銀髪の少女 その1

 どれくらい眠っていたのだろうか?

 慣れないことをしたせいか、伊武獅は酷く疲れていた。だが、眠ったおかげで、体力は回復した。──と思う。恐らく、気分が良い、というのもあるのかもしれない。


「──お……さい」


 聞き覚えのある声が聞こえてきた。けど、正確に聞き取れなかった。声の主を確かめるために、伊武獅が目を開けると、視界に入ってきたのは、シルヴィアの大きな胸だった。記憶では確か、ソファーの袖を枕にして眠っていたはず。けど、シルヴィアに膝枕してもらっていた。

 声の正体が判明した所で、今度は離れた位置から、普段から聞き慣れた声が掛かる。


「彼方、美人さんに膝枕されるなんて、随分な身分になったわね」


 小馬鹿にする声は、母の夜空のものだった。夜空自身、息子の置かれている立場を理解した上で、楽しんでいると思う。他人事なのを良いことにおちょくってくる。夜空はそういう性格である。

 伊武獅が慌てて上半身を起こし、傍に居るシルヴィアを見ると楽しそうにしている。


「構いませんよ、叔母様。私がそういう状況に動かしたんですから」

「シルヴィーちゃん、それは分かってるわよ。でもね、誰がどう見ても……プッハ‼!」


 一人だけ置いてけぼりの伊武獅を他所に、二人は談笑する。それよりも、今し方の会話の中に、引っ掛かる単語があった。「叔母様」と言っていたが、シルヴィアは従姉なのか? 血縁関係があるように思えない。

 頭の上にハテナが浮かべていると、夜空が質問する。


「どうしたの? 難しい顔して?」

「シルヴィアさんと僕って、従姉弟なの?」

「そうよ。……あれ? 前に言ったはずだけど?」

「聞いてないよ⁉」

「あら、そう? あと正確に言うと、私の姉の旦那さんの連れ子だよ。だから、シルヴィーちゃんと彼方は、義理の従姉弟だね」

「そういうことよ」


 夜空の説明を聞いて、なんとなく状況が飲み込めた。同時に、一つの疑問も解決した。というのも、夜空の姉──伊武獅の叔母である、美空とシルヴィアの顔立ちは異なる。夜空を利用するための嘘ではないかと考えたが、血縁が無いのであれば、先ほどの説明で、納得せざるを得ない。否定する材料も無い。ついでに、前に夜空が過去に教えていたとしても、それは今の伊武獅に教えたのではない。前の伊武獅に教えたのた。

 今後の生活においても、この世界の昨日までの記憶が無いことで、いくつかの問題は発生するだろう。そうなれば、変な目で見られるだろうし、最悪、病気だと思われるかもしれない。まあ、今居る世界を受け入れつつ、時間を掛けて慣れていけばいい。今後の生活が大変になることを思うと、大きな溜息で出てしまう。

 夜空から「あ!」と大きな声を出す。──今度は何だろうか?


「そうなると、あのことも忘れてる?」

「ん? あのこと?」

「シルヴィーちゃん、今日から、この家で住むことになってるから!」

「へ?」

「そういうことよ」


 同様の言葉で、会話を締めるシルヴィアの表情は、嬉しそうな顔をしている。正直な話、勘弁してほしい。一日で入ってくる情報が、余りにも多く、リアクションすることに疲れてしまった。

 それにしても、「シルヴィアが住む」という話は、何時から計画されていたのか? まるで、マブラ・ゲームに参加することが決まっていて、この世界にやってくることも判っていたかのように思えた。

 疲れによる溜息を吐く伊武獅とは反対に、シルヴィアは、まだまだ元気いっぱいのようである。


「よろしくね、彼方!」


 どういった原因かは知らないが、本日から新しい世界で新生活を送ることになった。同時に、知らぬ間に新しい家族が増えた。明日から、もっと大変なことが起きるんだろうと思うと、今日一番の溜息を吐いた。




 眠る伊武獅は夢を見ていた。元居た世界の時から三、四年前から月一で見ている夢であり、白黒写真のような世界が広がっていた。だけど今回は、色が付いている。

 目の前に、幼稚園年長ぐらいの銀髪の女の子が泣いているが、泣いている声は聞こえない。泣いている女の子に声を掛けようにも、こちらも声が出ず、手や足も動かせなない。

 どうやら、女の子は口を動かしており、恐らく声を発しているのだろう。ただ、サイレント映画で使用される技法〈インタータイトル〉が、頭の中で、女の子の言った言葉が文字で表示され、理解できた。肝心の、女の子が言った言葉というのは──

「なんで、そんなこと言うの?」

 その言葉が、頭に表示された。けど、こちらは女の子を慰めることは出来ない。今は黙って、受け止めるしか出来なかった。以降も、言葉をぶつけてくるけども、先ほどのように文字が表示されず、それどころか、次第に視界が歪んでいく。そして、真っ暗になった。




「行ってきます。──って、僕一人か」


 誰も居ない家に向かって挨拶し、伊武獅は出発する。何時も、夜空に声を掛けながら家を出るけども、今日は朝早くに、シルヴィアと一緒に出掛けて行ったらしい。何処へ出掛けたのか分からない。何らかの企みがあっての外出なのだろう。その企みというのが、他所様に迷惑を掛けないことを祈る。

 後ろから、伊武獅を呼ぶ明るい声が聞こえてくる。振り返ると、幼馴染の双道唯がやってくる、姿が見えた。


「おはよう、唯ちゃん」

「おはよう、彼方! こんなに早く出るなんて珍しいね。いつも寝坊してるのに」

「今日だけは、早く出たかっただけだよ」


 多少強がってみるも、唯との長い付き合いのせいか、伊武獅の嘘を見透かしていた。唯との付き合いは長い──といっても、それは元居た世界の話。今居る世界での唯との関係は、日は浅く、「知人」と表現しても差し支えないだろう。それでも唯は、前の伊武獅と同様に接してくれるけども、今の伊武獅は別人であるため、欺いている気がして申し訳なさを感じる。ただ一つ、気掛かりなことがある。

 それは、伊武獅に起きている事柄が分かっているような様子だった。どこまで把握しているのか、唯に訊ねようか迷っていると、先に唯が話し掛けてきた。


「そういえば昨日、彼方の家に警察が来たんだって? 何があったの?」

「警察が来たのは分かんないけど、家に空き巣が入られて、ちょうど僕が帰った時に、空き巣犯とばったり遭っちゃったんだよ。ホント、怖かったよ」

「う、うわあ……それはそれは」


 少しおどけた感じで、昨日の出来事を伊武獅は話す。決して、ふざけているわけではない。朝から重苦しい雰囲気にしたくなかっただけである。ありのまま話すと、気分を悪くなるかもしれない……自分が。唯は追究せず、黙って頷いて聞く。その配慮をしてくれるだけで、内心、とても嬉しかった。唯に対する警戒心を解こうとしていた。

 次の瞬間、警戒心が再度高まることになった。


「という事は、マブラ・ゲームのテスト、合格したんだね」

「え?」


 思わず伊武獅は立ち止まってしまった。

 昨日はシルヴィアに会い、初めて〈マブラ・ゲーム〉に関する情報や、ゲームに参加する場合の条件を聞かされた。聞かされてから今に至るまで誰にも話していない。当然、夜空にも話していない。なのに、どういう訳か唯は知っている。伊武獅自身、今の立場について把握しきれていない。

 唯が、「どうしたの、彼方? 学校に遅れちゃうよ?」と、心配そうに伊武獅を見る。

「え?」と思わず、驚いてしまった。

 驚いているのを知ってか知らずなのか、唯は学校へと走っていく。いずれ、正体分かる時が来るかもしれない。その時が来るまで、気長に待つとしよう。



 学校に到着し、窓際の自席にて、外を眺めながら今後のことを伊武獅は考えていた。ゲームへの参加資格が貰えたのはいいが、具体的に〈マブラ・ゲーム〉が何なのか分からない。もしかすると、シルヴィアから聞いた説明が、全てなのかもしれない。──今日帰ったら、ゲームについて聞いてみようかな?


