第十話 六諸侯の知識・ジェバ(2)

 ここで、イベントについて少し説明を加える必要があるだろう。


 今回のようなジェバとの交渉は、『スプリガン・ゲート』のゲームシステム上は『イベント』という扱いになる。


 イベントにおけるNPCノンプレイヤーキャラとのやりとりは、AIとは別のロジックで処理される。


 つまり、イベントの間は、ゲーム制作者が設定した条件によってNPCの思考や判断が制御されるのだ。


 汎用AIによって動作するNPCの性格は大変に自然で、まるで生きている人間のように動く。


 しかし、イベント中のNPCは会話相手や勇者の能力、システム変数などによって動くため、途端にゲーム的な動作をするようになる。


 このあたりのチグハグさは、プレイヤーによって賛否両論あったものだが、俺はそのシュールさが割りと好きだった。


 しかし、こうして自分がゲーム世界の住人になってみると、この『イベント』という存在には不快感を覚えざるを得ない。


 それは、AIが作り上げた美しい世界を破壊するもののように思えるのだ。


 陳腐なセンチメンタリズムだと言われてしまえばそれまでだが。


 ……話を戻そう。


 このジェバとの会話についていえば、まず最初に汎用的な交渉力判定が行われる。


 交渉力判定には、対話する者同士の魅力と社交のステータスが用いられる。


 俺の魅力値は30。対するジェバの魅力値は、記憶が正しければ10程度。社交値は俺が30で、ジェバが10。


 魅力と社交の値の合計が相手を上回っていれば、イベントでの交渉を有利に進めることができる。


 俺の方から愛想よくしていれば、無碍にできないはずだ。


 ジェバは忌々しげに喉を鳴らしつつ、俺に向かって問うてきた。


「……まあ、よかろう。話を聞いてやる。──用件は、封印の鍵だな?」

「はい」


 俺は心の中でほくそ笑んだ。ここで追い返されないということは、交渉力判定は成功したということだ。


 問題は次だ。


 ──俺には、勇者の代わりに試練を受ける資格はあるのか。


 もしも勇者の代わりに、俺やシルクが試練を受けることができるなら、手分けして封印の鍵を手に入れ、宝珠の封印を解くことができる。


 それができないなら、実際のところ、完全に詰みだ。この勇者には、全てのイベントを攻略する能力がないのだから。


 早々に封印の鍵を諦め、王都からの避難に目標を変更しなければならない。


 次のセリフだ。


 次のセリフが、今後の俺達の運命を決める。


 ジェバは頑固さの滲む目で俺を見やると、しかつめらしく問うてきた。


「……封印の鍵をそなたが欲しているのならば、わしはそなたに試練を与えねばならんが……」


 ジェバは俺の瞳の中を覗き込むと、わずかに口の端を持ち上げて笑った。


「──なるほど、そなたには、宝珠を持つ資格があるかもしれんな」


 俺は心の中で快哉を叫んでいた。


 ジェバの言葉は、知力判定が成功したことを意味する。俺の知力は50ある。この日のために必死で勉強して知力を高めてきたのだ。


 ジェバは、俺をイベントの攻略者として認識した。

 これなら、勇者一人にイベント攻略を任せずに済む。


 言い換えれば、他のNPCにイベント攻略を任せることもできる、ということだ。

 王国滅亡の運命回避に向けて、これは大きな前進である。


「そなたに、試練を受ける『意思』はあるかね?」

「はい!」

「では、試練の内容を言い渡す。──これより、わしはそなたに十の設問を課す。その設問の全てに答えられるなら、わしはそなたに封印の鍵を譲ろう」


 この十の設問こそ、このイベントの目玉だ。

 だが、俺はすでに勝利を確信していた。なんといっても、俺はこのゲームのデバッガーだったのだから。全問正解など朝飯前だ。


「問いの一。我が王国が立憲君主制を取るに至るきっかけとなった出来事は何か?」

「六条の王令の発布」

「正解。問いの二……」


 第一問を聞いた時点で、俺の頭には全ての問いに対する答えが弾き出されていた。問題のパターンは三パターンしかない。プレイヤーがポカしなければ、全問正解は容易い。


 このイベントが難しいのは、この時点で知力50を達成するのが困難だからだ。そこさえ突破してしまえば、あとは余裕なのである。


「問いの十。アルバトロス山には三つの山道がある。ホーク山道、オウル山道、最後の一つは?」

「ラプター山道」

「……正解。全問、正解だ」


 おおー、と、背後でシルクが感嘆の声を上げる。その隣で、勇者がパチパチと定型アクションの拍手を送ってくれた。


 俺は満面のドヤ顔をジェバに向けて言った。


「いかがです、ジェバ卿。私には、封印の鍵を手にする資格があるとみえますが」

「よかろう。そなたに封印の鍵を渡そう。受け取るが良い」


 ジェバが手のひらを差し出すと、その上に白い鍵の姿が浮かび上がった。

 知識の封印の鍵だ。


 その鍵を掴むと、俺の手の中に暖かな感触が伝わってきた。


 第一の関門は、難なく突破だ!



