ある魔法少女の終わり

ヘタレな鐘の音

 それは今より十年ほど前。かつて、全国に魔法少女が十五人しかいなかった頃。

 それぞれが縄張りを持ち、意志と自由と信念と、何より願望と独善と自我だけで行動していた十五人の魔法少女達がいた。

 友情はあった。不仲もあった。反発や敵だってあったし、時に色恋沙汰さえ、更には鏡の世界で現実まで揺るがす戦争さえ起きた。

 けれども誰しもが互いを意識し合い、時には敬意すら抱きながら自らの居場所を守ろうしていた時代があった。

 

 そんな彼女達が手を結び、ただ一度だけ、全員肩を並べて一つの敵に挑んだ機会があった。

 最初で最後。最強と最長の招集によって集められた彼女達が挑んだのは、黒く昏く巨大な、身の毛もよだつおぞましきもの。

 それは人という知性の業であり、重ねてきた罪であり、同時にいつか清算せねばならない責任で、そして星の問いでもあった。

 だからこそ彼女らは対峙した。それは人類が背負うにはまだ早く、同時に今の人類だけが背負うこと自体を間違っていると断じたからだ。


 魔法少女達は戦った。それぞれが命を張り、手を取り合って唯一の黒へと向かった。

 激戦は一日続いた。いつまでもいつまでも、鳴り止まぬ音が響き続けた。

 けれど死闘の末、敗れたのは彼女達の方。そして十の命は自らを骸を捧げ、その黒は封印された。

 回答は先送りにされたのだ。いつか人々が乗り越えることを、命を掛けた少女達の願いによって。

 

 その終わりの間際、最強は世界へと干渉し、巡る機構システムは改ざんされた。

 大きな澱みの発生を減らすために。自分達のいなくなった世でも、星への負担を減らせるようにと。

 

 残された歯車ウサギの魔法少女は死力を尽くし、マスコットを触媒とした魔法少女達が生まれ始めた。

 そして黒の雑音は師の意志を継いで次の鐘の音となり、その名を伝説と残すことで後の魔法少女達に希望と象徴を残してその世界から姿を消した。

 

 それが旧世代の終わり。白の希望率いる統括会オイルを筆頭にした、次の世代の魔法少女達の始まり。

 そして残された五人の負け犬は散り散りに、二度と会うことはない──はずだった。

 

 だが封印は八年の歳月にて限界を迎えた。

 魔法少女の予想を遙かに超えた人類の発展と進歩。それらによって生じた穢れや澱みは、一世紀持つと推測されていた彼女達の犠牲を容易く凌駕してしまったのだ。


 そして偶然、或いは運命の導きか。あの日別れた五人は今、再び巡り会ってしまった。


 過程と理解を嘲笑う、一途のみを原動とした狐巫女が。

 空を埋め尽くすウサギと歯車を束ねる、ゴスロリウサギが。

 世界すら停め永遠を揺蕩う、現存最古の老少女が。

 最速最大で牙を振るう、最強の友であり共であった犬探偵が。

 そして命ある限り鐘の音を鳴らす、最強に救われた欠陥品にして失敗作の黒が。


 故にこれは清算。追いついた審判の刻などではなく、あの日の続きであり終わりである。

 挑むべきそれの名は澱み喰らい。或いは昏い喰らいクライであり、星の嘆きとも呼ばれた黒の凝縮。

 たかが百年余りの人の積み重ねの果て。早すぎる人の歩みによって生じた落とし物であった。






 真夏の十二時と言えば、一日の中でも暑さのピークとなる時間帯である。

 その暑さを表すならばまさに熱の一言。人の命すら容易く奪う気温は、冷房なしではただ寝ているだけでも人を疲弊させていってしまうほどのものだ。

 そんな蒸し暑さと濁った空気だけが充満する六畳間の中で、部屋の主である鈴野すずのはいつも通りに目を覚ましたのだが──。


「……んん、んれぇ?」

「あ、起きた☆ おっはよーひめちゃーん☆ あなたのめいだよー☆ んちゅー☆」


 目を覚ました瞬間、全身に感じる柔肌の冷たさと重さ、そして質感に困惑する鈴野すずの

 そんな疑問だらけの家主を差し置いて、そいつは全裸で愛らしさの塊みたいな猫撫で声で挨拶しながら、何故か同様に服を着ていない鈴野すずのの頬を唇をつついて愛を示していた。

 

