見知った世界と知らない概念 その3

「もう一度、言うわ。伊武獅彼方を、マブラ・ゲームへの招待のために、ここへ来たの」


 シルヴィアは改めて、目的を伝える。個人的に、ゲームへの招待というイベントがあるなんて、余りにも出来過ぎている話である。今朝の夢の件もそうだ。伊武獅の警戒心は通常よりも高くなっていた。

 だがその前に、伊武獅は話の根幹について質問する。


「マブラ・ゲームって、なんですか?」


 伊武獅の質問に、シルヴィアはきょとんとしていた。どうやら、事前にゲームに関する話がされていると思っていたようで、その話がされていなかったことに驚いているようだ。

 すると、シルヴィアの顔は厳しい顔に変わり、何かを考え始める。しばらくして、シルヴィアは顔を横に振る。

 再度、シルヴィアは伊武獅の方へと向き直り、質問に回答を始める。


「マブラ・ゲームというのは、自分のマブラを使って相手を倒して、勝ち残っていくゲームね。最後まで勝ち残れば、勝ち残った人の夢を叶えてくれる。端的に言うなら、こんな感じかしら」

「よくある、ゲームのルールなんですね」

「彼方の言う通り、ありきたりなゲームのルールであり、分かりやすい御褒美でもあるわね」


 概要を伝えたシルヴィアの口振りから、ゲームに対して、少し不満があるように感じた。シルヴィアはゲームの存在に、肯定的なのか否定的なのか分からない。あと、メリットについての説明はあったが、デメリットの説明は無かった。──まあ、参加してほしいのに、デメリットの話をするわけないか。

 ある程度、ゲームについて知れたことで、伊武獅は文句をつける。


「それにしても突然、ゲームへの招待と言われても、怪しいというか……」

「彼方にとっては突然でしょうけど、招待する(この)話は、一年以上前から決められていたの」

「え、嘘!?」

「それに、貴方が参加したいと言っても、必ず参加出来るわけじゃないわ」


 最後のシルヴィアの言葉に、伊武獅はキョトンとなったが、そうだろうと分かっていた。こういう場合、参加条件が案外あったりするものである。


「それは、なんらかの条件をクリアすればいいんですか?」


 伊武獅が質問すると、シルヴィアの口角が上がる。どうやら正解したようだ。果たして一体、どんな条件が提示されるのだろうか?


「条件は簡単よ。彼方には今から戦ってもらうわ。その戦いに勝てば、ゲームに参加出来る権利が得られる。ね、簡単でしょ?」

「そうですね」と、シルヴィアに同意しつつ、

「それで、どこで戦えばいいんですか?」

「そこよ」と言ってシルヴィアが指差し、それにならって伊武獅も見る。


 指差された場所にあったのは、伊武獅の家だった。空き地とかではなく、正真正銘、自宅が会場らしい。

 自宅が会場だと知って普通、驚きはするだろう。伊武獅も驚いてはいた。ただ同時に、夢だと思う出来事が繰り返されるのではないかと考えていた。首を絞められた時の苦しさや生々しい感触、目の前で見せられる男の紅潮した表情を思い出すと、背筋に恐怖が走る。

 伊武獅がそんな体験をしたことなど露知らず、シルヴィアは話を続ける。


「今日、マブラについて学んだわね? 彼方のマブラには、無限の可能性が秘められているわ。不可能を可能に出来るかもしれないほどね」

「何を根拠に?」

「根拠なんて無いわ。ただの勘よ。とにかく好きなように、イメージしなさい。そうすれば、奇跡が起きるわ」

「は、はあ」


 ただただ、シルヴィアの言葉に頷くしかなかった。「好きなように、イメージしなさい」と言われても、何をどうすればいいのだろうか?

 それより、戦う前提で話が進んでいないだろうか? 冗談じゃない! ただ、早く帰りたいだけなのに、自宅の前にシルヴィアが居て、突然、マブラ・ゲームとかいうイベントに誘われ、誘われたけども、それには条件を満たさないといけなく、その条件が〈戦いに勝つこと〉。

 文句ならまだある。夢の中で襲われて、いつの間にか身に覚えの無い概念が生まれていて、身に覚えの無い建物が建っているし、幼馴染の双道が意味深な発言があった。

 伊武獅の頭には、今日起きた出来事や初めて知った情報などが、一気に流れ込んできて、目には涙が溢れそうになっていた。これ以上、聞きたくなかった。

 伊武獅の表情が辛そうに見えたのか、ここで、シルヴィアがある提案をする。


「もし、彼方がゲームに参加したくないということであれば、拒否してくれてもかまわないわ。家の中に居る相手も、責任もって、私が始末してくるわ。あなたを無理やり参加させるほど、鬼ではないわ。ただ、──」と、ここで言葉が切られた。


 それは意図的だったのか、言葉に詰まったのかは分からない。この後に続く言葉が何なのか知るために、伊武獅は待つ。

 だが、シルヴィアは話を止め、伊武獅の家の玄関へと向かい始めた。──かと思えば、数歩歩いたところで立ち止まり、ゆっくりと伊武獅の方へ振り向く。無表情とは言わないが冷たく、定型の雑務をこなすかのように、つまらなそうな顔を向けてきたが、すぐに少し困ったような笑顔に変わっていた。そのまま、続きの言葉を述べる。


「彼方がボロボロに傷つく姿なんて、見たくないから」

「待って!」


 突然の伊武獅の大きな声に、シルヴィアは振り向くと同時に、驚きの顔に変わっていた。無論、伊武獅も驚いた顔に変わっていた。──想像以上の大きな声で驚いてしまった。

 以降、伊武獅は黙ってしまい、二人に沈黙が生まれる。もう、どうにでもなれ、と言わんばかりに喋り始めた。


「ま、待ってください! ぼ、ぼぼ、僕、やります!」

「え?」

「ぼ、僕が行きますから、そこで待っていてください!」

「ちょ、ちょっと⁉」


 伊武獅は言い切ると、シルヴィアが驚いている隙に颯爽と横切り、玄関へと歩く。横切る際の発生した弱弱しい風圧で、ふわりと銀色の髪が持ち上がる。

 銀色の髪が持ち上がるのを感じつつ、風が流れていく方へとシルヴィアは振り向き、伊武獅に声を掛けようとしたが、距離が広がっていた。

 シルヴィアの横を颯爽と駆け抜けたけども、伊武獅には考えは無かった。ただ、自分のせいで誰かが傷つく姿なんて見たくなかっただけだ。当然、傷つくのは怖い。逃げ出したい。けれど、逃げ出すにも、家には引き篭もれないし、引き篭もることも出来ない。誰かに押し付けようにも、この場にはシルヴィアのみ。初めて会ったシルヴィアに押し付けるのは、いささか、人としてどうなんだろうかと思う。もし、シルヴィアが傷つけば、この先一生、負い目を感じながら、最低人間という枷を負いながら、生きていかなければならない。

 そうであれば、自分を犠牲にすればいい。そうすれば誰も傷つかない。迷惑を掛けないで済むかもしれない。


「待ちなさい!」


 突然、伊武獅は腕を摑まれ止められた。握ってきた手は強い力で握られ、言葉にも力が込められていた。声色だけで、かなり怒っているのは分かり、伊武獅は振り向かずにいた。シルヴィアが振り向くように促してくるが、無視し拒み続ける。

 すぐに無駄と感じたのか、掴んでいた力が緩まれ解放してくれた。流石に無視して先に進もうとすれば、今度は拳が飛んでくると思い、一旦その場に立ち止まり、シルヴィアの方へと振り向くと、案の定、シルヴィアは怒っていた。

 怒りに満ちたシルヴィアは、伊武獅に一つ質問する。


「何かしらの策はあるのかしら?」

「勿論です」と、困った笑顔で質問に回答する。


 だが、伊武獅の事を信じていないのか、シルヴィアは疑いの目で見てくる。もしかしなくても、シルヴィアは伊武獅の回答を、鵜呑みにしないだろう。無論、伊武獅の回答は嘘である。策なんて存在しない。

 反応を見た後で、後出しではあるけれども、先ほどの回答に補足する。


「僕が勝つから、ここで待っててよ」


 根拠なんて無い。先ほどのセリフとの違いとしては表情だけだ。さっきは困った表情だったけど、今回は笑って見せた。

 観念したのか、シルヴィアは大きな溜息を吐き、力が抜けていくようにうな垂れていく。彼女は少し考える。


「分かったわ。ならば絶対、死ぬんじゃないわよ! もし死んだら、絶対殺すわ!」

「え、ええ……」


 余りにも理不尽な要求に、伊武獅は思わず戸惑いの声を漏らす。矛盾する言葉を平然とぶつけてくるけど、シルヴィアの目に涙が溜まっている。その姿が本当におかしくて、吹き出してしまう。そして、逃げるように伊武獅は玄関へと向かった。

 急いで鞄の中から自宅の鍵を取り出し、鍵を差し込みつつ、後ろではシルヴィアは文句を言っている。その声を背にしながら、差し込んだ鍵を捻ろうとするけども、手が動かない。

 伊武獅の身体は震えていた。やっぱり、怖い。

 寝食している家で、その家の鍵は手にしているけども、目の前の家が、まるで他人の家のように感じ、中に入るのをためらわれる。鍵を持つ手の震えは、差し込む鍵を伝って玄関ドアへと流れていき、小刻みにぶつかる音が小さく鳴る。

 一度、伊武獅は鍵を抜き取り、震えを止めるために深呼吸する。

 目の前に家の中へ入るドアがあるけれど、今だけは、別世界に通ずるドアのように思えた。けど、その行先は伊武獅が知っている世界ではない。未知の世界だ。

 今、勢いだけで、そのドアの前に立っている。シルヴィアが言ったことが本当なら、死ぬのかもしれない。

 覚悟を決め、再度鍵を差し込み、回す。ガチャリと、大きな音が鳴らしながら、伊武獅は重い玄関ドアを開け、家の中へと入っていった。

 ドアが完全に閉じられる前に、伊武獅は振り返り、見るのが最後かもしれないシルヴィアが居る方へと向いた。その時、彼女は、──

 とても悲しい表情をしていた。

 ほんの一瞬だけ、シルヴィアの姿を見た後、ドアは完全に閉ざされ、彼女が居る世界と隔絶された。何故、そんな表情したのか、彼女に聞きたかったが今は出来ない。

 家の中を見渡すと、見慣れた部屋のドアや階段、玄関前の小さな観葉植物などがある。中に入れば、何度も出迎えてくれる光景ではあるが、今回だけは違う。ポジティブな例えをするなら、家の中を完全再現したかのような、大きなスタジオのセットのようだ。そう思えるほど、中に異質な空気が漂っていると、伊武獅にはそのように感じられた。

 傘立てから、父の傘を手にしようとする。──が、手を止めた。中に入る前に、シルヴィアの言葉を思い出したのもあるが、襲われている中での男の表情(あの光景)が、フラッシュバックすると思い、伸ばした手を引っ込める。

 暫く考えていると、二階から見た事のある人が降りてくる。あの時と同じように、右手にはバールのような工具を持って降りてくる。


「おいおい、もう帰ってきちゃったのか」


 夢の中で遇った男が、あの時と同じ服装、同じ動作、同じ台詞で、伊武獅の前に現れる。

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