 ◯◯◯◯◯◯◯



「ニャんだよ、アイツ! アタシのことニャめやがってさ!」


 館を出た途端、シルクがプリプリと頬を膨らませて怒り出した。俺は猫なで声を出して、彼女をなだめる。


「気を悪くするな、シルク。それより、まずは第一の作戦成功を喜ぼうぜ」

「でもさあ!」


 なおも不満を垂らそうとするシルクを無視して、俺はたった今手に入れた鍵を空に放り投げ、そしてガッチリと掴む。


「それに、もう一つ、極めて重要な情報が手に入った」

「極めて重要にゃ情報?」

「ああ──」

「もったいつけんニャ! はよ言え!」


 たしたしと繰り出される猫パンチをかいくぐりつつ、俺は答える。


「勇者でなくとも、封印の鍵はゲットできるってことだよ。つまりは、俺でも試練を受けられるってこった」


 シルクはしばし思案げに顎を掻いていたが、やがて瞳をキョロっと動かしておもむろに尋ねてきた。


「それは、つまり、アタシでも鍵の試練に挑戦できるってこと?」

「……ま、そういうことになるな」


 そう言ってやると、シルクはしばしの間仏頂面で黙りこくっていたが、ふいに破顔して頭を掻きだした。


「ニャはは! 仕方ニャいニャあ! ついにアタシが英雄にニャる時が来たってわけね!」


 身をくねらせて、ゴロゴロ言っとる。

 ……一応、釘を差しておくか。


「……お前の出番はねーんじゃねーかな」

「ニャんでだよ! あるかもしれニャいだろ!」


 まなじりを釣り上げて、シルクが喚く。

 俺はうんざりしつつ問うた。


「どーして、お前はそんなに試練を受けたがるんだよ」

「だって、カッコいいじゃニャいのさ。六諸侯の試練に挑むニャんて、まるで英雄みたいじゃニャいか」

「理由、浅っ!」

「うるせー!」


 シルクの猫パンチがパシパシと飛んでくる。

 軽いじゃれ合いを演じたのち、シルクは背筋を伸ばして己の二の腕で力こぶを作ってみせた。


「じゃあ、さっそく次の試練でアタシの力を見せつけてやろうかニャ?」

「あー……ちょっと待て……」


 俺は空に視線を向けると、心の中でスキル発動の文言を唱えた。


 ──即時展開、『システムデータ』。


 すると、空中一面に、大量の文字列が一瞬にして浮かび上がってきた。


『システムデータ』コマンドは、文字通り、システムデータを表示する。


 システムデータというのは、キャラクター毎ではなくゲーム全体に影響するデータのことだ。ゲームの進行状況を管理するためのフラグや、ゲームの開始時間などがデータとして保持されている。


 そして、『即時展開』コマンドは、データを一括で表示する。二つのコマンドを組み合わせれば、システムデータを一括で表示できるというわけだ。


 俺は空を一通り眺め、目的の情報を探す。


 もとい、今回は、目的の情報がことを確かめていた。


(システムデータに、パッチが当てられた形跡はない。──ということは、『あの技』を実行できるな)


 俺はシルクに向き直り、方針を告げる。


「悪いな、シルク。次の試練も、俺にまかせてくれ」


 シルクの顔色が、にわかに曇った。

 彼女は疑わしげな目つきで俺を睨む。


「……ジェイド。アンタ、今、何を見てたんだ?」

「別になにも……。考え事をしていただけだ」


 この能力のことは、誰にも教えていない。シルクだけではなく、ベリルにも、両親にもだ。


 当然のことだろう。人の秘密を勝手に見ることのできる能力を持っていると知られれば、みんな気味悪がって俺に近寄らなくなる。


 そうなってしまったら、まともな社会生活などできなくなる。


 この能力のことは、墓場の中まで持っていく秘密にするつもりだ。


 シルクはしばしの間不満げに目を吊り上げていたが、やがて諦めたようにため息を吐いた。


「……まあいいよ。──それで? 次は誰の試練を受けるつもりニャんだ?」

「──六諸侯の真理・タルフ」

「どんニャ試練ニャんだ?」

「知らん。行ってみてのお楽しみだな」


 そう嘯いて、俺は歩みだす。


 そんな俺の頭の中では、既に真理の鍵入手の算段が完璧に組み上げられていたのだった。







(あとがき)


一話がちょっと長かったので前後編に分割しました。

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