「……邪魔だくそぼけ、暑いから離れろっ!」

「いやーん☆」


 顔をしかめたのも一瞬、即座に腕を振り回し抱きついている女を振り払う鈴野すずの

 無駄に大きな音を立てて、ごろごろと布団から転がるその下手人──狐峰こみねめいは、悪びれもせずに女の子座りで鳴き真似をして訴えてきた。


「えーんえーん☆ ひどいよーもう☆ せっかくのモーニング、いやヌーンなんだから優しく愛を囁いて欲しいな☆ ちらっ☆」

「……何でいるのお前。というかまた性懲りも無く脱がせやがったなお前」

「そんなこと言わないでよー☆ こーんな猛暑日に、どうせ冷房も付けないであろうひめちゃんの体を冷やしてあげてたんだよ☆ むしろボクを褒めて撫でて愛して欲しいな☆」

「……むしろ心が冷えていくんだがな、変態がっ」


 確かにいつもの数倍は快眠で、実際今年一番とも言える目覚めの良さではあるのだが。

 それを認めるのは癪極まりなく、そしてそれでも払拭できない苛つきは抑えきれず、つい近場に転がっていた下着を放り投げる鈴野すずの

 だがそれはめいにダメージを与えることにはならず、むしろ飛んできた一枚を器用に咥えて満足げに頬を緩めてしまっていた。


「ほふほふ……☆ ああ、これぞ究極と至高のグルメ……☆ くっさ……☆」

「阿呆なん? ってか人の家で致そうとしてんじゃねえよ……はあっ」


 恍惚とした蕩け笑みを浮かべながら、その白く柔い右手股へと自らの伸ばそうとしためい。

 そんな自宅を荒らす変態に心の底からため息を吐きながら、べたついた肌を流すべく風呂場へと向かったのだが。


「……んげっ」


 風呂場の扉前に綺麗に畳まれて置かれた、皺一つない数枚の衣類。

 どんなに記憶を探ろうが買った記憶のない、けれどどうにも自分の趣向を理解している軽い服々。

 そして何より目を惹いたのは、その中で唯一自分の趣味と合わない桃色の下着。

 まるでどこかの変態の趣味を押しつけられているようなそれらに、鈴野すずのは起きて早速二度目のため息が零れてしまう。


「まあもらっとくか。どうせ高いんだろうし」


 躊躇いこそあったものの、あくまで悪は変態で、下着に罪はないと割り切る鈴野すずの

 そのまま風呂場に入り、蛇口を捻ってシャワーから水を被っていると背中に柔らかな感触が張り付いてきた。


「……何だよ。狭いんだからどけよ」

「トイレもござれな三点式なこの部屋が悪いんだよー☆ ボク嫌いなんだよねー☆」

「知るか。一人暮らしだから別に良いんだよ」


 放出される水を強め、変態の顔にぶつけることで撃退し。

 それからさっと流して一段落した所で、にこにこな笑顔で差し出されたタオルを仕方なしに受け取る。


「……柔らかいなこれ。質感がお前みたいにエロいな」

「一枚二万円だからね☆ ひめちゃん家の薄っぺらいのとは段違いだよ☆」

「にっ……!? え、これで二万……!?」


 額を聞き、羽根のように軽かったはずのそれを鉛のように重く感じながら。

 それでも使わぬわけにはいかないと、鈴野すずのは先ほどまでとは雲泥の丁寧さで、一拭きを噛み締めるように体から水気を取っていく。


「ほらっ☆ 早く着替えてご飯食べよっ☆ おしゃべりはその時で☆」

「……はあっ、何作ったの?」

「そうめん☆ 濾した梅干しとおねぎを添えて☆」


 ぱたぱたと浴室から飛び出していくめい。

 外中共に圧倒的に若々しく、あの黒髪超級美少女が本当に自分の一つ下なの成人済みなのかを疑いながら身支度を済ませ、自室へと戻っていく。


「あ、来たねー☆ ご飯出来てるよー☆ 茹でただけだけど☆」

「……冷房付いてんだけど」

「普通付けるでしょ☆ 寝ている時はボクの体で安らいで欲しいからつけないけど☆」


 いつの間にか窓は閉められ、駆動音のうるさい冷房によって冷やされた部屋。

 その中で、どこから持ってきたかも不明な割烹服を完璧に着こなした黒髪の美少女が、広げられたテーブルの上にたくさんの麺と氷の乗った透明な皿を置いていた。

 最早突っ込む気もない鈴野すずのは、狭いテーブルの上に置かれたガラスのグラスを手に取り中身を喉へと流し込んでいく。


「あ゛ー冷てえ。キンッキンに冷えてやがるっ……!!」

「グラスから冷やしていたからね☆ その辺もぬかりはないのだ☆」


 からんと響く氷の音。そして全身を駆け巡る冷たさという暴力。

 そんな何とも言えぬ快感を酔いしれながら座り、同じく隣へと座っためいと共に食事を始める。

 鼻腔を擽る梅の香り。そしてすっきりとしたそうめんの喉越しと麺のコシ。

 自分でやっても到底引き出せない、素材から技術まで比較にならない美味に若干の感動をしつつ。

 止まることなく箸は進み、瞬く間に用意されていた麺は皿から消えてしまった。


「……美味えなこれ。夏場にすっきり入るわ」

「そうでしょそうでしょー☆ これは生涯の妻にしたくなっちゃうのでは? 固有ルート解放では?」

「ないな。お前みたいなピンク猿と暮らすならまだ結月ゆづきの方を選ぶね」

「?? 何言ってるのひめちゃん? 中学生に手を出すのは犯罪だよ? あとボクは狐だよ?」

「お前だけはそれ言っちゃいけないだろ。つうか察しろよ、そのレベルですらないってことだよ」

 

