失われて、紡がれて

 戦いは終わった。鏡の世界の富士の山の麓にて、誰に知られることもなく。

 人々が勝ち取った束の間の平穏。今この瞬間の日常こそ、命を賭した献身が故と知ることなく。

 知られぬ事こそ平和と知れ。報われぬ事こそ正義と心得ろ。

 そんな魔法少女の共通認識を体現してみせた彼女らを讃える者など、この世の何処にもいない。


 ──そんなことはない。誰も知らぬなど、あってはならない。


 どんなに身勝手に、例え死に損ないが正しく死ぬために選んだ道であろうとも。

 命を捨てる気で挑んだ彼女達の行為が、それでもなお打倒されることのなかった星の怒りの潰えることなど、あるはずがない。


 例えその戦いを知らずとも。深くを知ることすら拒絶された者がいるとしても。

 彼女達五人を、そして一つ前にて世界を救った旧い魔法少女達がいたことは、必ず誰かが覚えている。

 

「……お姉さん」


 その一人は黒い髪を伸ばした、少し細身ながら健康的な小さな制服の少女。

 彼女の名前は結月ゆづき。自らを青い月ブルームーンと冠した魔法少女。

 鐘の音に導かれ、己の価値すら定まらず塞ぎ込むから芽吹いた、この時代でも希有な才を持つ例外。

 そんな彼女は公園のブランコに一人座りながら、一人悲しく求めていた人の名を呟いていた。

 

 結月ゆづきが目を覚まし、すぐに家から飛び出して向かったのは鈴野すずのの家だった。

 必死の形相で息を荒くし、変身や飛行すら忘れて走り続けた一人の少女。

 だが結月ゆづきがその扉の前に辿り着いたとき、そこにはもう求めていた女の家はなかった。


 表札には名前はなく、部屋の中は人がいたとすら思えないほどもぬけの殻。

 痕跡のないただの空き家。あれほどあった営みの名残も、鼻につくほど臭かった煙草の臭いも。

 

 彼女の愛用していた商売道具の姿もなく。

 硬いだけの椅子に座りながらこちらを振り向く、そんな鈴野すずのの姿をもう見ることはないのだと。そんな実感に苛まれた結月ゆづきは、膝から崩れ落ちて嗚咽をもらすだけだった。


 泣いた。啼いた。いつまでもき続けた。

 誰でもない自分のために。例えどれほど強く叫ぼうとも、それが鈴野すずのに届くことはないのと知りながら。

 やがて涙も喉も涸れた。それでも泣こうとして、ふと床に転がったスマホがそれを遮った。


「……お姉さん」


 結月ゆづきは徐に手を伸ばし、縋るように両の手で持ちながら画面を操作していく。

 震えた指で開かれたのは一本の動画。どこまでも求めた、隣にいて欲しい彼女のもう一つの顔の記録。

 

『正義と可憐の代名詞♥ 裏も表もない子供の味方♥ 魔法少女ベルだよー♥ ちゃおちゃおー♥』


 甘ったるい声の挨拶する彼女。桜髪の、華やかなドレスを着た小さな少女。

 曲がりなりにも上を目指してたというのに、決まった挨拶一つ持たなかったVtuber。

 電子の姿という人に夢と至福を与える仮初めの姿ながら、その日暮らしで生きている中の人の適当さが誤魔化しきれずにあざとく魔法少女を演じていた彼女。

 

