record:樹海
1 三瀬南部樹海の構造に関する情報
三瀬境界線上を西端に三瀬東部に位置する半島に繋がる平野まで東西に広がる。“イベント”以前は存在しなかった植物により構成された土地であり、従前の街を呑み込んで構築された影響で標高が高い。
ネットワーク上に残る探索記録によれば、樹海内はいくつもの小高い丘と窪地の組合せで出来ているものと推察されるが、その全体を調査した記録はない。
“イベント”以前は市街地であった場所の多くは現在は丘状になっている。ビルや住宅を土台に伸びる樹木が多数存在していることから丘の地下には市街地跡が遺っている可能性が高い。
この推論は、三瀬南部樹海での目撃例が多い車両を外殻に利用する甲殻類に近いイ形の生態からも裏づけられる。樹海内は構造が判明している全ての区域が森と化している。そのためイ形が外殻として利用している車両。とくに破損、劣化の少ない車両は珍品といって差し支えがない。しかし、報告にあるイ形はいずれも外見上正常な車両に見え(探索者は車両の外観が綺麗であることをイ形の識別基準としている)、かつその個体数は非常に多い。
更にこのイ形については土を掘る習性があることが報告されており、樹海の地下に残存した市街地にて車両を確保し地上へと現れているというのが現在有力視される仮説だ。
2 樹海出現期の蔵先市街について
樹海出現期――正確には蔵先市街が構築された時期の記録は“図書館”の管轄下に存在しない。
三瀬全体を掌握しているとされる管理委員会のネットワーク。蔵先市街がこれに参入したのは後期であり、参入時には既に壁に囲まれた市街が形成されていた。
加えてネットワーク参入を求めたのは三瀬管理委員会側であり、蔵先は他の市街とは必要最小限の情報共有しか行わないと述べ、管理委員会側に樹海外との交易路の維持のみを求めた。三瀬内で知られている隔離政策の原型だ。
この政策の影響で、蔵先市街については参入後ですら情報が少なく秘密主義がすぎると有名となる。
なお、余談ではあるが現在の蔵先市街は“イベント”以前大規模農地であった。壁を初めとする蔵先の建築物が、イ界の素材、技術により構築されているのは、蔵先が“イベント”以前の既存設備を持ち得なかったことが要因と考えられる。
―――――
「つまり、依頼した情報はほとんどわからないということ?」
「そうなります。譲葉さんが要求した情報はネットワーク上にほぼ存在しません」
結論に自信があるからこそ連絡を試みたのに、喉の奥が乾いて声が掠れる。本来“図書館”は情報の掌握を役割としている。今回の返答は表面上その期待に背くものになる。それでも正解と踏んだのは、石神が譲葉の依頼に感じた予想に過ぎない。
「不自然だね」
声は言葉と裏腹にどこか嬉しそうだ。
「蔵先で手に入れた情報と齟齬がありましたか?」
「いや、そっちはいいんだ。不自然なのは管理委員会側だよ」
「予想外の返答ですね」
「そうか? 今の話だと、管理委員会側が蔵先市街をネットワークに繋げる利点がない」
「最低限、繋がっていることは確保できています」
「それじゃあ意味がないだろう。他方で蔵先側は樹海の外の事情を多少なりとも知ることが出来る」
「でも、蔵先が隔離政策をとっているのは情報汚染を怖がっているからですよね」
情報汚染源論、蔵先が他の市街との交流を嫌う原因は明らかだ。彼らはイ界の技術を使いながらも域外、つまり現実の光景を維持し続けることを求めている。
「前提がおかしいと思わないか。蔵先以外でも情報汚染源論を掲げる人を見たことはあるけれど、彼らは軒並みイ界産の技術を厭がっている。だが、君も知るとおり蔵先は外壁の構造の時点からイ界に頼り切って作られた街だ。蔵先の外を知らない今の住人が情報汚染源論を掲げるのはありえても、“イベント”直後の住人が掲げるのは違和感がある」
「それは蔵先では非現実的だったんじゃないですか。あの建造物を建てて樹海に引き籠もるにはイ界の技術を使うことを避けられなかった」
「避けられなかった? なら、樹海から出ればよかったんだ。5キロも北上すれば樹海の外なんだし、なにより蔵先には“イベント”前から都市があったわけではないのだから」
