一通目 青木への手紙
そういえばアレは虫知らせだったかもしれないと青木はあとになって思った。
スタッフ専用駐車スペースに車を停めた時、隣家の飼い猫のクロがこちらを見ながら腹を舐めていた。
青木がオーナーを勤める写真スタジオの来客用入口のマットの上に近くの公園から何かの花びらがふんわりと吹き溜まっていた。
大汗をかいてやっと花びらを片付けてスタッフ専用の扉を開けると、中からひんやりとした空気が(冷房の切り忘れ)押し寄せてきた。
それもこれも、コイツを示唆していたのかもしれない。
青木はそう思いながら乱雑なデスクの上に、キチンと置かれた封筒を手にした。
メールだ、ラインだと手軽な通信手段があるにもかかわらず、バカ丁寧に真っ白な封筒で毎年届くこの手紙。三年目の今年はそろそろ7月の終わりを告げる風物詩になりつつある。
「まぁ、忙しい時期を避けてくれるところは、せめてもの気遣いか」
青木はそうつぶやくと、ほぼ内容の予想はついている手紙の封を切った。
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拝啓
青木オーナー殿
時下ますますご清祥のこととお喜び申し上げます。
さて、突然のお手紙にて驚かれたことと思いますが、なにとぞご容赦ください。
まずはこの度の無断欠勤と、返信が遅くなりましたこと、繁忙期が一段落した青木オーナー様に大変なご迷惑をおかけしたこと、心より深くお詫び申し上げます。
私の携帯電話に青木オーナーより何度か着信があったことはもちろん承知しておりました。それに対して返信できなかったことは故意ではなく、ひとえに私のおかれている状況のせいです。
信じられないかもしれませんが、私は今『異世界』というところに来ております。
その日の夜、十日以上続いた連勤でついスタジオで居眠りをしてしまい終電を逃した私は、タクシーを拾うべく徒歩にて駅に向かっておりました。
その途中、誰にも見向きもされず震えている子猫を見つけてしまったのです。猫は私の全てであり、私の猫への愛はスタジオのスタッフ全員の知るところです。見て見ぬふりはできませんでした。そしてどうしてもその子猫を助けたいと思った矢先、大型バスと出合い頭しまったのです。
気づいたときには『異世界』にきておりました。そこは現代日本とはまるで違う、中世ヨーロッパのような世界です。
剣と魔法の織り成す世界に、最初こそ戸惑いましたが、私には趣味のゲーム知識がありました。今では仲間も増え、魔王討伐に欠かせないメンバーの一人として、せわしなくも充実した日々を送っております。
いつそちらの世界に戻れるのか分からないので、もうしばらくこちらの世界で頑張ってみようと思います。
青木さんには大変お世話になりましたが、私の現状をご理解いただければ幸いです。無事に暮らしておりますので、これ以上の心配も御連絡も無用と存じます。
またまことに勝手ながら、このまま会社にご迷惑をおかけするのも心苦しく、私のことは気にせず退職の手続きを進めてください。
最後になりますが、青木さんと会社のますますのご発展を祈念し、お別れの御挨拶とさせていただきます。
敬具
令和6年7月31日
大杉 結奈
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「そうか。去年はネズミだった気がするが、今回は子猫なんだな」
青木は丁寧に手紙を畳むと、大杉の手紙をデスクの引き出しにしまった。すべては午後、スタッフミーティングが終わってからだと思いつつ。
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