 ごちそうさまと感謝しながら、満足気に腹を擦ろうとした鈴野すずの

 だがその前に鈴野すずののお腹を優しく擦ってくるめいに拳骨を落とそうとしたが、食事やら諸々を考えた末に仕方が無いと拳の代わりに軽く頭に手を置いた。


「……冗談抜きでさ、本当に一緒に住まない? この部屋暑すぎだよ☆ せめて冷房つけなって☆」

「知ってるか? 家電ってのは電気代がかかるんだよ。それにあいつ煩いし、私は頑丈だから死なないんだよ」

「でもパソコンは壊れるよ☆ そしてボクの家の冷房は静かだよ☆ あと姪ちゃんの通いが減ってるの、そういうとこなんじゃないかな☆ 大事だよ、気遣い☆」

「……うっせ。来ないなら来ないでいいんだよ。こんなくその掃き溜めみたい場所なんざに、あいつみたいなお先真っ白なクソガキは」

 

 そのまま鈴野すずのの膝へと頭を置き、喉を鳴らしながら転がりながら尋ねるめい。

 自覚はあったのか、鈴野すずのは撫でる手の動きを大きくしながら苦々しげに顔を逸らしてしまう。


「ほんっと物臭で適当だなー☆ 流石は十五人一のだらしなさ☆ 人の気持ちを無碍にする天才☆ ここぞに限ってヘタれるヘタレ☆ 強いくせにざーこざーこ☆ そしてボクの運命☆ やっぱりひめちゃんと生涯付き合っていけるのはボクだけってことだよね☆ さいっこうっ☆」

「……うっせ。ヘタレじゃねえわ」


 ごろりと姿勢を変えて見上げながら、軽快な声色のからかいで追撃するめい。

 その勝ち誇ったようなどや顔にむかついたのか、撫でていた手で軽く頭を叩き音を響かせた。

 

「ってかお前、仕事は……ああ、そういやそうだった。辞めたんだったな」

「うん☆ 油揚あぶらあげコンは一昨日、ひめちゃんが三日にも及ぶ積みゲー耐久配信をしている間に休止という名の卒業をしちゃいました☆ これで晴れて職無し☆ おそろだねひめちゃん☆」

「……誇るべきなのかそれ。というか、養いたいって宣うなら続けろよ」

「仕方ないじゃん☆ だってもう八月だよ☆ つまりはそういうことだよ☆」


 めいのあっけらかんとしたその一言で、鈴野すずのは何となく意味を察して閉口してしまう。

 冷房のけたたましい駆動音と、それに掻き消される吐息二つだけが鳴る六畳間。

 沈黙はしばらく続き、そしてふと鈴野すずのが何かを思い出したように「……あ」と小さく呟いた。

 

「……そういやあほ犬から連絡来たぞ。土曜だってさ」

「そうなんだー☆ いやー思いの外かかったねー☆ まあボクはその分我が世の春だったけどさ☆」


 鈴野すずのに返ってきた空返事。

 心底興味のなさそうに頷いためいは、鈴野すずのの太股から飛び起き、名残惜しそうに撫で回しながら立ち上がっていく。


「よっと☆ じゃあボクは帰るから、ひめちゃんも色々と清算しときなよ☆ 死後は憂いなく☆ ボクと同じベッドでイチャラブチュッチュなんだから☆」

「……なんだ、もう帰るのか?」

「そうだよ☆ ボクは空気の読める本妻だか……あれ、帰らなくてもいいの!? もしかして、ついにデレ!?」

「…………やっぱ帰れ。とっとと帰れ。二度と来るな。ばーか」

「ああん♡」


 人差し指で額を軽く小突かれ、よろけながらもそのまま部屋から消失するめい。

 いつ来たのか、そしてそもそも何の用だったのか。それともただ遊びに来ただけなのか。

 まあきっと遊びに来ただけなのだろう。理由があれば残酷なまでにはっきりと言う女、それが狐峰こみねめいという畜生女であると鈴野すずのは知っているのだから。


「……さてな。誰がヘタレだ、くそ狐」


 姿勢を崩し、テーブルの上に残されて食事の跡をぼんやりと眺めながらため息を零す。

 そしてリモコンで冷房を消してから、重い腰を上げて窓を開けてから皿を流しへと持っていき始める。


 現在八月。犬狩いかりかさね──魔法少女レイドッグから連絡が来てから一週間と少し。

 その通達が届いてから休むことなく配信を続けた鈴野すずのは、結月ゆづきと一度も会おうとはせず、チャットアプリのみの簡単な連絡しか行っていなかった。


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お久しぶりです。ゆっくりですが進めていきます。

基本は土曜投稿の予定です。守れるように頑張ります。

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