エアルって誰だよ

 眠っている俺の髪を、誰かが撫でている。

 ひどく優しい手つきで、大事で仕方ないものに触れるようだった。

 こんな手つきを、俺は知らない。母親に撫でられたのだって、もう遠い記憶だ。殴られた記憶に上書きされてもはや思い出せない。母ちゃんコワイ。

 

「――エアル――」


 手つきと同じ、優しい声だった。大切な宝物を呼ぶ声だ。

 多分、人の名前なのだと思う。でも俺はその名を知らない。

 誰だよ、エアルって。

 なんかちょっともやもやして、眉間に皺が寄る。

 するとくすりと笑ったような気配がして、額に柔らかい感触が触れる。

 俺は更に眉間に力が入り、瞼を震わせて、うっすらと目を開けた。


「起きたか? ハルト」

「――――……」


 俺は思わず呼吸を止めた。


「………………退け」

「なんだ。可愛い寝顔を見ていたかったのだが」


 ぞわぞわと全身に鳥肌が立った。

 超至近距離の笑みに寒気がする。

 勢いで起き上がらなくて良かった。大事故が起こっていたかもしれない。

 しっしっと手を払った俺に、ダリアンは微笑みながら顔を離した。それを確認して、俺も起き上がる。


「俺どのくらい寝てた?」

「一時間も経っていない」

「なんだ、そんなもんか」


 くわ、と大口であくびをする。時間は短かったようだが、幾分かすっきりした。

 目をこする俺を眺めながら、ダリアンは何かを取り出した。


「ハルトに渡したいものがある」

「渡したいもの?」

「これだ」


 手のひらに乗せられたのは、深紅の石がついたピアスだった。ただし、片方だけ。


「ピアス?」

「加工した魔石だ。これは転移魔法に用いるもので、対となる魔石を持っている者の元へ一瞬で転移できる」

「あ、それ知ってる。ってことは」


 ダリアンが髪をかきあげて、自分の右耳を見せた。そこには、同じ深紅のピアスがあった。


「これで直接俺の元へ来れば、馬車に乗る必要はない」

「おお、それはありがたい!」


 言ってから、はたと気づいた。俺一人が来るのは、まずいのでは?


「なぁ、これって、誰か一緒に連れてきたりできる?」

「なに?」

「俺一人でこっち来るのは止められてるんだよ」

「……従者は後から馬車で来ればいいのではないか」


 ふい、と不機嫌そうに顔を背けたダリアンに、俺は溜息を吐いた。

 仕方ない、同時転移が可能なのかは後でアルベールに聞こう。

 でもできたところで転移先がダリアンなのだとしたら、やっぱまずいよな。目の前に現れちゃうわけだから。

 ……こっそり行ってこっそり帰ってくる、とかはできそうだな。バレたら大目玉だろうけど。

 それにしても。


「なんか俺、これ見たことある気がするんだよなぁ」


 俺はピアスをつまんで、まじまじと見た。

 ピアスそのものではない。ただ、この深紅の石に見覚えがある。

 どっかで。昔、昔。なんだっけ。


「っあ! 思い出した。これ、俺が生まれた時に握ってたって石に似てるんだ」

「……石を、握って?」

「おう。俺が生まれた時、手を固く握りしめててさ。やっとのことで開かせたら、小さな赤い石を握り込んでたんだって。腹の中でそんなものができるわけないし、血の塊かなんかかと思われたらしいんだけど、結局なんだかよくわかんなかったらしくて。母ちゃんが珍しいし記念に、って箱に入れてとっといてさ。そんで俺も見たことがあったんだよ。あの石の色に似てるんだ」

 

 そうだそうだ、すっきりした。やっと思い出した。

 まぁ、似たような色の石なんていくらでもあるか、と思っていたら。

 ダリアンが、俺を強く抱きしめた。


「うおお!? なんだ!?」

「いや……そうか。そうだったか……」

「なにが!? 一人で完結しないでくれる!?」


 わけがわからない。情緒不安定か。

 どうしたものかと思っていると、ダリアンが俺の頬に手を添えて、そのまま手を滑らせて右耳をなぞった。


「今、つけてもいいか?」

「え、あ、無理。俺穴開けてないもん」

「なんだ、そんなことか。なら開けてやろう」

「え」


 何でもないように言って、どこから取り出したのか作り出したのか、ダリアンは手に鋭い針を持っていた。それを魔法で出した火で炙る。おいまさか。


「すぐ終わる」

「いや無理無理無理、せめて医者を呼んでください」

「痛いのは一瞬だ」

「一瞬でも痛いのは嫌だよ!」


 ピアッサーならまだしも、針で無理やり穴開けられるとかどんな拷問だ。無理、絶対無理。

 じりじりと迫るダリアンに、俺は既に半泣きだった。これは本気でガチで無理なやつ。俺注射も苦手だもん。


「~~~った、助けてラウルーー!」

「っ!?」


 強く念じた瞬間、腕輪が光って魔法陣が展開した。次の瞬間、俺はその場から姿を消した。


 □■□


 奇妙な浮遊感の後、俺の目の前にはラウルの姿があった。

 ラウルの顔を見て安心した俺とは正反対に、ラウルは俺の顔を見た途端、目を丸くしてからひどく険しい顔をした。

 案の定よろけた俺を抱きとめたラウルに、俺は力の抜けた声で礼を告げた。


「あ、ありがと、ラウル」

「何がありました」

「へぇっ!?」


 ラウルは何故か俺を抱きしめたまま放さず、顔は見えないのだが、声がめっちゃ低い。ていうか怖い。思わず変な声が出た。


「いや、ちょっとな。びびって思わず使っちまっただけで、大したことじゃないから」


 言った途端、ラウルが俺の両肩を掴んで向き合った。その表情を見た瞬間、俺は正直やっちまったと思った。


「大したことあるだろ! 泣いてんだろうが!!」


 その剣幕に、俺は落ち着きかけた涙がまたじわりと込み上げるのがわかった。

 ラウルはそれを見てはっとして、ふいと顔を背けた。


「大声出してすみません。とにかく、今日はもう帰りましょう」

「おう……」


 俺はひどく情けない気分で馬車に乗った。

 ラウルは護衛なので、同じ馬車の中には乗らない。内側にいると外からの反応に遅れるとのことで、馬に乗って馬車と並走している。

 馬車の中で、俺は膝を抱えた。情けない。恥ずかしい。消えてしまいたい。

 ていうかピアス穴であそこまでびびるとか、中学生か。そりゃ俺らの時代はピアッサーがメインだけどさ。ニードルで開ける奴とか、中には安ピンで開ける奴もいんじゃん。俺は絶対嫌だけど。

 少なくとも、泣くようなことじゃない。完全にやらかした。


「お前のせいでもあるんだぞ……」


 俺は手の中のピアスを見ながら、そう呟いた。

 確かに俺はやらかしたが、半分はダリアンのせいだ。次会ったら絶対文句を言ってやる。

 俺はちょっと考えて、ピアスを服の襟に刺した。ブローチみたいな感じ。

 これだと使う時に手で触れないといけないけど、手に握ってるよりは失くさないだろう。

 服着替える時に外すの忘れないようにしないとな、とぼんやり考えた。

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