第二十三話 六諸侯の愛・ルタ(2)

 シルクが愛の試練への挑戦を開始してから、三日が過ぎようとしていた。


 三日目の夕刻までに、シルクとルタの間の親密度がMAXになれば、試練は成功。シルクは封印の鍵をゲットできる。


 こんなことを考えるのは良くないかも知れないが──。


 もしも、彼女が失敗した場合には、俺がこれから三日使って、ルタと交流しないといけない。


 しかし、未だ名声値は目標値に達していない。


 この状態で、三日という時間をルタの試練に専有されるのは、かなり厳しい。


 できれば、シルクには試練を突破してもらいたい。

 それが俺の切実な思いだった。


 そして、三日目の夕刻。


 退治依頼と討伐依頼を一つずつこなした俺とクレセントは、その足でルタの屋敷を訪れた。


 退治依頼のお陰で戦闘回数は250を超えたが、未だ名声は100に満たない。


 俺の頭の中はいまや、スケジュールのやりくりでパンクしそうになっていた。


 気もそぞろな中で、召使いに案内を頼む。


 召使の話によると、シルクとルタの二人は今、中庭にいるとのことだった。

 そこで、俺達は玄関のホールを突っ切り、中庭に向かった。


 バカでかい屋敷であるからして、中庭もまあバカでかい。

 広さとしては学校の校庭くらいはゆうにある。


 俺達は迷路のような生け垣を端からめぐり、シルク達の姿を探した。


 庭の中央にある噴水に差し掛かったところで、生け垣の向こうから、甘ったるい少女の声が聞こえてきた。


「もう夕方になっちゃったね……」

「うん……」


 ようやく見つけた。シルクもどうやらそこにいるらしい。

 俺達は生け垣に隠れて、二人の会話を盗み聞いた。


「……ねえ、シルク、知ってる? 宝珠を七つ集めるとね、龍が現れてどんな願いでも叶えてくれるんだって」

「へえ〜〜〜〜。そうニャのか。じゃあさ、ルタは、願いが叶うとしたら、どんなことをお願いするんだ?」

「うーんとね……」


 しばしの沈黙。ルタは黙って思案しているらしかった。

 やがて、彼女は快活な声でもってこう答えた。


「シルクと、ずっと一緒にいられますようにって!」


 ぐ、と喉の鳴る音。多分、シルクだ。

 しばらく喉の奥で呻いた後、シルクは震える声で答えた。


「……そ、そりゃあ、宝珠がニャいと無理だねえ。アタシは自由が信条の猫人シルク様だからニャ」

「でしょう? だからさ、シルク、お願い! 貴女、全部の宝珠を手に入れて、私とずっと一緒にいさせてくださいって龍にお願いしてよ!」

「アタシが? 自分を不自由にするために、わざわざ宝珠を集めて、龍にお願いするってのかい?」

「だめ?」


 再び、沈黙。

 長いながい、沈黙。


 その後に、ささやくようなかすれ声で、シルクはポツリと呟いた。


「……宝珠……無くたって……」

「なーに? はっきり言って」

「……わかったよ、ルタ。アンタの願いを叶えるために、アタシも一肌脱いであげる」


 優しい声だった。

 シルクのそんな優しい声を、俺はいまだかつて一度たりとも聞いたことがなかった。

 彼女の口からそんな優しい言葉が溢れるなどと、思いもよらなかった。


 俺は──。

 俺は、全身がかっと熱くなるのを感じていた。


 なぜか、なぜだか、恥ずかしくてたまらなかった。


 生け垣の向こうで、鼻をすする音が聞こえる。


「……ありがとう、シルク」

「……うん」


 黄昏空の向こうから、夜を告げる鐘の音が遠く響いた。

 俺達は、そっと生け垣の陰から抜け出て、ルタ達の前に進み出る。


 ルタは、小さな眉毛を悲しげに歪めて、俺の顔を見ていた。

 その表情のまま、彼女はシルクの顔を仰ぎ見る。


「これで、おしまい……?」

「うん……」

「そっか……」


 ルタは本当に残念そうに、しょんぼりと肩を落とす。

