勇者エアル
「俺はマデルデ王国第一王子、カインだ」
国の英雄を自称する者に、その場を代表して、最も地位の高いカインが進み出た。
「エアル、と名乗ったな。まず真っ先に確認させてもらいたい。――ハルトはどうした」
敵意とも言える感情を向けられて、それでもエアルは凪いだ表情のまま答えた。
「安心してくれ。今は少し、眠ってもらっているだけだ」
「無事なのか」
「無事だとも。彼は僕にとっても大切な存在だからね。ただ、同時に表に出ることはできない。説明不足になってしまったことは、すまないが謝っておいてくれ」
ひとまずはハルトの無事を確認して、小さく息を吐く。
それが真実であるかどうかは確かめようがないが、少なくとも、この人物から敵意や悪意は感じなかった。
「ハルトは、勇者エアルの生まれ変わりなのだと聞いている。生まれ変わったからには、エアルという人間はもう存在しないのではないのか。今はどういう状態なんだ」
「なんて言えばいいのかな……。色々、運が良かったんだ。ハルトは僕に繋がる欠片をいくつか手にしていた。この場所は、僕の魂の記憶に深く根付いている。そして今は、死者が現世に近くなる季節だ。僕が出てくるなら、今しかないと思った。多くが味方する今なら、僕は最大限力を発揮できる」
「力? 何をするつもりだ」
「うん。僕はね」
一呼吸置いて、エアルは全員を見渡した。
「ダリアンのかけた呪いを解くために出てきたんだ」
皆が息を呑む。あれほど苦労した最大の問題を、突如現れた人物が解決できるなど。
いち早く我に返ったカインが、大きな声を上げた。
「できるのか!?」
「できるとも。僕は勇者で、ダリアンの魔法もよく知っている」
懐かしむような声色で、エアルは申し訳なさそうに目を伏せた。
「ダリアンが迷惑をかけたね。僕との約束が……こんな形で、彼を縛るとは思っていなかったんだ。今更何を言っても、言い訳にしかならないけれど。せめて歪めてしまったものを、元に戻そう」
エアルが湖に手をかざす。すると、湖の底に巨大な魔法陣が出現し、湖が光り輝いた。
エアルが手を持ち上げた動作に合わせて、湖の水が持ち上がる。それは空まで打ち上がったかと思うと、花火のように弾けて、雫となって広範囲に降り注いだ。マベルデ王国全土を、覆うほど。
天気雨は、あっという間にエアルたちの全身を濡らした。
「この浄化の雨が、マベルデの呪いを解く。もう心配しなくていい」
「っけど、魔王がまた呪いをかけたら」
「そうならないように、僕がよく言っておくよ。もうじき彼もここに来るだろう」
遠くを見るような目をしたエアルに、皆が構える。
その様子を見て、エアルは苦笑した。
「君たちは早めにこの場から離れた方がいい。彼と鉢合わせない方がいいだろう」
「ハルトを置いていけるか!」
「ハルトはきちんと送り届けるよ。だから……お願いだ」
少しだけ言葉を詰まらせて、エアルは言った。
「二人にして、くれないか」
その表情に。
誰も、否とは言えなかった。
「エアル!!」
降り続く雨の中。現れるなり、姿を確認するまでもなく、ダリアンはそう叫んだ。
「やぁ、ダリアン。久しぶりだね」
穏やかに細められたアクアマリンの瞳を見ると、ダリアンはエアルの体を勢いよく抱きしめた。
「ダリアン、加減してくれ。これはハルトの体なんだから」
「うるさい……っ! これでも折らないようにぎりぎりで耐えている」
「骨が軋んでる音がするんだけどなぁ」
くすくすと笑う声が耳に近くて、ダリアンは奥歯を噛みしめた。
そうでないと泣いてしまいそうだった。
「どうして……、どうして、お前が」
「説明は省くけど、ハルトのおかげかな。彼は本当によく頑張ってくれた」
「ハルトが?」
「ああ。だから、あまりいじめないでやってくれ。純粋な子なんだ」
「いじめてなどいない。甘やかす、と言っているのに、向こうが拒否するんだ」
「君の愛情表現は独特だから」
笑われて、ダリアンは不満そうに眉を寄せた。
顔を見なくても、その様子がわかるのだろう。エアルはますます笑みを深めた。
「ダリアン。僕を見つけてくれて、ありがとう。君が僕を忘れないでいてくれたことは、本当に嬉しい」
「当たり前だ。俺がエアルを忘れるものか」
「うん。それがわかっていたのに、僕は君を縛るような約束をしてしまった。また君に会える奇跡を、夢見てしまった。それがどういうことか、わかっていなかったんだ。ごめんよ」
「俺は自分の意志でエアルを探した。そこに後悔など一つもない」
「君がそう言ってくれたとしても、やっぱり僕は、あんな約束をすべきじゃなかった。人は死んだらそこまでだ。生まれ変わったら、僕は僕じゃない。僕の業を、他の誰かに背負わせるなんてことは、しちゃいけなかったんだ」
「エアル……」
エアルがダリアンの胸を押す。名残惜しむように、ダリアンがそっと体を離した。
「僕は完全に存在を消す。これ以上は、ハルトの負担になる」
「エアル……ッ!」
「勇者エアルは死んだ。だからダリアン、もう僕の影を探すのはやめろ。それでも君がハルトを想うなら、彼の幸福を考えろ。手に入れることが全てじゃない。彼を笑顔にするために、できることを考えるんだ。君にはそれができるはずだろう。僕のために国を造り、人間と魔族の橋渡しをしてきた君なら。ダリアン、君の本質は、とても優しい」
真剣な目で訴えるエアルに、ダリアンはくしゃりと顔を歪めた。
「それは、エアルがいたからだ。お前が俺を変えた」
「変わったのなら、大丈夫だ。僕がいなくても、僕との思い出までは消えない。僕が君に何かを残せたのなら、それを誇りに思うよ」
エアルは腕を伸ばして、ダリアンの頬を両手で包んだ。
「君と生きられて、僕は本当に幸せだった。愛しているよ、ダリアン。……さよならだ」
ダリアンは泣くのを堪えるように息を詰めて、それでも、精いっぱいの笑顔を作った。
「エアルと出会って、俺は初めて世界に色があることを知った。……愛している。この先誰と生きることになっても、その気持ちは変わらない」
視線が絡んで、二人の顔が近づく。
呼吸がかかるほどの距離で、エアルが小さく笑った。
「この体はハルトのものだから、少し気まずいな」
「なに、この歳で初めてということもないだろう。気にはしないさ」
「そうだといいけど」
冗談めかして言いながら、エアルが瞳を閉じる。
浄化の雨が降り止むまで。二人は魂に刻み込むように、触れ合っていた。
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