「おーい、座れ!」


 定年の近い担任が教室に入り、クラスメイト達に着席するよう促す。時間を確認すると、ホームルームが始まる時間になっていた。各々の着席する音が、ところどころから聞こえてくる中、ざわつく声が聞こえてくる。担任は、ざわつきを鎮めようと彼らに注意するけども、煩いままだった。普段なら、大きな声で血管が切れるのではと思うほど、ぶちぎれるけども今日は怒らない。少し時間は掛かったが、次第に静かになり、担任が話し始める。


「さっきの様子だと、大半が知っているようだが今日、転校生が来る。ベイリーさん、入ってくれ」


 聞き覚えのある名前が聞こえ、伊武獅は少し動揺しつつ、二人が朝早く家を出た理由が分かった。同時に、面倒くさい未来になることを想像し、頭を抱える。ただ、ここは現実世界であり、マンガやアニメなどの主人公ではない。

 教室の引き戸が開き、シルヴィアは堂々とした振る舞いで教室に入ってくると、伊武獅を除く、男子生徒が歓喜の声を上げた。シルヴィアは気にも留めず、トレードマークである、銀色の髪をふわふわと浮かせながら、担任の近くまで移動する。

 傍までたどり着くと、黒板に自身の名前をカタカナで書き、書き終わると、皆が居る方へ顔を向け、シルヴィアは笑顔で自己紹介を始める。


「シルヴィア・ベイリーです。知人には『シルヴィー』と呼ばれているので、皆さんもシルヴィーと呼んでくれると嬉しいです」


 シルヴィアが自己紹介を終えた瞬間、男子生徒は歓声を上げる。女子生徒も、シルヴィアに対して好印象を受けたらしい。ふと、唯の反応が気になり、伊武獅は隣の席の彼女を見た。そこには、シルヴィアを睨みつける唯の姿があり、それを見た伊武獅は思わず、小さな悲鳴を上げてしまった。

 登校時の楽しく談笑していた唯から想像出来ないほど、怖い形相になっていた。お互い初対面なら、そういう顔はしないと思う。二人は知り合い同士だと推察する。──それにしても、一体何があったのだろうか?

 シルヴィアは睨まれているとは露知らず、彼女は彼女で伊武獅を見つけたのか、手を振って笑顔を投げかけてくる。

 楽しそうに手を振るシルヴィアとは反対に、憎々しくシルヴィアを見る唯。二人の間に、見えない火花が飛んでいてもおかしくない。担任は二人の状況など知らぬまま、シルヴィアの席を位置を指し示す。


「ベイリーさんの席だが、奥に空いている席があるから、そこに座ってくれ」

「分かりました」


 伊武獅が周囲を見渡すと、空席があった。ただ、席の位置というのが、唯の右隣だった。シルヴィアは指し示された席へと向かい、周囲に軽く挨拶をして着席する。唯も、不愛想ながらも軽く挨拶を返す。予想通り、二人から芳しくない雰囲気が生まれ、周囲の生徒は、険悪な空気を感じ取っただろう。


「先生! 席替えはしないんですか⁉」と、一人の男子生徒が担任に質問する。

「新学期始まったばかりだろ。やるとしたら来月だ。とりあえず、連絡事項伝えるぞ」


 担任はそう言って、淡々と連絡事項をクラスメイト達に伝え、そそくさと教室を出ていってしまった。席替えが行われないって分かると、クラスメイトの中に文句を言う生徒がいれば、落胆する生徒がいた。伊武獅はというと、後者に該当する。今は早く席替えが行われ、険悪な関係が悪化しないことを、ただ願うのみである。

 

 昼休みになり、シルヴィアの周りに人だかりが出来ている。どうやら、転校生の情報が学校中に広まり、一目見ようと集まっている。これが、「転校生」というブランド効果で集まっているのか、シルヴィアの魅力で集まっているのか分からない。だが、シルヴィア目当てで集まっていることだけは分かった。何だったら、授業の合間の休憩時間に覗きに来る人がいるぐらいだ。

