【フリー台本】でも、本当は・・・?【朗読OK】

つづり

でも、本当は・・・?

 紅茶を買いに行きたいのと、姉の葉月が言い出した。私はその時覚悟した。私と姉が息を吸うように買い物に出かけるとしたら、今日が最後なんじゃないかって。

 姉は一週間後に家を出る。二十八年生まれ育った家を離れて、婚約者と同棲する。私の姉がいなくなる。そのことに寂しいより、グッと拳を握るような。焦燥に駆られてしまう。


 私だけの姉が、誰かのものになってしまう。

そのことに、強い感情を湧かずにはいられなかった。


 その日は雨だった。三月の雨は、冬の名残を持っている。冷え切った雨だった。白い桜の花も雨に打たれ、反省するようにしなだれている。雨で桜が散ってしまったら残念ねと、葉月はよく言っていた。だけど何故か、全てが散ってしまえばと願ってしまいそうになる今の私には、散ってハラハラと花びらがバラバラになる姿を想像するのは、心の慰みになった。


 姉は男の人が苦手と聞いていた。実際苦手だったと思う、職場も女性中心で回ってるところで働きがちだったし、そっれに苦しそうなところがなかった。

 私は姉が子供の頃から好きだった、少し気弱で優しい姉に何度も助けられてきた。子供の頃の好きを拗らせている私にとって、姉に近づく不埒な男どもは完全な敵だった。


 姉も男運がないのよねと言って、男性との距離感を自然にとるようになってたから、私には安心だった。


 姉とは、この生まれ育った家でずっと暮らしていくのだ。

少し小さい家かもしれない、少し古くなっている家かもしれない。でも私たちの思い出が詰まったこの優しい世界で暮らす。そんなささやかな願いが、どうして叶えてくれないんだろう。神様は。


 気だるげに平行線にしかならない恋の歌を聴きながら、私は、約束の店に着いた。学校の試験で遅れてしまって、葉月が先に、店の席についていた。窓の外から見る姉は、今まで以上に綺麗に見えた。姉は私にとって綺麗な人だった、ずっとずっと綺麗だった。でも他の男を、いや、恋を知った女の顔は、とても綺麗だった。芳しい香りを放つ、白い百合の花のようだ。


 悲しい。


 こんなことなら、私が姉の心を奪えてしまったらよかったのに。姉は優しいから私の感情を許してくれるかもしれない。だけどそうしたら、もう二度と、私たちは姉妹として、相対できない。姉さんと呼んだあの幸せな日々に戻れないのだ。


「優ちゃん、雨に濡れてこなかった? 結構ひどくなってきたから心配してたよ」


「大丈夫だよ、姉さん。それより、どうしてここに? まだ紅茶、家にはあったけど……」


「ああ、新居にね。持っていくのを選ぼうと思って。真人(まさと)さんが好きそうなのも考えたくてねぇ、一緒に考えてくれない?」


 さらりと死刑宣告されたような気分だ。


「いいよー、ああ、真人さんが将来のオニイサンになるって変な気分だなぁ、この間会ったばっかなのに」


 そのくせ、口から出るのは能天気な言葉だった。

こんな話が出るのがわかっていた。何度も頭の中で、デモンストレーションした。だから平気だ。


「そうね、唐突に紹介したから、みんなびっくりしてたよね。お父さんなんて、目をまんまるにしてたし」


 笑いを噛み殺すように、葉月はおかしそうにしていた。

姉と婚約者の付き合いは、もう一年以上に及んでいたらしい。つまりしっかりした交際だった。遠距離恋愛だったそうで、電話でのやりとりが多く、余計に私たち家族が気づきづらかった。二十八歳の女性の一人部屋は完全にブラックボックスのようなもんだったから。


「さてさて、探しますかー、ここ、陶器も扱ってていいよねぇ」


 そう言っていた姉が不意に近づいた。ふわりと甘い香りがする、ドキッとして私が顔を背いてしまうと。困ったように彼女は言った。


「こらこら、顔に髪が落ちてるんだから、とらせてよ」


 私は恥ずかしさと照れで、顔が熱くなるのを感じた。

姉は私のことを神妙な顔で見回した。きっと他に何かないのかチェックしているのだろう。その見分する眼差しの真剣さに私の脳の中心がドロドロに溶けそうだった。


「こんなこと、もう出来なくなるかもね……優ちゃん、ちょっと抜けてる時あるから、ちゃんと見てくれる人いるといいんだけど、いつまでも母さんとかは、あれだしね」


 姉は苦笑した。その鈍麻な精神から発せられる、腐ったような平和な言葉は、反吐が出そうだった。私の姉はこんなこと言わなかった。まるで部外者になるかのような物言いじゃないか。家族というつながりは、たとえ婚約者の元に行こうとしても、変わらないはずなのに。


