彼の地で君と出会う

 □■□

 

 もうじきこの世界ともお別れだ。

 何かやり残したことはないか、と考えて。

 あの場所に行ってみたい、と思った。


「ミシェルー」


 書庫に顔を覗かせた俺に、ミシェルは変わらず穏やかに笑った。


「ハルト様。どうなさいました?」

「あのさ、ちょっと見てほしいものがあって」


 俺は自分で描いた絵を机に広げた。


「これは……湖、ですか?」

「そう。この場所に、行きたいんだ。どこだかわかるか?」


 あまり上手くはないので不安だが、何せ場所の情報が俺の記憶しかない。

 最低限ものの配置はわかるように心掛けたんだけど、伝わるだろうか。


「これ、ヴェラーラ湖じゃない?」

「カロ」


 ぴょこりと出てきた金色に、俺は視線を落とした。


「昔ピクニックに行ったことがあるんだ。とてもきれいなところだよ」

「それ、場所わかるか!?」

「うん。ちょっと待ってね」


 ミシェルに地図を出してもらって、カロが印をつける。

 マベルデ王国から、魔国領の方面にある場所のようだった。


「サンキュー、カロ! ミシェル!」


 俺は地図を持って、カインのところへ急いだ。


「カイン!」

「ハルト。どうした、そんなに急いで」

「あのさ。今度の休息日に、ここに行きたいんだ。いいかな?」

「ヴェラーラ湖か? そうだな、危ない場所ではないし、構わないだろう」

「やった!」


 嬉しそうな俺に、ふと思いついたようにカインが口にした。


「そうだ。どうせなら、皆で出かけようか」

「えっマジで!?」

「ああ。ハルトも、もうすぐ帰ってしまうしな。思い出作りに、いいだろう」

「やった! 楽しみにしてる!」


 思いがけずレジャーの予定が立って、俺は久しぶりにわくわくしていた。

 いい天気になりますように、なんて。無駄にてるてる坊主なんか作ったりして。

 わかりやすく浮かれる俺に、周りは苦笑していた。けれど、自惚れじゃなければ、皆も楽しみにしてくれていたと思う。


 そして当日。カイン、アルベール、アーサー、ラウル。それにミシェルとカロも。

 俺たちは揃ってヴェラーラ湖に訪れていた。


「うおー! すっげー! きれー!」

「はしゃぐと転びますよ」

「晴れて良かったなー!」


 気候も暖かくなってきており、風は穏やかで空は快晴。絶好のピクニック日和だった。

 魔王と勇者が逢引していた場所にピクニックなんて、なんか変な感じだけど。

 カロも昔ピクニックで来たって言ってたし、普通に観光地なんだろう。他に誰もいないけど。

 俺はめいっぱいはしゃいだ。この世界の思い出が、楽しいものとなるように。

 皆にもそれはわかっていたのか、思う存分遊びに付き合ってくれた。

 アーサーとは、食堂の人たちが作った弁当のおかずを取り合って。アルベールには、水を使った魔法を見せてもらって。カインとは、水切りの勝負をして。カロとは、鳥を掴まえようとして。ミシェルには、水辺の生き物を教えてもらって。はしゃぎすぎてたまにこけそうになる俺を、ラウルが支えた。

 楽しかった。本当に、心から。呪いのことなど、忘れてしまいそうなほど。


「つかれたー!」

「全力すぎなんですよ、あんた」


 ラウルにつっこまれながら、俺は地面に寝転がった。

 目を閉じれば、風の音と、水の音と、親しい人たちの笑い声。

 ずっと、この空間にいたいと思った。


 ――僕も、そう思っていたよ。


 何かが聞こえた気がして、俺はがばりと身を起こした。

 

「うお、どうしたんですか、急に」

「いや……なんでもない」


 急に心臓が早鐘を打つ。なんだ、この感じ。

 嫌だ。俺は、この景色を見に来ただけなんだ。思い出を、作りに来ただけなんだ。

 それ以外に。何かを探しに来たわけでは。


「ちょっと顔洗ってくる」


 湖に近寄って、水をすくうために膝をついた。水面に自分の顔が映る。

 それが揺らめいて、別人の顔が映った。


「うわっ!」


 驚いて尻もちをついた俺に、ラウルが駆け寄る。


「何やってんですか」


 呆れたようなラウルに、俺は返事ができなかった。


「……ハルト様?」


 様子がおかしい俺に気づいたのか、ラウルの声が険しくなった。

 けれど、俺はそれに反応できなかった。

 何だこれ。何だこれ。

 頭に、ノイズがかかったようになった。目の前の景色に、違う景色がダブる。

 いない人間の声がする。聞き覚えがある、これは。


「ダリアン……」


 呆然と呟いた俺に、ラウルが息を呑んだ。

 愛おしい。違う、これは俺の感情じゃない。なのに、涙が溢れて止まらない。


「ハルト!」

「どうした!?」


 さすがに他の皆も気づいたようで、俺の周囲に集まってきた。

 事情を尋ねるカインに、ラウルが首を振る。

 それらは目の端に映っていたが、俺の視界は正しく機能していなかった。

 誰かの視界が、入ってくる。誰かの記憶が、入ってくる。


「嫌だ……なんで、こんなの」

「ハルト様!」

「なんなんだよ、エアル!!」


 だから転生ものは地雷なんだ。

 今の人間に、入ってくるなよ。俺を、消すなよ。俺は、ハルトだ!


 ――ごめんね。


 その声が、ひどく悲しそうだったから。

 俺は文句も言えないまま、意識を失った。



 

「ハルト!」


 倒れたハルトを、皆が覗き込む。彼が最後に叫んだのは、勇者の名だった。

 いったい何故。何が起きたのか。

 全員に緊張が走る中、ハルトがうっすらと目を開いた。


「ハルト! 気がついたか」


 声をかけたカインに、ハルトがうっすらと微笑んだ。


「ああ……心配をかけてしまったね、ごめんね」


 穏やかな口調、柔らかな空気。そして何より、瞳の色が――違う。

 湖を映したようなアクアマリンが、静かに揺らめいていた。


「あんた――誰ですか」


 ハルトを支えていたラウルが、張り詰めた声で問う。

 それにハルトは、自力で身を起こしながら答えた。


「君たちは、マベルデの国民だろう? なら、僕の名は聞いたことがあるかな」


 ゆったりと微笑んで、ハルトの顔をしたその人物は名乗った。


「僕はエアル。昔マベルデ王国に勇者として召喚された者だ」


 誰も状況が呑み込めない中、エアルだけが笑みを湛えていた。

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