気配の傍らにあった。今更、間違うものか。
サトーもその気配の方向に真っ直ぐ向かっている。きっと、そこに何があるのか、わかっているのだろう。
大体、砂の塔があった跡地。そこにサトーは膝をついた。砂を掬うと、さらさらと日の光に煌めく金砂が零れ落ち、その手の中にころりと一つの玉だけを残した。
「長く待たせたね。僕の片割れ。もう元に戻すことはできないだろうけど」
それは眼球だった。紫の炎を灯す眼球だ。それはかつて、黒布に覆われたサトーの左の眼窩にはまっていたものだった。
「
「恐ろしい!!」
「抉れ!!」
蘇るのは、愚かしい人間どもの叫び。ここにかつてあった村は、異形のものを恐れた。紫はその読みから死へ誘う色とされ、これまでに紫の目で生まれてきた子どもはもれなく殺された。残酷な世界だ。
サトーが生き残ったのは偶然と強運でしかない。生命力がよほど強くなければ、即死でおかしくないのだ。即死しなかったからこそ、村のものはサトーを恐れた。
手当てもせず、砂の塔に幽閉し、火を放って殺す気だったのだ。
それなら直接首でも切ればよかったのに、人間は愚かだ。その愚かさ故に、サトーは助かった。
「僕が最初にコトに願ったこと、覚えてます?」
「さてな」
「はは、嘘ばっかり。コトが言わせたんでしょう」
言わせてなどいない。最初の一言は、自分で選ばせた。
「生きたい──命なんて、そんなに大切なものじゃないって思ってたのに、僕はそう願ってた。きっとこの不思議な神様が言わせたんだ、と僕はずっと思ってましたよ」
サトーの立場で、そう思うのは仕方のないことだ。サトーは生気の抜けた子どもだった。ただ淡々と己に迫る死を見つめていた。
「違うぞ、サトーよ」
最初の一回だけは、違うのだ。
「生きたい」
それだけは、死の直前の人が一番深いところに仕舞っている心の奥、嘘偽りない本音が語ったものだ。
我は問う。
「片目を見つけて、満足か? それが本当にお前が探していたものか?」
「え」
「もう使えぬ目が、お前の片割れか?」
サトーは惑っているようだった。我はサトーを否定しているわけではない。ただ、サトーにとっての事実を確かめているだけだ。
「最初からここにあったのなら、お前は旅に出る必要などなかった。それなら何故、お前は旅に出ることを選択した? その目でわからなかったわけでもなかろう」
我は確信している。
生きることに積極的でないふりをして、こいつは。
「……朝日が、見たかった」
──明日を求めていたことを。
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