 感情的になってる、激昂しそうな精神性の鋭さに自分で恐れを感じた。今の私は葉月という女性の首元を折らんばかりに狙い続けている獣のソレだ。


 私はひとしきり、深呼吸した。姉は私の状態に気づいておらず、茶葉のケースをチェックしている。香りを試せたり、お茶の試飲もできる店だった。だから二人で来る時は時間を忘れてしまう店だった。


 古い木の色のをしたケースや、陶器も飾られている棚も深い茶の色をしている。今日は雨の日でもあったので、その色がより濃くなっている気がする。季節の花も店内には飾られている。桜の枝が、ぴんと枝を張り、白い花びらが、雨など知ったことかと、咲いていた。その気高さを感じる姿はどこか見惚れそうになるものであり、それと同時に居心地も悪くさせるものだった、


「このカップ素敵じゃない? 紺の色がシックで」


 姉が嬉しそうに指を指した。

大人っぽい、落ち着いたデザインのカップだった。


「素敵だね、大人っぽいし」


「だよねぇ、さっき真人さんに写真を送ったの。そしたらすごく気に入ってたんだよね」


 姉の、のほほんとした言葉が胸に突き刺さって、思わず視線を逸らした。そうだと、葉月ははちみつ色のしたカップを指さして言った。


「これは、優ちゃんに合いそうじゃない? というか気に入ったカップあったら買ってあげるよ」


「え、いいの。ここの陶器、結構高くない?」


 姉はゆっくりと頭を横に振った。

私の一瞬の不安をゆっくりととるような、ゆっくりした動きだった。


「いいの、買いたいから、気にしないで。優ちゃん、ずっと私のそばにいてくれたんだもの。少しでも優ちゃんに感謝をお返ししたい」



「そんなこと」


 気にしなくていいのに、という言葉は、姉の人差し指で封じ込められた。口元に添えられた姉の人差し指。それはとても優美な口枷だった。彼女はずいっと私に顔を近づけ、見つめた。


「だーめ、今日はお姉さんのいうことを聞きなさい」


 そんな柔らかく、とろけてるのかと思うくらいの甘い声で言われてしまったら、はい……と返すしかなかった。




 茶葉やカップを包んでもらおうとした時、新作の茶葉の試飲を勧められた。雨はもう少し続きそうな雰囲気でもあったので、私と姉は窓際の席で、お茶を楽しむことした。


「この紅茶すごいね、ふちのところが輝いて、金色みたい」


「確かに……」


 出された紅茶にお互い感嘆の声を上げる。

彼女は紅茶を品のよい動作で、飲み始め。やがて目を細めた。


「あのさ、優ちゃん。優ちゃんって好きな人ができたら、ずっと一途に考えちゃうタイプ?」


「どうだろな」


 嘘だった。まさにその通りだった。私は姉のことを一途に見ている。彼女のことを見ることがやめられない。


「わかんない感じかな。そっかー。私は結構よそ見しちゃうタイプ」


「よそ見?」


「そうーたとえば、付き合ってる人がいたとして、でもこの人も悪くないかもとか考え出すタイプ」


 彼女はくすくすと笑った。


「真人さんと付き合ってるじゃない、それなのに、他にいい人会うと、いいなって思っちゃって。フラフラしてるよねぇ」


「大丈夫なの、それで婚約して」


 自分が言うことではないかもしれないが、思わず突っ込んでしまった。葉月はそうねぇ、と目を細めた。


「一番、よそ見してしまう人と離れるからってのもあるし、覚悟も決めたからなぁ」


「一番、よそ見……?」


 彼女は困ったような顔で私を見ている。少し微笑んでいるのに、なぜか泣きそうな顔にも見える。

 なぜ、彼女はここで、私をこんなにも見つめるのだろう。


 彼女が付き合っている人がいるのにも関わらず、一番よそ見してしまう人物って……まさか……。


「どうか、幸せになってね。いつまでもお姉ちゃんっ子もダメだからね」


 震えた声で姉は言った。そんな姉の姿を見た途端、私の心が大きく震え……姉の腕を引っ張り、キスしたくなった。


 でもそれは地獄堕ちする無謀と同じだった。

 私が不幸になるのはいい。でも、姉まで巻き込む事になる。


 私はテーブルの上の拳を握りしめた。


「そうだね……きっといつか、そうなれるように、なりたいよ」


 雨の音がひっそりと収まっていく。

もう少ししたら、雨は完全に上がって、私たちは帰途につくだろう。虹が見えたらいいと思う。綺麗な七色が姉を祝福すればいい。


 私は冷静に姉を祝福できない。

まだ、姉の言葉が鮮烈に頭の中で響いて、とてもできそうにない。でもいつか、どこかで、絶対。


 葉月のことを笑顔で祝福したい。

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