期間と祝福に鐘の音を
無職少女、鈴野姫
「というわけで今日はこれで終わりー♥
部屋へ響く、砂糖のように甘ったるい猫撫で声で締められる配信。
そこは彼女以外の誰もいない、吸音材塗れの壁に、服や雑貨やペットボトルが床に散らばった何ともまあ汚い六畳間。
テレビもエアコンもない中でただ一つ現代的なパソコンの前で、彼女は貼り付けていた笑顔を虚無へと戻しながら、デスク側の灰皿の中で中途半端に残った一本を手に取って躊躇なく咥える。
「あ゛ーだるい。あ゛ー、あ゛ーっ」
先ほどまでの胸焼けしそうな媚び声とはまるで違う、この世の汚泥を練り上げたようなため息。
そんな辛気くさいものを吐きながら、ほっぽられたライターで煙草に火を付け、濁った煙を体内へと潜り込ませていく。
「ふーヤニうめー。やっぱシケモクしか勝たんわー。これで税金取るの人類の罪だろー」
そんなこの世の地獄みたいな発言をしながらマウスを動かし、画面をぼんやりと眺め、三秒も経たないうちに顔をしかめる。
「総視聴者数145、対して登録者-32。……
今彼女が眺めているのは、自身が活動している動画サイトでの諸々の数字である。
さして伸びもせず、それどころか人は離れていくのみで、かろうじて収益化の通った配信。
活動名、魔法少女ベル。その名の通り、いかにもな魔法少女というキャラクターで活動するVtuber。
現在のチャンネル登録者は1458人。
Vtuberという存在の中でも下の方に位置する、所謂個人勢の底辺配信者というやつである。
被っている
声だってそこらで萌え声気取っているやつよか遙かに馬鹿共の需要に応えているとは思う。
けれど伸びない。ゲーム、ASMR、雑談、激辛一気食いなど、俗に言うそれっぽいことは一通りやってはみたが、やはり結果は芳しくなく。
無情にも跳ねることのない数字で活動するも、最近は初期からいた古参のコメントすら見なくなる始末だ。
「あーくそ、マジで世の中ゴミ。私が輝けない世の中とかまじで肥溜め以下だわー」
虚空へと独り言つその嘆きは、何ともまあ惨め極まりないもの。
ぼさぼさの黒髪。黒縁で片方のレンズが外れた眼鏡。そこそこ膨らんだ胸を隠しきれない、紐の伸びきった下着だけ。そして風呂に三日ほど入っていないからか、少々眉をひそめたくなるような臭い。
いずれもつい先ほどまでネット上で笑顔を振りまいていた、
まさに掃き溜めの野良犬。顔と身体が良いだけの社会不適合者。それが今の彼女──
「……ほんと、なんでこんな大人になっちまったのかなぁ」
発作感覚でつい呟こうが、そんな問いに答えてくれる者などいやしない。
そんなことは
所詮は負け犬の遠吠え。……いや、遠吠えと言うことすら失礼な消沈に心を浸しながら、かちかちと適当にマウスを動かして適当に動画を再生する。
『はいおはこんこん♡ 貴方の未婚の嫁入り系vtuber
「なーにがおはこんこんだ。一丁前に弱者に媚び売ってんじゃねえよ、どうせ裏で上役のマスしゃぶって仕事貰ってんだろうがこの
にこやかに配信を進める
平均視聴者数一万。総登録者数百二十万。そして去年一回の配信で最も多くの投げ銭を貰った女。
それが今画面に映っている
だがそれでも、収入という一目瞭然の差への僻みが薄れるということは決してない。
就職出来ずともだらだらとアルバイトはしていたのだが、つい先月に働いていた店が閉店し、なんのやる気も起きずに実質プーの汚物製造器になってしまったせいかと言われればそうでもなく。
つまりは性根からの嫉妬、それのみ。呆れ返るほど度し難い女であった。
「あ゛ー気分ごみぃ。世界はいつだってゴミだらけー」
とはいえ所詮、妬みなどは瞬間の火。
場末の掲示板でこの絶賛人気者のアンチ活動でもしてやろうかと、そんな気も熱意も起きず。
煙を出さなくなった咥えた燃えカスを灰皿に捨て、尽きてしまった精魂のまま大きく息を吐き、そしてぎしりと軋ませながら椅子から立ち上がる。
「……あれやっか。いらつくし」
持ち物は財布と画面の割れたスマホだけ。邪魔なだけな眼鏡は外して投げ捨て、傷んだ帽子で髪のだらしなさを誤魔化すいつものスタイルに。
