正義感の強い彼女 番外編

狩野すみか

幼なじみの彼女の話。

 もう、十年以上前になるのかな?

 学校の帰りに電車に乗ったら、どうやらバイト帰りらしい、大学生くらいの、当時の私からすると、女の子ではなく、女の人が乗ってきた。

「あ、ごめんな、今、バイト終わったとこ」

 その女の人は、はじめは軽い調子で、友達と世間話をしていた。今となっては思い出せないような、他愛のない内容だ。

 ふわふわした黒い髪の毛をゆるく後ろで縛って、カジュアルなグレーでまとめた格好をしていた。

 夕方の六時頃だったと思う。

 まだ日の明るい季節で、電車には私のような学校帰りの学生達や、仕事帰りのサラリーマンや所謂おばちゃんと言われる女性達が乗っており、座席は埋まっていたものの、混雑していなかった。

「あ、これからやったよな」

 その女の人は友達と楽しそうに、笑いながら、閉まった扉の前で会話を続けていた。

 みんな一日が終わって疲れていたのか、何も言わず、静かに電車で目を閉じたり、ケイタイを触ったり、本を読んだりしていた。

「あ、ごめんな、あのな……」

 女の人の声の調子が変わったのは、その時だった。

 S寺さんと言われる、この辺りでは古く、有名な女子中の、クラスでも、「道徳心が高く、正義感が強い」と言われている私でも、

 ……何かおかしいな。

 と思った。

 私の近くに座っていた、ブレザーをきっちり着こなした男子高校生が、まるで気合か何かを入れるように、ブレザーの両襟を摑むと、颯爽と立ち上がって、

「おい!そこのお前!いつまで喋っとんねん!いい加減にせえや!」

 と、すっとお腹から声を出して、その女の人に向かって言った。

 波紋が広がるように、電車の中の空気がざわついたけど、それだけだった。

 女の人は、びくっと肩を震わせ、

「うん。ごめんな、切るわ、また後でな」

 と言って、電話を切った。

 マナー違反をしていた女の人を正義という名の刃物で切りつけた男子高校生はすっきりしたのか、再びブレザーの襟を直すと、座席に座った。

 座るんかい!

 私がツッコミを入れたのはそこだった。

 薄目を開け、様子を見ていた年配の男性も再び目を閉じ、何事もなかったように、車内は元の静けさへと戻った。

 閉じた、もう、左側だったか、右側だったかさえも覚えていない、扉の前で、友達に電話していた女の人も、黙って立っていた。

 それからだった。

 私が考えを改めたのは。

 あの女の人は、バイト先で何かあったのかも知れない。

 電車に乗らず、駅のホームかどこかで、電話を終わらせてから、電車に乗れば良かっただけかも知れない。

 それでも、私は、あの正義感の強い、自分のしたことは絶対正しいことだと自信を持って、彼女を断罪し、心の中でガッツポーズをしていた男子高校生を称える気にはなれなかった。

 大げさだと思われるかも知れないけど、あのことが原因で、彼女が自殺してしまったらどうしようと思った。

 もし、本当に、そうなってしまったら、責任が取れないと思ってしまった。

 だから、こないだ、LINUで、幼なじみのジュンが、私から見ても、「ちょっと正義感が強すぎるのでは?」と思っていた大学時代からの彼女と別れたと聞いた時には、ちょっとほっとした。

 彼と私の間には何もなかったし、ジュンが彼女と別れた話も敢えて詳しく聞かなかったけど。

 つい、この間、仕事の出先から帰る途中、夕方の、ほとんど乗客のいない空いた電車で、「おかしいなあ……」と首をかしげながら、困った顔でスマホの画面を何度も見ながら、眉間に皺を寄せて、時折、スマホを耳に押し当てていた私より年上の、四十代くらいの女の人を、若くて、スリムで、背が高く、帽子から強いウェーブをかけた髪をきれいに出していた黒縁眼鏡の車掌さんが、

「車内ですから」

 と、そっと耳打ちするように注意したのを見てしまった時、何とも言えない気持ちになったので。

 座席は空いており、私のようにスーツをきた仕事帰りのような人間もおらず、誰も何も気にしてなかった。

 女の人は、素直に、車掌さんに、

「すみません」

 と謝り、

「母が電話に出ないんです」

 と言っていた。


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