大罪の魔法使い
紫藤朋己
第1話
◇
夜。
眠りの浅かった俺は一人で寮を出ていた。
お気に入りのスポットへと足を向ける。
他人に知られることもない、自分だけの居場所。
山奥にある学園の土地の中でも頂上に近く、周囲を木々に覆われながらも広大な空を眺められる良い場所だった。
星の中にいれば一人であることを自覚することはない。他所から見れば自分もただ一つの光に過ぎなく、夜の闇の中に溶けていきそうな気さえする。世界が味方になってくれたような全能感があった。
ってのは言い過ぎだな。
一人でいるからか、思考も緩む。他人に語ることはないただの詩文である。
ここは俺だけの場所。
俺以外に人を見たことはなく、俺の後をつけてこない限り、辿り着きようもない。
そのはずなのに、その日は少し事情が違ったよう。
「貴方がシエルさんですか」
声のした方向を振り返る。
木々の間から顔を見せたのは一人の少女だった。銀髪を短く揃えた顔の整った子。俺と同じ、十代半ばくらいに見える。
俺と同じ、学園の生徒だろうか。しかし、今まで一度も見かけたことのない少女だった。
「誰だ?」
「……」
「なんだよ」
「いえ、
――初めまして、シエルさん。こんな夜中に失礼いたします。私はブランシュと言います」
月の光を浴びて輝く双眸。
綺麗な瞳が潤んでいるように見えたのは、光の当たり方のせいだろうか。
「聞いたことない名前だな。学園の生徒か?」
「いいえ」
首を横に振られ、一気に不信感が押し寄せてくる。
ここは山奥の魔法使い候補生の訓練施設。教官と生徒、それ以外は立ち入ることが禁止されている場所だ。
一般人が立ち入りしないように魔法での処置はされているし、警備の人間が周囲の巡回も行っている。ここに候補生以外が入り込むことはありえないのに、平気な顔でここにいるこいつは何者なんだ。
「じゃあ何なんだよ。一般人がこんな山奥を訪れる理由も手段もないだろう」
「両方とも、お答えはできません」
人差し指を唇に当てる。
どうも読めない。この子は何の目的でこんなところに突っ立っているんだろう。敵国の魔法使いが間諜でもしに来たのだろうか。そうであれば俺はもう攻撃されているはずだし、初っ端に攻撃するわけでもなく話しかけて来たんだ、少なくとも敵対するつもりはないんだろう。
相手が俺に危害を加えるつもりがないのなら、それはそれでいい。日和見の意見を胸に、俺は話を先に進めることにした。
「わざわざこんな夜に何の用だ? 俺の名前を呼んだということは俺を探していたんだろう? 用があるならさっさと済ませてくれ。この場所は俺が一人になるための場所なんだよ」
「ありがとうございます。急なお話で申し訳ございませんが、少しだけ時間をいただければ幸いです」
ブランシュは心底安心したように息を吐いてから、口を開いた。
「貴方の友人に、ブロン・パレスという男がいると思います」
「ああ、いるね」
寮の二人部屋の相方だ。四六時中一緒にいて、俺が唯一気楽に話すことのできる友人である。
「ブロンに用事があるのか? 伝えてほしいことがあるとか? 直接言いたいことがあるんなら起こしてくるけど」
「いえ、呼んでくるなんて、そんなこと」
口が引きつって、
「絶対に、しないでください。あの男には会いたくもないですし、何を伝えることもありません。そもそも私は貴方以外、誰とも会いたくはないのです。だからこそ、この時間この場所を選んだわけですし」
俺以外いなくて、俺以外起きていないであろう時間。誰にも聞かせられないような秘密のお話にはもってこいだ。
「内密にしろってことか。にしても、俺がこの時間にここにいるってよくわかったな」
「聞いたことがあります。貴方は眠れない時に部屋を抜け出して、この広場で星を見ていたと」
「誰から?」
「父……と呼ばせてもらいたかった人です」
随分と含みのある言い方をしてくれたが、誰なんだよ。学園関係者か? この場所で過ごしていることは誰にも気づかれていないと思っていたけれど、それは思い込みで、俺の行動は誰かに監視されていたのか?
