萌えよケン 前編


   **


 駅前のラーメン屋に新たなバイトが入った。


「へい、らっしゃい!」


 元気で体格のいいバイトは地方から来たケンという男性だ。


 この春から大学に入学し、生活費の足しにするために駅前のラーメン屋でアルバイトをしている。


 柔道経験者でいい体格をしている。性格も明るく元気で、なかなか評判のニューフェイスだ。


「……ね、昔は文学系が好きだったけど」


「今はガッツリ体育会系だよねー」


「あたしら肉食女子だしねー」


 水商売系のキレイなお姉さん方も、ケンの働くラーメン屋に来るようになった。


 店主(cv:千○繁さん)も唇の端に笑みを浮かべている。


「へい、らっしゃい! ……あ」


 ケンは咳払いした。


 入店したのは長くサラサラした黒髪を持つ、やたら線の細い欧州系美女だった。


「ご、ご注文は!」


 ケンは美女を前にして真っ赤になった。気持ちがバレバレだ。


「……ごっつい・つけ麺セット、ニンニク増し増し」


 美女はか細い声で注文するとカウンター席に座った。


「へーい、ごっつい・つけ麺セット、ニンニク増し増しー!」


「あいよ」


 店主(cv:○葉繁さん)は黙って麺を茹で始めた。


 寡黙で腕のいい職人に思われるがちだが、ちょくちょく注文を間違えている。それでもお客に愛されているのは、不思議な人徳を持つからか。


(美人だよなー)


 ケンは美女の横顔を何度もチラ見した。


 そんな彼の視線に気づいているのかいないのか、美女はズゾゾゾゾと豪快につけ麺を食べ始めた。


 ごっつい・つけ麺セットは麺450グラム(通常の三倍前後)のボリュームに加え、ギョーザと半チャーハンがつく。


 男のケンでも全てを食べるのは、なかなか難しい。


 だがカウンター席に座った美女は、つけ麺を飲み物であるかのように平らげていく。


「……おじさん、煮玉子追加」


「あいよ」


 店主(cv:千○繁さん)は美女が差し出したお椀に、店自慢の手作り煮玉子をお玉で放りこんだ。


 そして美女は追加煮玉子と餃子をおかずに、チャーハンを平らげていく…… 只者ではなかった。


「ヒューイットさんスゲーな……」


 ケンは小さくつぶやいた。美女はチラリと横目でケンを盗み見した。


 この美女の名はヒューイット。


 駅前のスーパーで働いている。欧州出身だが日本語は流暢だ。


 華奢な体型の儚げな欧州美女――


 ケンは、そんなヒューイットが気になっていた。スーパーでは多少は顔を知られていたので、ケンは名前を知る事ができたのだ。


「……あなた」


「え、はい?」


「名前は……?」


「け、ケンです!」


 それがケンとヒューイットのファーストコンタクトだった。


 どうでもいいが、ヒューイットの吐息はあまりにもニンニクの匂いが強すぎて、ケンは涙目になった。


   **


 ケンの日々は変わった。


 いや彼の心が変わったから、生活が変わったのだ。


「やってやるぜー!」


 ケンは憧れのヒューイットと会話を交わし、ただの店員から顔見知りへとレベルアップしたのだ。


 これは恋の女神がケンに与えたチャンスに違いない。ならばケンには挑戦するのみだ。


 しかし、町には不穏な噂が流れている。世界中に大量発生しているチュパカブラなど比ではない。


 夜に現れる謎の女「プリティフェイス」の事だ。






「ねえ〜、チャーリー、ちゅ~して〜」


 夜の公園でバカップルかいちゃついていた。公園の隣は墓地である。よそでやれ、よそで!


 ベンチでいちゃつくバカップルの背後へ、忍び寄るのは線の細い儚げな白いワンピースの女だ。


 ――ブオーン!


 夜の静寂を引き裂くチェーンソーの轟音。


 バカップルの悲鳴が夜空に響き渡る。男は女を置いて脱兎のごとく逃げ出した。


 ただ一人残されたバカップル女の前で、謎の女はチェーンソーでベンチを真っ二つに破壊する。


 その顔は白いズタ袋で隠されていた。


 




「へい、らっしゃい!」


 ケンはその日の夜もラーメン屋でアルバイトだった。


 親に学費と生活費を出してもらっている身だ、アルバイトして小遣いくらいは稼がなければ面目ない、男の甲斐性がない――


 そんな気概がケンにはある。そして店には新たな客が入ってきた。


 線が細く、長くて黒いサラサラストレートヘアーに白いワンピースの儚げな欧州系美女――


 ヒューイットだ。


「ご、ご注文は!?」


「……ニンニクラーメン・チャーシュー抜き特盛」


「あいよ」


 ヒューイットはカウンター席に座り、店主は短く応える。小気味いい阿吽の呼吸だ。


(ニンニクラーメン・チャーシュー抜き!? じ、実在したのか!)


 知る人ぞ知るニンニクラーメン・チャーシュー抜き。


 ケンは実在を半ば否定していたが、自分が働くラーメン屋に存在するとは思わなかった。


 店主が麺を茹でる間に、ケンはおろし金でニンニクを細かくすりおろす。


 ニンニクの匂い染みついてむせる。


 ケンは涙が出る。


「あいよ」


 店主は特盛(麺の量三倍)ラーメンの上に、ケンがすりおろしたニンニクをごっそり盛った。


 麺の上には茶碗一杯分はあろうかというニンニクが盛られたのだ。ウケ狙いかと勘違いされそうだ。


 店内にニンニクの香りが満ちた。ケンが涙をこらえる前で、ヒューイットは豪快にニンニクラーメンを食べ始めた。


 それはケンにとっては試練だったかもしれない。


 ケンも恋する相手でなければヒューイットを遠慮したかもしれない。ニンニクの香りで目が痛いから。


 ましてや、ケンにとって数歳年上の社会人ヒューイットは、異世界の住人にも等しいのだ。


 男から見た女は永遠の謎。


 ましてや異国の欧州系年上美女。


 これはレベル1の勇者が魔王に挑むような、無謀な戦いであるのだ。


 それでもケンはやる。


 やるといったらやる。

 

 敗北して女性に興味がなくなろうとも、燃える男とはそういうものだ。


「……お兄さん、餃子追加」


 ヒューイットは幾分ためらいがちにケンに注文を頼んだ。それは乙女の恥じらいであったろうか。


「あ、あいよ!」


 ケンは喜び勇んで餃子の準備に入った。鉄板のフタを開き、餃子を並べる。


 火をつけた後、餃子を並べた鉄板の上に小麦粉を溶かした水を流し込んで、フタをする。


(お、俺に注文してくれた!)


 ケンは天にも昇る心地だった。憧れの人が自分に注文してくれた……


 一人の人間として認識してくれたのだから、胸の高鳴りが抑えられない。


「おじさん、チャーハン追加」


「あいよ」


 ヒューイットは店主にチャーハンを追加した。ケンに餃子を注文したのは、二つ追加するためだったのか。


 だがケンは深読みせずに、ヒューイットから注文を受けた喜びに浸っている…………


「…………あ、もう十一時か」


 ケンは時計を見た。彼の労働時間は午後六時から午後十一時までであった。


 店主は余計な事は言わぬ。残業せずに早く帰れ、学生なんだから―― それが店長の言い分である。


 ケンはエプロンを外した。ニンニクラーメンと餃子とチャーハンを食べ終えたヒューイットも、お会計だ。


 口数少ないケンとヒューイットの二人。二人とも寂しげだ。店主は食器を洗っている。


「ヒューイットさん、俺が送りますよ」


 ケンは大勝負に出た。ヒューイットは目を大きく開いて驚いた様子だ。


「最近はチュパカブラだけじゃなくて、チェーンソー女も出るみたいだし…… 俺が家まで送ります!」

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