そうして汚れたスニーカーを履き、雑に扉を開けて今日初めての新鮮な空気を浴びる。
外は既に昏く、夕暮れから夜へと姿を変える最中。
大多数の人は一日を終え、帰宅を始め、健やかな一家団欒としゃれこむのだろう。
「……はっ、阿呆らし」
その嘲りは、果たして誰に向けてのものなのか。
考えた所で意味はない。きっと彼女自身、ただの衝動でしかないのだろうから。
かんかんかん、と音を立てて階段を降り、時折欠伸をしながらだらしなく道を歩く。
歩くこと数分。最初は最寄りのコンビニへ。
電子マネーで水とカップ麺、それと煙草を購入し、雑に電子マネーで会計を済ませて早々に店から出ていく。
お菓子、雑誌等の余計な物は興味もないので視界に入れず。
「残金残りきゅうせんえーん。口座の残りはじゅーまんえーん。家賃は一月ろくまんえーん!」
早速買った水を歩き飲み、何ともまあ悲壮感漂う歌を適当に口に出す
まだ振り込みの終わっていない給料まで考慮しても残り二月が精々。
食費だ光熱費を考慮すれば、おおよそ一月程度しか保たないが、何故だかどうにもやる気が出ず。
就活もめんどい。新しいバイト探しもめんどい。けれど頼る先なんてありやしない。
そんな調子だというのに、
「あー到着っと。うーん誰もいない、人払いの手間が省けんなぁ」
そんな彼女が歩くこと十数分。到着したのは人気がなく、街灯一つ置かれただけの公園だった。
お世辞にも外で遊ぶのは似合わない風貌の
このまま居座れば通報まではいかずとも、通りかかる近所の方にひそひそ声で囁かれてしまいそうな彼女だが、何一つ気負うことなく唯一ある遊具である滑り台へと荷物を放り投げた。
「ごほんっ……
胸に手を当て、それを唱えた瞬間、光が
そして現れたのは、先ほどまでそこにいたはずの
長身である
けれども日本中の中学校を探しても見つからないであろう、短く艶のある桜色の髪。
そして服装は野暮ったいジャージなどではなく、まるでテレビの中から持ち出してきたと思えるほど精巧に作り込まれたドレス。
いずれもが
だが生憎、彼女は瞬間着替えコスプレイヤーなどではない。
そう、彼女──
──さて。それではそんな彼女が、なにをしようとしているかと言うと。
「はーいみんな久しぶりー♡
はい。そういうことである。
つまりは
「えー衣装が高クオー? ベル可愛いー? えへへー嬉しいなー♡」
文字でしかないぺらっぺらの賞賛に、
魔力でスマホをふわりふわりと浮かし、自身は照れくさそうにお礼を言う。
無職のゴミカスになってすぐ、やけくそ衝動で一回試してみたら大はまり。気がつけば週一くらいでのストレス発散となってしまっていた。
……ちなみにだが、Vアカとはまったくの別口である。まあ活動名は同じベルだけども。
「えーベル小学生じゃないよー! ……あ、そろそろ五分経つからおしまいねー♡ ばいばーい♡」
画面に手を振り、画面が完全に停止したのを確認して一息ついた
五分。それが魔法少女の姿で配信する際、自らに課したせめてものルールだが別に変身時間の問題などではない。
そもそも魔法少女は世間ではただの絵空事でしかなく。その存在は秘匿されるべきものであるからにして。
つまり、行為自体が他の魔法少女に大きく迷惑を掛けることに繋がるのだ。
なお
「はー楽しいぃ! やっぱ馬鹿共の賞賛は五臓六腑に染み渡るぅ……」
自宅にいた時とは正反対の笑みで先ほど捨てた袋を拾い上げる。
袋から煙草を取り出し、慣れた手つきで一本出して火を付け、噛み締めるように吸い始める。
「あ゛ー美味え……。やっぱモクはおニューに限るわぁ……。心も体も満たされたわぁ……」
ベンチがあるというのに平然と地べたへ尻を付け、感無量と言わんばかりに顔を緩め味という悦に浸る。
静寂に煙、そして賛美。それらは酒や自慰よりも遙かに己を満たしてくれるスパイス。
端から見れば若い少女が非行に走っていると通報されそうな絵面だが、それら全てが
これが今の
例え現実がどれほど上手くいかずとも。そう遠くない未来、更に困窮する事になろうとも。
「んーすっきりぃ! さてかーえろっ……あ?」
そうして半分ほど吸い終わり、少し肌寒くなってきたので帰ろうと立ち上がった時だった。