きょろきょろと辺りを見渡すが、眼前の少女以外、人の気配は感じられない。
俺の胸中を他所に、ブランシュは会話を進めていく。
「父は――いえ、その呼称はしないようにと言われたんでした。
他にも、あの男からも貴方の話を聞いていました。貴方はあの男の親友で、学園時代には四六時中一緒にいたと。男の話など滅多にしないあれが、貴方のことはよく話していました」
「父? あの男? あれ? 誰だよそいつらは。知り合いに心当たりがまったくないな。俺は学園に入る前も入った後も、碌な人付き合いをしていない。あんたの父くらいの年齢の人間に仲の良い知り合いはいない。さっきからあんたは何を言ってるんだ」
まだ俺は学園の卒業要綱を満たしていない魔法使い候補生だ。そこまで顔が売れているわけもないし、水面下で評価されていることもないだろう。実戦で戦えるかといえば答えは否だ。事実はどうあれ、世間一般的にはそういうことになっている。
上層部にせよ、同学年にせよ、そもそも俺はあまり友人を作らないタイプだ。作れないタイプと言ってもいい。そんな俺のことをよく知る人物なんか限られる。
「あんた、何者だ。俺のことを知る人間なんかいないはずだ。帝国の間諜か? 虚言を吐いて、俺から何を吐き出させようとしてるんだ」
「私が王国に属しているかと言えば。それは違います。かといって、貴方の敵国に属するわけでもありません。
ただ、一つだけ誓います。私は貴方の敵ではありません。絶対に。私だけは何があっても貴方の敵にはなりえない」
色々と含みのある発言だ。目を見開いて豪語してくるが、いかんせん正体が掴めない以上、信用することもできない。
相手を説得するには合理的な理由が必要なんだ。
「まどろっこいしいな。あんたは一体なんなんだ。はっきりと言ってくれないと、これ以上は敵対行為とみなすぞ」
日和見の俺だって無為な会話は好まない。
俺は人差し指と中指を立てて、ブランシュに向けた。いつだって魔法を放つことができよう、照準を彼女の心臓に合わせる。
ブランシュは両手を挙げて無害をアピール。
「私は絶対に貴方とは敵対しません。その手を降ろしてください」
「おまえの自己紹介が先だ。話せないという回答であれば、いくら魔法使いとして不良の俺でも放っておけない」
ブランシュは大きく息を吸ってから、
「私は、ブランシュ。ブランシュ・パレス」
「その自己紹介はさっき聞いた。
……いや、姓の方は初めて聞いたか」
やっぱりブランシュという名前に聞き覚えはなかった。さっきと違うのは、姓が出てきたこと。パレスという名前の方には聞き覚えがある。
俺の親友の姓だ。
「ブロン・パレス――さっき話に出てきた俺の友人と同じ姓だな。あいつの親族か?」
「はい、娘です」
言葉に詰まった。
「……、はあ? あいつに子供?」
ブロンは俺と同い年。まだ十代半ばだ。眼前の少女も同じ歳くらい。同い年の娘を生む方法――魔法使いであればあり得るのかと一度思案してから、頭を振った。
「いや、ありえない。あいつはまだ俺と同じ十六歳で、同い年くらいの子供なんかいやしないぞ。作れもしないだろ。そういうことが起きそうな行動はしているけど、年齢の関係上、どうあがいたって作れるはずはない。おまえの論は現実的じゃない」
「魔法使いが現実を語るんですか?」
少し斜に構えた言い方は、確かにブロンに似ていなくもない。いや、そう聞いたからそう判断しているだけだ。
「魔法にだってできることとできないことがある。現実の枠組みを越えることはない」
「私はこの時代から二十年後の未来から飛んできました」
「……」
再度、閉口。
意味が分からなかった。
笑い飛ばそうか迷ったが、ブランシュの顔は真剣そのもの。
「冗談、ではないんだよな」
俺が頬を引きつらせながら聞いても、ブランシュは神妙な顔で頷くだけ。
「はい。
しかし、いきなり言われても信じられないでしょうから、明日貴方に起こることを予言します。
明日の朝、貴方は一人の女の子と口論になります。それを、あの男が諫めます。あの男は彼女に手を出そうとするでしょう。女の子の名前は、ルージュ・コレール。貴方たちとはまだ知り合っていない少女です」
ブランシュは淀みなく予言とやらを口に出した。
「この後の話は翌日に持ち越しましょう。私の予言が当たった際には、同じ時間、同じ場所で落ち合わせてください」
◇
魔法使い候補生。
それが今の俺の肩書である。
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