 やがて彼女は、すがるような視線をシルクに投げかけ、おずおずと微笑んだ。


「……じゃあさ、最後に、モフモフさせてくれない?」

「ん。いいよ。……おいで」


 ためらいも恥じらいもなく、シルクは頷いて両腕を広げる。

 その腕の中に、ルタはゆっくりとその身体を預けてゆく。


 フサフサの毛で覆われた喉に、ルタの小さな頭が埋まる。

 短い腕が、シルクの背中をしっかと抱きしめる。


 ルタの着るパフスリーブのドレスの肩が、震えていた。

 声のない嗚咽が、聞こえた気がした。


 どれぐらい、そうしていただろう。

 ルタの身体が、ふいにゆっくりとシルクから離れた。

 その時にはもう、彼女の顔は、輝くばかりの笑顔に満ちていた。


 そしてその手には、不釣り合いなほど大きな鍵が握られていた。


「はい! これが、封印の鍵! 貸してあげるだけだからね! 絶対に返しに来てね!」

「うん、わかってる」


 シルクの肉球が、差し出された鍵を大事そうに包み込む。


 その瞳が、やおら俺の目をまっすぐに見据えてきた。

 強い『意思』の宿った目だった。


 俺は彼女の『意思』を受け止め、目礼する。

 すると彼女は、今一度ルタの方を振り返り、一度だけ手を振った。


「またニャ……」

「うん……」


 シルクは再び俺の方に向き直り、もう二度と振り返らなかった。


 暮れなずむ中庭の中で、小さな伯爵は、去りゆく俺達の姿をいつまでも見守っていた。



 ◯◯◯◯◯◯◯



 ルタの屋敷を出た途端、シルクが神妙な面持ちで呟いた。


「ジェイド」

「うん」

「アタシさ、ずっと一人ぼっちだったんだ」

「どうしたよ、藪から棒に」

「いいから聞け」


 有無を言わさぬ圧で、シルクは俺を睨み据える。

 それから彼女は再び前を向き、ゆっくりと歩き出した。


 道すがら、彼女は滔々と語った。


 ──アタシ、物心ついた時にはもう両親ニャんかいニャくてさ。ずっと一人で生きていくしかニャかったのさ。それが普通だと思ってたから、仲間ができてもイマイチ信用できニャかったし、仲間もあんまりアタシのこと信用してくれニャくてさ……。でも、それで良いと思ってたんだ。


 不意に言葉を切って、シルクは俺を横目で一瞥する。


「それで良いと思ってたんだよ。──アンタに会うまでは」


 ──アンタの戦いぶりを見て、生まれて初めて、人の背中に感動したんだ。この人に付いていきたいって思ったんだ。でもさ、それだってさ……。実のところ今の今まで、アタシはアンタのこと、よくわかってニャかったんだ。


 ──ショージキさ、こんニャ国のために頑張ってるアンタのこと、全然わかってニャかったんだ。勇者とか英雄っていうのは、ニャんか知らんけど勝手に頑張る奴らニャんだって、勝手に思ってた。アンタのことは、純粋に強くて、カッコいいやつだって、憧れてるだけだったんだ……。


「でもさ、あの子のこと見てたらさ……ニャんていうか……」


 シルクの言葉が詰まる。


 続く言葉を語ろうとして、彼女の口が僅かに開く。

 だが、その喉からは、なかなか言葉が出てこない。


 それを幾度か繰り返した後、やがて彼女は首を振り、その手を固く握りしめた。

 そして、断然と言った。


「……アタシ、この国を守りたい。あの子……ルタのこと、守ってあげたい」

「……ああ、俺も、同じ気持ちだ」


 力強く、俺は頷く。

 シルクの爛々と光る目が、俺の目を真っ向から見据える。


「絶対、宝珠を手に入れようニャ。魔将軍ニャんかに、この国をぶち壊されてたまるかってんだ」

「ああ……!」


 心の奥に沸き立つ熱に身を震わせ、俺達は六諸侯ルタの敷地を後にした。

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