第2話


 ◇



 魔法使い候補生。

 それが今の俺の肩書である。


 正確には、魔法学園所属、魔法使い候補第五階級生。


 帝国と戦争中の我が王国。

 戦争に勝つために、戦力となる魔法使いを育てる機関、魔法学園を設立したのは俺が生まれる前の話。以来、魔法使いの才能を有する人間はここでその力を研鑽している。


 戦場で魔法使いとして戦うために、訓練に明け暮れる候補生――それが俺の立場だ。前年度をもって四階級生から五階級に進級したところで、今日から五階級生としての新たな一年が始まろうとしている。


 しかし、そんな新学期の始まりに、早速暗雲が立ち込めている。昨夜のブランシュとの邂逅は印象的で、頭から離れない。


 寮の自室で寝間着から制服に着替えながら、俺は彼女の言葉を反芻した。


 ――私は、未来から飛んできました。


 そんなことあり得るのか? 魔法使いの魔法は多岐に渡り、いまだ解明には至っていないけれど、いくら魔法使いの可能性が無限だからといってできることに限りはある。時間を自由に行き来できるのなら、今までなんでそんな存在が現れなかったんだってことになる。


 夢物語に付き合わされたんじゃかなわない。かといってあそこまで啖呵を切ったんだ、本当に夢物語を語っているわけでもないだろうし……。

 悩ましい。


「何暗い顔してんだ。さっさと訓練に行くぞ」


 俺の顔を覗いてくる、同室の男。俺より後に着替え始めたはずなのに、いつの間にかすでに着替えを終えている。整った顔に、程よく筋肉のついた痩身は毎日見ている姿である。


 俺の友人であるブロン・パレス。先日のブランシュとの話にも出てきた男で、ブランシュの父――と彼女は口にしていた。


 この男は俺の胸中を知らず、昨夜出会った少女と似通った相貌を俺に見せつけてくる。

 確かに言われてみれば似ている。髪の色や顔の骨格が。


「おまえさ、もう子供とかいたりするのか?」

「はあ?」


 ブロンの顔が引きつった。

 何言ってんだ、って気持ちはわかる。


「これは大事な話なんだ。しっかり明確に答えてくれ」

「はあああ? ありえねえ……いや、まあ、ありえなくはないんだが、今まで失敗したことは、ない、はず。いたとしてもまだ生まれてはいない、よな」


 目を泳がせる色男。世間一般的な常識をもってすれば、回答としては赤点だ。

 その顔が段々と青くなっていく。


「まさか、そんなことを匂わせてきたやつがいるのか? 俺の子だって言ってきたのか?」

「そうだな」

「え……。どの女が言ってきたんだ?」

「女。まあ、女なんだけど」

「煮え切らねえな。母親が来たんじゃねえのかよ」

「いや、そうじゃないんだけど」

「じゃあなんだよ。めちゃくちゃ不安になるじゃねえか」


 それはそう。

 しかし、事実をそのまま口にすれば頭がおかしいと思われるのはこちらの方だ。おまえに俺らと同い年くらいの女の子の子供がいて、そいつが話しかけてきたんだ、といったところで信じてもらえるかどうか。俺自身がまだ咀嚼しきれていない話をしたところでしょうがない。


