第7話 嘘の発覚・障害者という自覚
私は扉を開けて、トーストをかじっているユキナに向けて、顔をしかめながら言った。
「ごめん、予定ぜんぶキャンセルで。だるくて仕方ないから今日は寝かせて」
「わかりました。今日はバイトがあるので二十二時に帰ります」
これまで動きまわれたのが奇蹟だったのだ。五日目にして、地面に吸収されようとしているかのような体の重さに、耐えきれなくなった。ユキナは心配しておかゆでも買ってこようかと言ってくれたが、「風邪じゃないからそういう心配はいらない。夕飯は作れるように努力するから」と断った。大学に行くユキナを寝間着のまま見送り、私は布団に戻った。いろいろな夢をみた。統合失調症になってからストーリー性のある夢を多くみるようになった。いや以前からストーリー性のある夢はみていたが、最近見るのは起きてからも一瞬現実にあったことなのかと錯覚するほど現実味のある物語がある夢たちだ。その多くに私は私として登場しない。顔も名前も見知らぬ、新キャラだ。映画や漫画みたいに面白いので、夢は私の娯楽のひとつだった。
二十時になってアラームが鳴るまで一瞬のことだった。アラームに起こされて、私は米を洗って、炊飯器のスイッチを押した。夕飯は炒め物にした。二十二時になると、ユキナが帰宅して、風呂に入ってから一緒にごはんを食べる。ユキナはコンビニでバイトをしている。今日来た客の愚痴などを聞きながら、ごはんを食べ、べつになんということもなく、一日が終わる。
そろそろ帰らなければならないと、心に重くのしかかるように、感じてはいた。
シゲ:いまどこにいるの?
Saki:どこって、美香の家。いまは旭川だよ。
そういう会話のあとに、寝てしまったのだが、
シゲ:よく嘘がつけるよな。
朝、目覚めるとそういうメッセージが入っていた。母親からも数件不在着信が入っている。まさか居場所がばれたのか、なぜ、と困惑しているうちに電話が鳴る。茂樹からだった。電話に出ると、「おい」と怒鳴られた。茂樹の怒りは予想の範囲内とはいえ、実際に怒鳴られると反応に困ってしまい、無言になる。「黙るなよな」「浮気者」「淫乱女」などと罵倒を並べ立てられるうちに、なにを誤解されているのかわかって、ようやく反論の言葉が浮かんできた。
「誤解しないで。浮気なんかしてない。ただ旅行してるだけ」
「将来の旦那に言えない旅行なんか、浮気相手との旅行に決まってるだろ」
「違うよ。本当に一人旅なの」
ユキナのことはできれば言いたくなかった。言ったら、ますます誤解を深めるに決まっている。
「どうしてわかったの、美香のところにいないって」
「紗季の親御さんが、おみやげを持ってきたときに、紗季が美香のところにいっていていないと言ったら驚いて。俺の目の前で美香に連絡をとって、美香のところにもいないってわかった」
「……そうなんだ」
そういえば両親は温泉旅行に行ってくると、この前電話口で言っていた気がする。両親はもう定年退職しており、年金で暮らしている。同市に住んでいるので、たまに晩御飯のおかずをもらったり、私たちがちょっとしたお菓子を買って渡しに行ったりと、交流は盛んだ。だがそういうばれかたをするとは思わなかった。私の母親は美香とLINEで繋がっているが、両者から交流しているという話は今まで一度も聞いたことがなかった。私が高校生のときにガラケーからスマホに変わりはじめて、LINEというアプリが話題になったときに母親と美香は繋がった。それきり連絡はしあっていないものだと思っていた。油断した。
「ともかく、はやく帰ってこい。どこにいたのかは後で聞く」
「…………」
「てかさー、一人旅が事実だとしても、なんていうか、現実からの逃避ってやつ? 障害を持っているって俺だっていろいろ我慢してきたのに、こんな仕打ちないよな」
「そんな言い方ないじゃない」
そんなことを言うつもりではなかったのに、口が勝手に動いた。
「私だって病気になりたくてなったわけじゃないのに、こんな自分になりたくてなったわけじゃないのに、障害者って決めつけないでよ」
ぶちっと、擬音がつきそうなほど勢いよく私は電話を切った。もう一度、電話がかかってきたが、私は電話に出なかった。そろそろ出社時刻だから、電話は止むはずだった。母親にも電話すべきだったが、今は誰とも冷静に話せる気がしなかった。
布団の中でもぞもぞとしていると、ユキナが「大学に行ってくるよ」と扉越しに告げた。私は「ごめん今日も調子悪い。いってらっしゃい」と返した。鍵の閉まる音がして、人の気配が消える。
Twitterを開くと風俗嬢の裏アカウントが「やべーww今日の客、頭にアルミホイル巻いててさ、私にもアルミホイル頭に巻く健康法を勧めてきたww」とつぶやいているのが、バズっていた。そのお客さんが「5Gの電磁波攻撃で体調が悪くなる。アルミホイルで思考盗聴も防げる」という主張をしているメッセージに風俗嬢が「今日アルミホイルを巻いてもらって、肩こりとか良くなった気がしました」と否定せずに返信してあげているスクショも添付されている。リプライ欄には「それって統合失調症……」「面白い健康法ですね」「返しが優しい」などついている。
もうそっとしておいてほしい。統合失調症の人が傍から見たら面白い行動をしているのはわかる。常識から外れた、おかしな、奇異な行動をしているのもわかる。でも、もう、ほうっておいてよ。笑ってもいいけど、私の見えないところでやってよ。
風俗嬢の裏アカウントに「投稿を見て傷つきました。消去してください」とリプライを送りそうになったが、そんなことしたらネットの世界でも頭のおかしな人として認定されてしまう。私はこらえて、このアカウントをブロックした。
どうにもならない怒りで頭を掻きむしりたくなるが、そんなことをしても痛いだけというのはわかっているので私はぎゅっと布団の中で丸まった。
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