思わず顔を歪ませた
それはつまり、魔法少女が限界を迎えようとしている。発生した悪に敗北し、今にも力尽きてしまいそうだということに他ならない。
場所は近い。というかほぼ目前。より正確に言えば、首を上げればすぐ側に。
そしてその直後、それは大きな音と共に公園と墜ちてくる。
「……はあっ。せっかくの余韻を台無しにしやがって。少しは気張れや
舞った土煙の中で悪態をついていると、ふと自身に違和感を覚えてしまう。
確かに落下地点は
いや、それでも確かに何かが起きた。何かもっと小さく、けれども私的に見過ごしてはならない何かが……あっ。
「ホーホッホッホッー!! どうしたんだい魔法少女ッ!! お前の力はそんなものかッ!?」
「く、くそっ……」
土煙が晴れ、やがて姿を見せ、傷だらけになりながらも立ち上がろうとするのは、頭に髪飾りを付けた青髪の少女。
そしてそんな彼女を見下ろす女性は、絵の具で描いたような青い肌と如何にも悪魔と言わんばかりの一対の翼を羽ばたかせ、ゆらりと長い尾を揺らめかせながら、上空にて不敵に笑みを浮かべている。
──そんなことはどうでもいい。そんなことは、今大した問題じゃあないんだッ……!!
「見なッ!! お前が弱っちいせいで人が巻き込まれちまったじゃないかッ!!」
「え、嘘っ……!? そ、そんなっ……!?」
嘲りながらの指摘に魔法少女はようやく
だが
そして地面へと視線をずらせば、そこには確かに転がっている。
先ほどまで
「に、逃げてくださいっ……!! ここは、危険で──」
「お前が危険にしたんだよォ!! えェ!? 魔法の碌に使えないへっぽこ魔法少女様がよォ!!」
煩いなぁ、特にそこでピヨピヨ浮いてるだけの糞アマ。
その勝ち誇ったようなにやけ面と声が癪に障って仕方ない。
なあお前。この私の数少ない至福を潰しておいて、どうしてお前は笑っていられる?
気に入らない。……嗚呼ァ、本当に気に入らないなァ?
「さあて終いだッ!! 大人しくエネルギーを寄越し──」
青肌の女が止めの一撃を放とうとし、黒髪の魔法少女が強く噛み締めた、その瞬間だった。
突如として轟く破裂音。そして次の瞬間、青肌の女は地へと叩き落とされる。
「なっ、何が──ぐっ!?」
「ざけんなよてめえ。私の大事な大事なケムリクサちゃんに何してくれたんだッ? あァ?」
立ち上がれない青肌の女に近づいた
「そ、その格好……。お前まさか魔法少──」
「んなことどうでもいいんだよ。……ああ、もういいや。これでチャラにしてやる、よッ!」
呻く青肌の女に、大きくため息を吐く
直後、青肌の女を軽く空中へ放り、光る拳を勢いよく振り抜いて彼女を果てまで吹き飛ばした。
「おーぼーえーてーろーッ!!!」
「
周囲へ響く重厚な鐘の音。そして女はきらーんと煌めき、あっという間に断末魔と共に星になる。
その吹き飛び具合に満足したのか、
「あーすっきりした。んじゃ、とっとと帰って夜配信でもしよっと……」
すでに先ほどの悪魔女のことなど頭になく。
気分はこの後何のゲームをしようかと悩みながら、吸い半ばで散った
……あ、やべっ。そういやいたなこんなガキ、いかんっぜんに抜けてたわ。
場を支配する沈黙。
どちらかの姿を見られるなら別に構わないが、両方というのは非常にまずい。
魔法少女の正体バレ。それはつまり、情報戦のアドバンテージを一つ握られたようなものだ。
どうする。口を封じる……いやなし、ガキ相手に手を上げたくない。
じゃあ忘れてくれって金を握らせるか? ……いや、私のお財布にそんな余裕は──。
「あ、あのっ!!」
急に上がった大声に思わずびくつく
「助けてくれてありがとうございますっ!! 私を弟子にしてください!!」
大きく頭を下げた少女のお願いに、
嗚呼、嫌な予感ほど良く当たる。……はよ帰ってヤニ吸いてえなぁ。
────────────────────
読んでくださった方、ありがとうございます。
良ければ感想や☆☆☆、フォローや♡等していただけると嬉しいです。作者のやる気向上に繋がります。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます