第二十七話 青の宝珠の封印
王城の中央には、天を摩する巨大な尖塔がそびえ立っている。
尖塔の頂上には、アルバトロス王国の国宝たる『青の宝珠』が封印されている。
宝珠は黄昏時の空の下にあって、青く明星のように輝き、城下町の人々の生活を照らしていた。
白亜の尖塔は百メートル以上ある高層建築だ。
塔の内側には螺旋階段がめぐらされている。
長い長い階段を、一歩一歩、息を切らして登り切る。
屋上の床の下から顔をのぞかせた瞬間、強い風が俺達の額をなぶる。
床の向こうに、夕焼け空が見えた。
尖塔の頂上は吹きさらしになっていて、巨大な天蓋を六本の太い柱が支える構造になっている。
屋上の中央には大理石の台座が設けられ、その上に、目的の『青の宝珠』が、激しい光を噴出しながら鎮座していた。
そして、台座の周囲には別の小さな台座が六つ建てられており、その台座の上には小さな鍵穴が穿たれていた。
この小さな六つの台座が、封印の台座だった。
台座同士を結ぶように、うっすらと虹色の魔法壁が見える。
それが、何人をも寄せ付けぬ、宝珠の封印だった。
俺とシルクはうなずきあい、めいめい手にした封印の鍵を、その台座の鍵穴の中に差し込んで回った。
最後の鍵を差し込むと、魔法壁が真っ白に瞬いて、やがて溶けるように消えていった。
魔法壁を失った結果、宝珠の光はますます激しく周囲に飛び散った。
俺達はその激しい光から目を守りつつ、ひとところに集合した。
眩しそうに目を細めつつ、シルクがつぶやく。
「……ようやく、ここまでこれたね」
「ああ、そうだな……」
しばしの間、俺達は夕陽でも見るように、光り輝く宝珠の姿を眺めていた。
やがて、俺はクレセントに向き直ると、その肩を力強く叩いた。
「よし! じゃあ、クレセント、頼んだ!」
「はい!」
頬を引き締め、クレセントが頷く。腕まくりをする定型アクション。
すると、シルクが首を傾げ、俺に問うてきた。
「ん? クレセントが何かやるのか?」
「ああ。宝珠はクレセントが持つ。イルゲイルを倒すのは、クレセントだ」
にわかに、シルクの顔に怪訝そうな表情が広がる。
「……ニャんで?」
俺が答える前に、シルクが身を乗り出して、言葉を重ねてきた。
「ニャんで、そいつに渡すんだよ? 宝珠は、ジェイドが使うんじゃニャいのか?」
そういえば、こいつには説明していなかったか。
まあ、最初はシルクを計算に入れていなかったからな。
俺は深呼吸を一つしてから、彼女を刺激しないよう、努めて穏やかに答えた。
「こいつは俺より強い。それに、こいつなら、宝珠の力に飲まれて暴走することもない。だから、宝珠はこいつに使ってもらうのがベストなんだ」
ハア? と、明らかな不満がシルクの喉から漏れる。
──嫌な流れだ。彼女のメンタルケアをミスったか。
シルクは俺に詰め寄ると、爪のはみ出た手で俺の胸を突いた。
「試練を越えてきたのはアタシ達二人だろ!? ニャら、それを使うのは、アタシ達二人のどっちかだろ! そんニャ、何もしていニャい奴に……」
忌々しげにクレセントを見やるシルク。
心外と言いたげに、口をとがらす定型アクションをするクレセント。
二人の女の間で板挟みになりながら、俺は必死にクレセントの弁護に回った。
「お前がルタの試練をやってるとき、こいつはダルクの試練のために地味に力を発揮してくれたんだ。何もしていないわけじゃない」
「そんニャこと、知らんがニャ!」
悲鳴にも似た声が、尖塔の屋上に響き渡る。
存外大きく響いた己の声に驚愕したのか、シルクはおろおろと動揺し、声をひそめる。
その瞼の端には、涙のようなものがにじみ始めた。
「ニャんで……? どうして今更、そんニャ無責任ニャこと言うの……?」
悲しそうな声で言われると、言葉に詰まる。
俺は彼女から目をそらして言い募った。
「俺は俺の責任を果たしてきたつもりだ。ここからは、勇者の領分なんだよ。分不相応な力は持つもんじゃない。俺達の役目は、宝珠の封印を解くまでだ。宝珠は、クレセントが使う。最初からその約束で、俺はこいつと組んだんだ」
「……はい」
そう。
このクレセントと宿屋で初めて会話した日、俺達はそういう取り決めで手を組んだ。
宝珠の力は絶大だ。
この世界の誰もが、心の底でその力を求めている。
そして、このゲームを進めてゆくと、NPC同士で宝珠の奪い合いが始まるようになる。
宝珠を手にしたNPCは、どうなるか。
多くの場合、その力に溺れる。
誇大な妄想に取り憑かれ、狂気に陥ることになる。
そうした者達の末路は、悲惨なものだ。
同じように宝珠を求める者によって殺されるか、専横が過ぎた挙げ句、正義の名の下に討伐されるか。ほぼその二択しかない。
そして、これがいちばん大事なことだが。
俺もシルクも、所詮この世界ではNPCの一人に過ぎないのだ。
イベントによって完全に制御された魔王や、プレイヤーによって制御される勇者とは違う。
俺達は自我を持ち、自律的な思考を持ち、欲望を持つ。
だからこそ、尊く、だからこそ、弱い。
俺は、自分を敢えて狂気の淵に追い落とすような真似などしたくない。
ましてや、シルクをそんな危険な目にはあわせられない。
そんな意味のことを、シルクに語って聞かせようとした。
だが、途中まで話したところで、彼女は俺の話を遮って怒鳴った。
「力が怖くて国を守れるかよ! この国を守りたいって言ってたのは、嘘かよ!?」
「守りたい気持ちは嘘じゃねえよ! だが、凡人には凡人の戦い方ってもんがあるんだよ! 俺達は、どう足掻いたって勇者にはなれねえ!」
「見損ニャったよ、ジェイド!」
シルクのアーモンド型の瞳から、一粒、涙がこぼれ落ちた。
その目が、見る間にすわってゆく。
明白な怒りが、その瞳の中に燃え始めた。
やがて彼女は、呻くような声で、こうつぶやいた。
「……アンタが宝珠を使いたくニャいってんニャら、アタシが使ってやるよ。アタシにだって、その権利はあるはずだからね」
一瞬の静寂の後、シルクの身体が疾風のように動いた。
青い光を突き破り、宝珠の元へ、一目散に飛び込んでゆく。
慌てて彼女の尻尾を追ったが、間に合わない。素早さは、おそらく彼女の方が上だ。
シルクの肉球が宝珠を掴む。
更に激しい光が、宝珠の内奥から迸る。
だが、彼女の足は止まらない。怯むことなく走り続ける。
迷いなく彼女は駆けてゆく。空の見える屋上の端に向かって。
──飛び降りる気だ……! この尖塔から!
宝珠を掴んだ者は、瞬時にその力の限界を理解する。
自分にどれほどの力があるのか、手にした瞬間わかるのだ。
ゆえに、彼女は跳んだ。
手すりもなにもない屋上の縁から、空に向かって。
振り返ることもなく。
──バッキャロー、逃がすかよ……!
空に落ちてゆくシルクを追って、俺もまた屋上の縁を蹴った。
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