 がさつで、口が悪くて、優しいのかきついのかよく分からなかった大人の女性。

 そして自分の一番大好きな、けれどもう二度と次の配信枠が建てられることのない終わりを迎えた配信者。

 そんな彼女が快活に喋りながら配信を続けていく姿に、結月ゆづきは一人壁側で蹲りながらもそれを見続けていた。


『よー♥ ほー♥ へーい♥ ざーこ♥ ざーこ♥ よわよわー♥』

「……ふふっ、あははっ」


 魔法少女にあるまじき、あざとく不健全な声を出しながらキャラを操り攻撃を躱してい鈴野すずの

 結月ゆづきは知っている。それが全て作られたもので、本当はほとんどのアクションゲームを片手間でクリア出来るほど操作力が高いということを。


 一つの動画を視て、次の動画を視て、空の色が移ろい始めてもなお次の動画を視て。

 自分の好きだった彼女の配信を。自分を救ってくれたのに、裏切ってどこか遠くに行ってしまった女を。


『じゃあさようなら♥ 騒がしくて鬱陶しくてうざくて、けれどとっても愉快なお友達だった雑音ノイズさんたち♥ 体に気をつけてね♥』


 飛ばし飛ばし気に入っていた動画を視ていき、そして最後の一本へ。

 ついこの前聴かされた、鈴野すずのの──魔法少女ベルとしての別れの言葉を視て、それが終わって再び瞳は滲み、鼻を啜っていた。


「お姉さん……」


 それが最後の言葉と誰もが知っているけれど、それが最期の言葉と知る者は結月ゆづき一人。

 永久の別れに違いはないけれど、復活や転生がないことを知っているのも結月ゆづきだけ。

 裏を知ることが時にこんなにも傷になるのかと、ならば何も知りたくはなかったと。

 胸が引き裂かれるよう痛みが、帰らねばならない結月ゆづきを立ち上がれなくしていた。


 ──そんな時だった。唐突に、自らのスマホ画面に通知されたそれに、目を奪われたのは。


『魔法少女ベルの新着動画』

「……えっ?」


 誰もいない空き部屋で、呆然と困惑を声に出してしまう結月ゆづき

 だってそれはあり得ないこと。鈴野すずのの言葉を信じるのなら、彼女はもう二度と帰ってくることなんてないはず──。


 結月ゆづきは疑問で胸と満たしながら、瞬きも息をすることすら忘れて動画を開こうとする。

 自分の心を哀れに思った脳による幻覚かもしれないと、そんな不安を抱きながら。

 そして見つける。その通知が嘘偽りでない証拠を。二度と更新されないと思っていたはずのチャンネルに発生した、一本の動画を。


 真っ黒なサムネイル。『一言だけ』としか書かれていないタイトル。今時の曲約四分の半分すらない、僅か数十秒しかない短い動画。

 それでも確かにある。あってしまう。もう二度と、上がることのないはずのあの人の次の声が。


「っ、お姉さん……!」


 結月ゆづきは縋るような思いで、震えながらその動画を開き再生を待つ。

 数秒の沈黙。そして場違いにもけたたましく鳴る広告を何度も画面を切り替えて飛ばし、やがて広告なしを引き当てて再生される。


『聞こえてるか、クソガキ。私が言えるのはただ一言だ。──ごめんな、頑張れよ』


 流れたのはそれだけ。いつも通りの声色で、けれど仮初めも幻想も被ることなく紡がれた一言。

 それは間違いなくあの人の──ぶっきらぼうでも優しかったお姉さんの言葉であった。


「なんで、なんでそんなこと言うんですか……!! 恨ませてもくれないんですか……!!」

 

 全部を聴き終えて、結月ゆづきはスマホを膝に置いてから両の手で顔を覆う。

 声にならない叫びが部屋へ響く。例え音にならずとも、小さな少女の慟哭は確かにあった。


 結月ゆづきには分かってしまう。伝わってしまう。

 この短い動画一本が、自らの墓を荒らしてまで投稿した動画が誰に向けてであったのかを。

 

 優しくしてくれて、裏切って、約束を破ってどこかに行ってしまって。

 喉が枯れるほど、もう涙も出ないほど泣かせておいて、それでも恨むことすら許してくれない。

 酷い女。最低な女。……けれど私にとって何よりも、導と支えになってくれた師。


「ひどい、ひどいよ……。ひめおねえさん……」


 掠れる声でその名を呼ぶ。呼んで、呼んで、ひたすら呼んでを繰り返す。

 両の手で目を押さえて、全てが始まったあの日から別れまでの日々を思い出し、浸っていく。


 初めての戦闘に負けかけていた私の前に現れて、その拳で奏でた心の響く鐘の音を。

 弟子にしてもらって、けれど邪険にされて、見捨てられてしまうのではないかと思っていた私に会いに来てくれた夜のことを。

 そして私の初勝利を祝うように、どこまでも響くように鳴らしてくれたあの鐘の音を。

 

 いっぱい遊んだ。たくさんお世話した。たまに喧嘩もした。

 煙草の臭いはちょっと嫌だったけど、お姉さんのご飯を作ったり世話を焼くのは楽しかった。

 配信を観るのも楽しかったけど、私にとってはその奥にいる貴女をずっとずっと観られるのが何よりも嬉しかった。だから多少の夜更かしだって苦にならなかった。


 けれどもう、そんな日々はもう戻ってこない。

 あの人はいなくなった。どこか遠い場所に私ではない大切な人達と行って、そしてもう二度と帰ってくることはないのだ。


「……うん、がんばる。がんばるからね、おねえさん」


 何度も何度も目を擦りながら、今にも泣き出しそうな声で結月ゆづきはそう呟く。

 そして立ち上がる。ゆっくりと、現実の重さに苦しみながら、けれど自らの力でしっかりと。

 

 結月ゆづきは空の部屋を──かつて鈴野すずののパソコンデスクがあった場所を一度見つめてから、背を向けて部屋の玄関へと向かっていく。

 

「……さようなら」


 もう誰もいない部屋に、そして二度と会うことのないであろうあの人に。

 決別の言葉は小さく零してからドアノブに手を掛け、結月ゆづきは部屋から去っていく。

 目を腫らし、未だ鼻を啜りながら、それでも結月ゆづきは先へと進む。

 もう弱いだけだった少女はいない。誰かの期待に応えられないことを怖がるだけで、生きる理由さえ欲しがっていた臆病な子供は、宿り木を離れ飛び上がった。


 空はすっかり昏く染まり、鴉の声さえ聞こえてくる。──夏はもう、終わろうとしていた。


────────────────────

 読んでくださった方、ありがとうございます。

 今話にて三章、並びに第一部は終了です。時間が掛かってしまいましたが、それでも付き合ってくださった方々に感謝してもしきれないくらいです。

 次章以降につきましては、三章終盤と同じくらいふらふらとなってしまうと思うので、それでもという方はどうぞよろしくお願いいたします。

 

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