 結局、俺は首を横に振った。


「いや、やっぱ何でもないわ」

「なんだよ! ふざけんな! 新年度から不安にさせるようなこと言うんじゃねえ!」


 ブロンは俺の肩を掴んで揺さぶってくるが、


「不安になるようなことしたと思ってるんなら、少しは控えろよ」


 後々の自分が不安になるようなことを繰り返していること自体が問題だろう。未来は過去の積み重ねで出来上がるものだ。


 不安になっているブロンの反面、俺は同じことを聞かれても何も不安になることはない。大半の候補生がそうだろうよ。火のないところに煙は立たないのだ。


「ぐ……。まあ、それはそうだが、おまえが正論を言ってくるとは」

「今までは言わなかっただけだ。今回は少し気になっただけで、おまえの趣味をどうこう言うつもりはないよ。この話はここで終わりにして、さっさと訓練に行こうか」

「おまえから始めたんだろが……。まあ、了解だ。互いのためにそうしようぜ」


 俺たちは着替えを終えると部屋から出て、寮からも出ていく。

 木々に囲まれた山奥。平地の関係で、学園本体と寮とは離れた場所に位置している。寮から学園までの道のりを二人で歩いていく。


「実際、おまえがトラブルに巻き込まれたとしても、俺は干渉しないからな。勝手に収めてくれよ」


 ブロンという色男に一応釘を差しておく。

 この男、誰が、という人物の特定はしなかった。できなかったのだろう。名前が出たところでわからないくらい多くの関係を持っているのだろう。


「わかってるって。俺たちは程よい距離感でいいだろ。だから俺はおまえを親友だと思ってるし、おまえも俺を友達だと思ってるんだろ」

「俺もおまえを親友だと思ってるよ」

「それは有難いね」


 良い意味でも悪い意味でも、ブロン・パレスという少年は正直者。あらゆる欲に素直に飛びつき、毎日を楽しむことに全力だ。だから、俺が気を遣うことがない。俺が何を言ったって変わらないし、俺が何も言わなくても変わらない。日和見主義の俺としては一番とっつきやすい相手だ。


 ブロンもブロンで、余計なことを言わない俺と一緒にいるのは嫌ではないのだろう。自由の対価として何かと敵が多いブロンという男は、何をしても動じない俺のような男を求めている。

 互いにウィンウィン。


「もう一個聞かせてくれ。おまえの継承魔法は時関係だったよな」

「ああ、そうだな」

「過去に戻れたりするのか? 二十年前とかに」


 ブロンは首を捻ってから、ゆっくりと横に振った。


「……無理だろうな。確かに俺の魔法は時に関するものだが、代価が必要になる。二倍の速さで移動した後は、二分の一で動く時間が必要になる。便利に思えるだろうが、めんどくさい魔法なんだよ。二十年も時を遡行するなんて、能力の規模が大きすぎる。代価もどうなるかわからないしできやしねえよ」


 常識的に考えれば、確かに常識外の事象だ。扱っている本人もこう言っている。

 今まで未来や過去の人間がこの世界に現れていないのがその証拠。未来から人が来れるのなら、幾度も改竄がなされていないとおかしい。その人物の思う通りの世界になってしまう。


 俺はブランシュという少女の戯言を真面目に考えていたらしい。


 彼女は戦場で地獄を見たことで頭をやってしまった兵隊だったのだろうか。自国の魔法使いであれば学園の結界の中に入り込むこともあり得る。とにかく、今日はあの場所に行かなくても良さそうだ。


 話を他愛のないものに変えて、いつものように訓練場までの道を歩いていると、


「どいて」


 誰かが俺に背後からぶつかってきた。

 よろめいてしまう。


 俺の脇を駆け抜けていったのは、一人の少女だった。二つ結びされた赤い髪が遠ざかっていく。


「なんだあいつ。ぶつかっておいて謝りもしねえのかよ」


 ブロンは腕まくりをして血気盛んに追い掛けようとするが、俺はその手を掴んで止めた。


「いいよ別に」


 別に事を荒立てるようなことじゃない。

 なんで彼女が急いでいたのか、理由はわかるから。


 ビー、と、大きな音が響き渡る。少し先の訓練施設にて、始業式が始まったようだった。



 ◇



 始業式に遅刻したことで教官からお小言を頂いたが、それらをぬるりと躱して俺たちは指定された教室へと向かう。


 現在は三百人ほどいる王国魔法使い候補生。階級は様々だが、互いに切磋琢磨することを目的に、近しい階級の人間たちが集まり一つのクラスとなって訓練を共にする。互一クラスはおおよそ三十人ほど。今回のクラスもそのくらいの人間が集まっていた。


 総勢三百人もいるものだから、全員の顔を覚えるのは難しい。

 新学期となって階級の変動もあり、教室内にはそれなりに知らない顔も増えていた。


 同じ五階級生であるブロンは俺と同じクラスだった。共に教室の端っこの席に陣取る。後から来た候補生は俺たちの存在を認めると、そそくさと離れていった。


 俺たち二人が遠巻きにされているのは勘違いではなく、いつもの日常のことである。候補生の本分を無視して碌に訓練に参加もしないはみ出し者。関わるとろくなことがないと噂されているのは知っている。しかしそれはそれで余計な会話が発生しなくて好都合だ。


「テキトーなところで抜け出そうぜ」


 不真面目なブロンは始業式当日にもそんなことを言いだす。新学期が始まったからって俺たちのすることも変わらない。サボリである。俺は特に考えずに頷いた。


 周囲の様子なんか気にせずに欠伸をかきながら教官の到着を待っていると、一人の少女が近づいてきた。


「ねえ」


 今朝ぶつかってきた少女である。


 赤髪の下の赤い瞳は燃えていて、俺は怒りの感情を受け取ることになった。

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