アタナトス彗星

織田なすけ

一、かつての何も知らない僕へ

 かつての何も知らない僕へ。


 九歳の好奇心旺盛な幼い君は、初めての旅館に興奮して眠れず、一人抜け出して山を登るだろう。怯えながらも、小さな懐中電灯を片手に携え、真っ暗な世界を体験するだろう。下草に足を取られ、枝葉が立ち塞がる。そんな鬱蒼うっそうとした登山道を辿っていくのだ。

 そして、いずれ、長らく放置された、いつ壊れても不思議ではない古寂れた展望台を発見する。


 君は、君にとっての未知の世界を前にして、胸を躍らせるに違いない。完全な暗闇、生い茂る緑、手付かずの廃墟、煌びやかな星空……都会に住む人間には、何もかも新鮮だろう。夏休みの思い出としては、最高品質である。

 しかし、僕という人間が振り返ると、決まって最悪の出来事として思い出すのだ。だから、もし過去に戻って伝えられるものならば、伝えたい。

 如何に美しかろうと、どれだけ写真に残したくとも、深く心を打たれようと、『絶対に眺めるな』と。


 だが……長い蒼白の尾を引く、彼方からの巨大な流れ者。燦々さんさんと夜空を照らす、光の塊。箒星ほうきぼしとも呼ばれるそれを目にする運命は、きっと変わらないだろう。

 何故ならば、、魅了されているからだ。



 あの天体――〝アタナトス彗星〟に。

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