第8話
改めて思ったが、俺には色々と常識が足りない。
馴染みの店でもない限り、売り物を店員に言われた額で買うのはあまり良くないらしい。
基本的に値引き交渉をされることを織り込み済みで値段をつけているからだ。
それ以外にも色々と細かいルールやらなんやらがあって、とても一人で生きていける気がしない。
剣闘奴隷の時はただ強さがあれば良かった。
シャバでもそれは基本的に変わらないのだが、如何せんやらなければいけないことが膨大だ。
読み書きや交渉なんかはその最たるものだ。
少なくとも一朝一夕でどうにかなる気がしない。
「ギルさんは物を知らないだけで、物覚え自体は悪くありません。しっかりと勉強をすれば、一般人と変わらないくらいの教養はあっという間に身につくと思いますよ」
俺は依頼をこなすかたわら、ミーシャから色々なことを教わった。
この世界における常識から、知っておくと得ないわゆる豆知識まで。
まだ知らないものを知るというのは、案外面白いものだ。
どうやら俺は勉強がさほど苦ではないらしい。
特に俺が入念に教わったのは、これからしばらくの間は暮らしていくであろうバステル王国についてだ。
この世界にはいくつもの国があるらしく、それぞれで文化や風俗などが違う。
バステルでは奴隷制度がないように、色々と違う部分があった。
俺は自分の居た国の名前すら知らなかったが、そんな俺にもミーシャは根気よく物を教えてくれた。
まず元々俺が居た国はヘンデル王国、そして今俺が暮らしている国はバステル王国というらしい。
王国という名前の通りどちらも王様が治めており、貴族と呼ばれる王の配下達が王国内の土地を取り仕切っている。
この二国は北からやってくる蛮族相手に共同戦線を張っていることもあり、その関係は比較的良好らしい。
俺が一番気になっていたのはヘンデルからバステルへ向かった奴隷がどのような扱いを受けるのか、俺はわりと気合いを入れて聞いたのだが、それに反して答えは至極あっさりとしたものだった。
「持ち主に会ったりしなければ問題ないと思いますよ」
この両国、奴隷制度の有無という点では両者ははっきりと仲が悪いのだが、さりとていざという時に手を組めなくては北の蛮族相手に勝利を収めることができない。
相手の許せないところは色々とあるが、そのあたりはなぁなぁにしておくのがいいということで、色々とうやむやになっているということだ。
それだとこちらに奴隷が殺到するのではないかと思ったが、冷静に考えて奴隷が国境を越えるのは難しい。
一歩街を出れば、魔法が使えるミーシャでも倒せないような魔物がゴロゴロしているのだ。
金も持たず詳しい知識もない奴隷が、魔物が襲ってくる街道をいくつも通り抜け、国を出られる確率はほぼゼロと言っていいだろう。
つまり俺は晴れて自由の身だということだ。
ただし、奴隷の持ち主にあったりした時はもめ事になる可能性もゼロではないらしい。
その情報を聞いた瞬間、俺は最低限の準備をしたらサドラの街を出ることを決めた。
もし万が一興業団の人間が生きて俺を探していた場合、またあの生活に逆戻りになるかもしれない。可能な限りヘンデルからは距離を置いた方がいいだろう。
興業団は、少なくとも俺が外に出るようになってからは、国をまたいでまで出稼ぎに出ることはなかった。
問題はほとんどないだろうが、まあ一応念のためというやつだ。
現状サドラから向かえる方角は三つある。
東と南、そして北だ。
北に行けば蛮族の領域に出る。
蛮族といっても実際には文化を持つ狩猟民族らしいので、対話も可能ということだった。
あちらの方がバステルより力が尊ばれるらしいから、場合によってはあちらの方が俺には合っているかもしれない。
だがかなり野性に近い暮らしをしているらしいため、これはナシだ。
となると東か南になる。
東へ進んで国境を抜ければ、いくつもの小規模な国が連合している小国家群があるという。
そこは未だ強力な国家の出ていないかなりの無法地帯らしく、力さえあれば色々とできることは多そうだった。
もう一方の南に行った先にある超大国は良くも悪くもガチガチで面白みがないらしいので、やはり東へ進むのがいいだろう。
バステルで冒険者暮らしをしながら東へ向かい、小国家群のどこかを目指す。
別に目的があるわけではない。
いや、一応の目的はあるか。
俺はとにかく、『絶対王者』となってから感じるようになったあの渇きを感じたくない。
自由になって少し落ち着けたことで、渇きが発生する理由もなんとなくわかるようになった。
あの渇きは――俺が満ち足りていないと思った時に現れる。
強者との戦闘、知識欲の充足、美味い飯と酒……何かに打ち込んで満たされている間は、渇きを感じることはなかった。
ということで当面の俺の目標は、強いやつと戦い、知らないことを知り、美味いものを食ってしこたま酒を飲むことだ。
興味と関心の赴くまま、やりたいことをやりたいだけやってやる。
せっかく手に入れた第二の人生だ。好きなように生きて、好きなように死んでやる。
俺は出立を誰に告げることもなく、早朝にソッと東門へと向かった。
「ふっふっふ、私を撒こうなんて百年早いですよ」
なぜかそこには、したり顔のミーシャの姿があった。
どうやら俺についてくるつもりらしい。
生きていく上で必要なことを色々と教えてもらった恩がある。
なので彼女にはせめて正直でいようと思った。
「俺は元剣闘奴隷だ。後々色々と面倒ごとに巻き込まれるかもしれない」
「わかってますよ、奴隷の話をしている時の態度から予想はついてましたから」
俺としては上手いこと隠したつもりだったんだが、どうやらバレバレだったらしい。
虚実入り混ぜた戦いをすることなら得意だが、腹芸は苦手だ。
「それに――私も訳ありです、ですから気にしてません。ギルさんのためにも、詳しい理由は言わないですが」
どうやらミーシャの決意はかなり固いらしい。
で、あればわざわざ邪険にする必要もないだろう。
どうせ先を急ぐ旅でもないのだ。
俺一人では色々問題も起きるだろうし、色んな事情に明るいミーシャが同行してくれるのはありがたい部分も多い。
「それなら……一緒に行くか」
「――はいっ! まあもしダメって言われても、ついていきましたけどね!」
どうしてこんなに気に入られたのかは不思議だった。
だがミーシャからは俺を利用してやろうだとか、強請ってやろうとかいった負の感情は感じられない。
それなら一緒に出かけることにしよう。
俺のせいで色々と苦労はするだろうが……ついていくと言ったのはミーシャだ。
……くくっ。慌てふためく彼女の姿が目に見えるようだ。
こうして俺はミーシャを引き連れ、サドラの街を抜け東へ向かうことになる。
向かうのは、交易都市のガレフォン。
バステルの中央に位置している、文化の中心地だ。
ここには強いやつと美味いものが揃っているという。
きっとガレフォンになら、俺を滾らせてくれる何かがあるだろう。
到着するのが、今から待ちきれないな――。
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読んでくださりありがとうございます。
これにて第一章は終了になります。
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