初めてのお魚さん
集合場所である
無数の人々が行き交うその改札前で、
「……で、電車に遅れて、なのにのんびりコンビニ寄って、それで三十分遅れたんですか?」
「あーはい。そうです。……いや、まじでごめんって」
必死に謝る
容姿だけでごり押した貧相な服装の
だらしない大人がしっかりとした美少女に怒られているという絵面。いつもであれば反論しているであろう
「……はあっ。もういいです。むしろお姉さんらしいですから」
「……年下に哀れまれる私、ごめんよお……」
「だからいいですってば。ほら、もう行きましょう」
「お、おう! もう今日は任せてくれ! お姉さん、どんなものでも奢っちゃうから!」
まだ申し訳なさを全面に引き摺る
そんな情けない大人の姿に、
「んで、今日はどこ行くの?」
「切り替えるの早いですね。……普通に買い物ですよ、買い物」
なんかこうしていると妹が出来たみたいだと、
「ちなみに終わったらお姉さんの服も買います。これからも一緒に出掛けるつもりなのに、それはちょっと刺激が強すぎます」
「ああはい。……って、刺激?」
「はい。刺激です。大体お姉さんはもう少し自分の魅力を理解するべきです。控えめに言って、その恰好は目に毒です」
「目に、毒……」
股をつんつんとしながらそう口にした
にべもなく断言されてしまったその一言に、あんぐりと口を開け反復してしまう
実際、家を出るまでは似たようなことを思ってはいたのだが。
それでも
「目に毒……。私は……人様の目を汚す……毒女……」
「落ち込まないでください。別に貶してはないです」
「……本当? 私汚物じゃない?」
「はい。というか汚物なんて言ってません。もっと自信持ってください。立派な劇毒です」
はっきりと、これ以上ない笑顔でそう宣言した
それを聞いた
「んで、どこに行くんだ?」
「水族館です。ドラねずみさんとコラボしているのでグッズが欲しいんです」
「……ドラ、ねずみ?」
「はい。これですこれ。最近流行り始めたらしいんですよ」
首を傾げた
その画面には墨のように真っ黒で、如何にもマフィアの悪人だという人相と服装で、けれども何故かピンクの帽子を被る一匹のネズミの姿が。
「こ、これが……今の流行りなん……?」
「はい。まあ私も学校で知ったので、ネットのお友達に入り浸りなお姉さんとは無縁でしょうけど」
「……何か棘ない? やっぱりまだ怒ってる?」
「つーん」
スマホを引っ込めつつも、心なしかつっけんどんな態度の
そんな彼女にため息を吐きつつ、
それから
「はえー。今時はビルの上に水族館があんのかー」
「都会だけですけどね。というか、来たことないんですか?」
「うーん……ない。というか、観賞系統は一回もないな。だから今日が初めてだ」
ビルへと入り、徒歩とエスカレーターで目的の階層へ向かう最中に
「ないんですか? 水族館も動物園も植物園も博物館も美術館も?」
「ないな。……ああでも、後ろ二つのどっちかは小学生の時課外授業で行ったことある気がする。どっちだったかは忘れたけど」
学年はもう覚えていないが、班の連中とはぐれて一人で回る羽目になってしまったんだったか。
いやー懐かしい。確かあのとき、寂しくてちょっと泣いちゃった気がする。
今にして思えば不憫で可愛いやつだったよ。私の人生じゃ数えるくらいしかなかった、極々普通の学校行事だったってのにさ。
「……お姉さん。今日は楽しみましょうね」
「お、おう?」
ひんやり冷たく、けれど温かい少女の手。
「……んげ、五千円。高すぎんだろレジャー施設」
「やっぱり出します?」
「出すな出すな。こういう時はお礼でも言って歳上のお姉さんに奢らせとけ」
「……無職のくせに」
聞き捨てならない言葉を無視しつつ、受付で二人分のチケットを購入する
くたびれた財布に入っていた五千円札と引き替えに、水族館らしい魚とペンギンの描かれたチケットを受け取り、いよいよ中へと踏み入っていく二人。
初めてということもあり、実は心の中で結構緊張していた
青光の灯る薄暗い通路を歩いていき、やがて広がった景色に思わず喉を唸らせてしまう。
「……すっげえ」
視界の見渡す限り、幾面にも設置された大中様々な水槽。
ガラスと水の中を泳ぐ水生生物達に、
「……ふふっ。後ろの邪魔なので行きますよ、お姉さん」
そんな
ジャンル毎に区分けされた水槽は、それぞれ異なる生き物を眺めながら、牛歩で館内を進んでいく。
「……でっけえ。共食いとかしないのかなぁ」
「最初に抱くのがそれですか?」
あるときは大水槽に泳ぐ、無数の小魚と大魚の入った水槽の前でそんなことを言いつつ。
「カラフル! カラフルなやつって毒あるんだぜ
「そうなんですか。ちなみに目の前のこいつにはないらしいですよ」
色鮮やかな熱帯魚の水槽の前でどや顔で話す
「カニだカニ! この世の地獄って噂のやつ!」
「それ蟹ですよね?」
あるときは大きなカニの水槽の前で、通じるか微妙などうでもいいことを言ったり。
「深海魚だってよ
「ここでそれ考えます? 普通さっきのカニとかで思いません?」
見たことのない深海魚の前でそんなことを口に出す
そんなこんなで少女よりも大人の方が八割増しの熱烈さでエンジョイしつつ、順当に館内を巡ること一時間弱。
当初の目的であった、シャチの着ぐるみを被ったドラねずみなるマスコットのぬいぐるみをお揃いで購入した二人は、袋片手にしながら満足気にベンチで休憩していた。
「いやーすごかったなあのトンネル! クラゲがわらわらって! 気持ち悪かった!」
「褒めてるんですそれ? ……まあでも、楽しかったですね。私的にはペンギンの方が可愛かったと思いますけど」
「ペンギンかー! あいつ泳ぐのは早いんだなー! 意外だったわー!」
楽しげに体を揺らし、入った頃とは別人のようにうっきうきで話す
まるで歳を思わせぬ少女の顔であると、
「……そんなに楽しかったんです?」
「まあな。自分でも意外だよ……って何だその顔、生温かい目しやがって」
「いえ、お姉さんにもそういう一面があるんだなと。……なんか、可愛いなって」
楽しさを、そして悪戯心を滲ませた声色でそう指摘された
まるで歳を忘れたように浮かれていた彼女は、頬を赤く染めながら照れくさそうに、にこやかな笑みを向けてくる
「お姉さんもそういう風になるんですね。新発見です」
「うっせ。……そんでどうだよ。機嫌、直ったかよ?」
「んー、まあまあですね。あと半日一緒に遊んでくれれば、私も気持ちよく来週を迎えられると思うんですよね」
笑みのまま、あざとく悩んでますよ感のある声色な
そんな少女の顔にまいりましたとため息を吐きながら、
……しっかし本当に図々しく、ガキらしくなってくれたもんだよ。
まだ季節が一個変わっただけだってのに。やっぱり怖いねぇ、思春期の成長ってやつはさ。
「なあ
「……? まあはい。どんな方針でも何だかんだ、私はお姉さんが好きだなってなれるので」
「……そうかよ。じゃあ、来週も楽しみにしておけよ」
無意識に、ふと訊いてしまったの問い。
……ま、こいつに訊いても仕方ねえか。なんせこいつ、厄介ファンだもんな。
まあでも、こういう一癖ある連中に私は支えられてんだ。やりたいことをやりながら、見放されないよう頑張っていかないとな。
「さあて行くか! もう一周して餌やり体験して、それから飯食うから食べたい物考えておけよ?」
「……分かりましたけど、もう一周するんですか?」
「おう! あのクラゲトンネルもう一回観たい。後変な顔の深海魚にチンアナゴ、後は──」
勢いよく立ち上がり、まだまだ足りないとばかりに場所を指折り数える
そんな彼女に
──その瞬間だった。二人を襲った違和感と、世界から喧騒が消え去ったのは。
「あっ?」
「えっ?」
今までいたはずの人々が煙のように消え去った、魚すらいない静寂の世界。
その中で
「な、これって……」
「落ち着け。そんで想像通り、ここは
これは恐らく強制転移。魔法少女を無理矢理
だが恐らく、私達を狙ったものではないはず。
もし私か
民衆を人質にするのでもない。かといって動揺している合間に仕掛けてくるわけでもない。
ならば当然狙いは別。私達は不運にもそれに巻き込まれただけの、運の悪い魔法少女なのだろう。
しかし妙だ。この私が、魔力の発生すら察知出来なかった。
強制転移は結構な大技だ。それも個人ではなく範囲で絞るなぞ、私じゃ匙を投げるくらいには難易度は跳ね上がる。それを浮かれていたとはいえ私の間合いの外から行使するなど、それこそ
まあ実際の
まあでも、実際そこまで離れているはずはない。
せいぜいこの水族館一帯。どれほど広く見積もろうとも、このビル内が範囲の限度だろう。
「……きな臭い。それ以上にむかつくなぁ」
「どうするんです?」
「決まってるだろ。元凶をぼこして目的を吐かせる。そしてその後、謝罪を貰ってその金で昼飯だ」
変身しつつ
以前よりも滑らかに、一端の魔法少女らしく変身出来るようになった少女をにやつきながら、
下か。急速に離れていきやがる。
そうか。始まりが範囲ギリギリで後はひたすら逃亡してるから距離があるってわけか。
「下だな。ほらいくぞ。昼飯は一グレード上げて考えてとけよ」
「……じゃあ焼き肉で。高いやつ、食べたいです」
「……本当に年頃? 臭いとか気にならないの?」
「なりません。私も邪魔されていらいらしてるんです。さっさと処理してしまいましょう」
補足した複数の魔力を共有すると、
そんな少女にやれやれと首を振り、
誰もいないのだしと懐からシガレットを取り出して咥え、回れなかった二周目を名残惜しく思いながら、ゆっくりと彼女の後を追って水族館を後にした。
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