 もしも、シルヴィアに話し掛けられたら、一斉に、男子生徒から睨まれることは間違いないだろう。話し掛けてこないでほしいと伊武獅は願い続ける。ふと、ここでマンガやアニメでも、似た場面を思い出す。

 周りのクラスメイトに、主人公と転校生との関係について聞かれ、一緒に住んでいることがみんなにバレるシーンが頭に浮かんだ。そのシーンが今該当するならば、すぐにでも逃げ出したい気持ちになった。良からぬことが起きないうちに、教室から脱出する行動を起こす。

 シルヴィアを囲い、彼女への質問などの雑音の中に、伊武獅は紛れ、気配を殺す。慎重に、教室の引き戸へと目指す。ふざけていると思うかもしれないが、伊武獅は至って真面目である。

 ゆっくり……ゆっくり……と、近くの引き戸へと伊武獅は向かう。その間も、シルヴィアへの質問が続けられていた。「出身は?」や「髪は地毛?」などのパーソナルデータに関する質問が多く、シルヴィアは一つ一つ優しく返事する。教室の引き戸まで、残り一メートルを切ったところまで辿り着いた時だった。


「彼方」

「──⁉」


 突然のシルヴィアの呼び掛けに、伊武獅は固まった。先に進もうにも、足首を掴まれた感覚があり、伊武獅は恐る恐るシルヴィアがいる人だかりの方へ向くと、生徒の後ろ姿が見えただけで、シルヴィアの姿は隠れて見えない。だが、再度シルヴィアが声を掛けてくる。


「彼方、何処に行くの? お昼、一緒に食べましょ」

「……」

「彼方?」


 シルヴィアの声に答えられず、固まっていた。人だかりは道を作るように分かれていき、数時間振りにシルヴィアと対面する。一見、シルヴィアは笑顔であるが、伊武獅には分かっていた。──目は笑っておらず、かなり怒っていることを。

 シルヴィアは立ち上がり、四つん這いの伊武獅のところまで近づいてくる度に迫力が強くなっていく。同時に顔が青ざめていった。周囲の生徒達の視線は、いつの間にか二人へと向けており、興味本位や敵意だったりと、色んな視線が向けられる。先ほど考えていた悪い予想が、現実となってしまった。そんな時だった。


「彼方、ちょっと来てくれる?」


 開かれた引き戸に寄り掛かり立つ唯がいたが、かなりイラついているようだ。一度、シルヴィアに視線を睨みつけ、伊武獅の方へと近づき、そのまま手を引っ張り、二人は教室を後にした。




 何処かへと消えていく唯と彼方を黙って、シルヴィアは見送った。いや、見送ることしか出来なかった。伊武獅の後を追いかけたかったが、周りを囲う生徒達によって、身動きを取れなかった。無論、彼らには好きで邪魔しようなんて考えていないのは解っている。だが、シルヴィアからすれば、この時だけ、彼らが邪魔でしか思えなかった。

 シルヴィアが問題を起こせば、今後の学校生活に影響するのもあるが、伊武獅にも悪い影響が及ぶと思い、右手で握りこぶしを作り必死に堪える。

 周りのクラスメイト達は、シルヴィアの心境など知らない。ただ、賑やかしていた。


「双道さんと伊武獅くん、仲が良いんだよ。確か、幼馴染……だったはず」

「そうそう。二人、夫婦みたいに仲良いよな」

「そこまでは知らんわ!」


 クラスメイト達は、シルヴィアの知らない二人の関係を話す。彼らが笑っている中、シルヴィアだけ無表情で、ぼーっと突っ立ていた。彼等からすれば、ゴシップレベル程度の認識なのだろう。彼女に相当堪えていた。


「は、はあ……そうなんですね」


 やっとの思いで、シルヴィアは言葉にした。その間も、シルヴィアと周囲の温度差が広がるばかりであった。

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