第9話 願え、欲望のままに
我は疫病神と対峙していた。
「一言主か……厄介だな」
疫病神は人の形をしていた。高位の神なのだろう。だが、願われた我に敵などいない。
「哀れな神だな」
疫病神は我をそう評した。
「人に寄生せねば生きられぬ神が、神を殺すか。私は私の役目通りに人に寄生しているだけだというのに」
「それは我もお主も似たようなものであろう」
人に寄生して生きる神。神威というものは人が神を信仰してこそ成り立つものであるから、むしろ、人に寄生していない神など存在しない。
ただ、その中でも、我や疫病神は人に存在意義を依存している。我は人の願いによって存在し、疫病神は人が生きているから存在する。
人間が願わなくなれば、我は存在できぬし、人間が死んだら、疫病神もお役御免だ。
「最も哀れなのは人間だ。こんな我らにすがらなければならないのだから」
「疫病神は忌まれて終わりだ。虚しい」
「仕方のないことだ。命あるものは大抵生きたいと願う」
我の発言に、疫病神の目がきらりと妖しく光った。
「お前は何を願われた? 私が憑いた人間は、皆死にたいと言っている。その願いは叶えてやらぬのか?」
「人間に寄生するのに、人間を殺してどうなる?」
「善人ぶるな」
疫病神の言葉は茨の棘のように固く、突き刺してくる。
「願いのために人を殺すこともあるだろうが。お前は殺せと願われたら殺す神だ。今更人殺しをしない神のようなことを言うな。お前と私は似たようなものだろうが」
それは確かだ。
我はかつて、サトーの願いのために村一つを滅ぼした。業と言っていいだろう。今更、それはそれ、これはこれだのと言い訳がましいことは言わない。
我は不敵に鼻で笑った。
「ふん。我は別に人を殺した業から逃れるつもりはないし、糾弾されるのもかまわない。だが、お主は往生際が悪いぞ。神なのだから、死ぬわけでもなかろうに」
「……」
疫病神は黙りこくった。
我は一連の発言を疫病神の悪足掻きの時間稼ぎにしか思っていなかった。
やっつけろ、とサトーは言ったが、疫病神を追い払うことはできない。サトーの願いを叶えるためには、我は疫病神を殺さなければならない。
無論、疫病神に指摘した通り、疫病神でも神は神だ。死ぬわけではない。復活までに多少時間はかかるだろうが、またどこかで病を撒き散らすことになる。その場しのぎでしかないのだ。
疫病神が我に言葉を弄する様子は、まるで死にたくない、という人間のようであった。これはこれで面白い現象である。
「生しか見つめぬお前にわかるものか。死の恐怖が」
「ほう?」
人間に寄生しすぎて同情でもしたか。それとも、既に何度も殺されたから、怖いのか。いずれにせよ、神にしては面白いことを言う。
死に恐怖する神に、生しか見ていない、と言われるのも、なかなか面白いものだが……
「我とて、人の死を恐れることはある」
そうとだけ指摘し、我は手足を用いて疫病神を貫いた。疫病神は笑っていた。
「ほら見ろ、同じ穴の狢だ」
疫病神の言葉の意味がわからなかった。意味を問う間もなく、疫病神の体は消えた。当分、この地には来られぬだろう。
我はサトーの元に戻った。
「サトー、願いを」
そこにサトーは立っていなかった。血を吐いて倒れている。
意味がわからない。青白い顔は死の気配を漂わせていた。そこに先に見た気配を感じる。
おのれ、あの疫病神め、嫌がらせをしていきおった。
「こ、と……」
「サトー」
サトーは薄く笑った。嘲笑に見えた。
「疫病神に勝ちましたか?」
「まだ勝っていない」
お前を、助けなければ、と口にしようとしたところで、サトーが言う。
「そろそろ、旅も終わりにしたいんですよ」
「な……」
言葉を失う。それは、旅を終わらせるために死にたい、と暗に言っているようなものだった。
「何故そんなことを言う? まだ何も……」
「見つけたんです」
サトーはこの旅を「自分探し」と言っていた。
人間は難儀で難解な生き物で、そこにある体のみで「自分」と言い表すことができない。心を求めてしまう。それは恋情だったり友情だったり、親愛だったり、多種多様な形の感情が複雑に絡まり合って、何か一つでもずれたら「そう」でなくなるというくらいの危ういバランスで保たれて、初めて「自分」と呼ぶ。
人間の遊戯であるジグソーパズルを組み立てるようなものだ。欠片は千も万もある。果てしない作業だ。けれど、その途方のなさに充足を覚える。それが一種の人間らしさであった。
我はあの砂の塔からずっと、サトーと旅を共にしてきた。十数年という年月は、我ら神からすれば、瞬きも要さない時間である。
そんな簡単に「自分」とは見つかるものなのか?
サトーは笑っていた。
「最初からあるのに気づかなかったんですよ。僕に欠落しているものなんて、一つしかなかったじゃないですか」
「何を言っている?」
「コトは本当に、願いを叶えるとき以外は能がないなあ」
「戯け……」
じゃあ、とサトーは口にした。
「連れてってください」
一言の願いを。
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