その発想はなかった。譲葉の仮説に追いつけず、石神は言葉を詰まらせた。もし譲葉の話の通りなら彼らは何に拘ってあの場所に街を作り、ネットワークに参入したのか。
「これは蔵先市街を観てきた印象に過ぎないけれどね。あの街は箱庭だ。住人達は自主的に市街に立てこもるために活動しているつもりだが、街側は住民を市街に留まらせることを目的にしていると思う」
「流石にちょっと意味がわからないです」
「域外への接触を厭がる理由は情報汚染源論ではなくて、住人達が外に興味を持ち出ていくことを抑制したいからで、他方で外との交流は域外の生物や文化を集めるため。街の設計者はあの街こそが住人の唯一の場所と錯覚させて留まらせる目的でシステムを構築している。そう仮定すると市街が樹海の外や域外であるかのように装うのも理解ができる」
「待ってください。話が飛躍しすぎていてついていけません。何より、譲葉さんの話では蔵先市街はどこからどう見ても三瀬独自の発展をした街なんですよね。外を模そうとしたが樹海内で安全な場所を確保すること、当時の蔵先地区が持つ資源などの兼ね合いから不可能で、イ界技術が使いやすい形を維持しつつ風景はどこかの街へ寄せた折衷案になっている。そういう認識になりませんか?」
少なくても、それが管理委員会や“図書館”による蔵先市街への評価である。
「石神、それは彼らを過大評価しすぎているんじゃないかな。設計者は単純に外を知らなかったんじゃないか?」
それは……彼女の仮説の通りなら、蔵先市街は設立の系譜からして“図書館”の認識と食い違うことになる。
「まあ設計者の目的がどちらにせよ、蔵先は樹海の外に交易路が欲しかったはずだ。それがなければ現実側の動植物の調達に困難を来す。その点では管理委員会の申出は渡りに船だったんだ」
予想から外れる譲葉の思考についていけないが、声は弾んでいる。石神の提示した情報が彼女にとって価値があるのは確からしい。
「だが、蔵先には利点があるが管理委員会は別だ。君は疑っているようだが、情報を得ることが出来ない拠点を増やしても委員会に利益はない」
「それこそ、譲葉さんたちのように樹海探索の拠点として利用する方法なども考えられます」
「探索記録には蔵先市街を経由したものはないんだろう?」
伏せていた情報を言い当てられる。彼女は蔵先と樹海で何を見たのだろうか。
「……そうですね。こちらに残っている記録は全てが蔵先のある地点とは別、樹海の東側からの探索記録です。かなり奥深く探索したものもありますが、探索ルートはいずれも蔵先市街を避けるものでした。依頼側が避けることを指定しているわけでもなく、理由はよくわかりません」
「なるほど……指定がないなら、彼らが避けた理由は単純だと思う。今回の依頼が残っていたのと同じ理由でルートが選ばれているんじゃないか」
つまり、探索者たちが蔵先市街の隔離政策を知っていて自主的に避けている。
「それって、管理委員会というか私たち“図書館”が皆さんを誘導しているってことになりませんか?」
「なるかもな。案外理由はあるのか。管理委員会は蔵先市街を遠ざけたくてネットワークに参加させたのかもしれないな」
遠ざけたくて……?
「ありがとう、石神。貴重な情報だった。ずっと引っかかっていたものがわかってきた気がする。ところで、探索記録が多く存在するなら南蔵田の情報はなかったか?」
「えっと……それであればいくつか調査結果が残っています」
「朗報だね。場所は示されていたかい?」
「概ねのものは。ただ南蔵田地区と思われるエリアを見つけた人たちはそこまで下りられなかったようなんです」
「下りられなかった? まさか標高差があるのか」
そのまさかだ。記録によれば樹海の南端部は崖上になっており、崖下には海岸線に面するように廃墟が広がっているという。発見者は崖下に下りる装備もルートも確保できなかったため、探索を断念したとある。
「ちなみにその調査依頼はどこから?」
「同一IDから発行されているので、同一人物、あるいは同一拠点からの依頼だと思います」
「なるほどね……それじゃあ最後に一つだけ確認をしたい。今回探した情報のなかに南蔵田を含む三瀬南部樹海で発生した“イベント”の詳細記録はなかったか?」
「ありますよ。南蔵田を発見した探索隊は帰還してから南蔵田地区の記録を検索して、いくつかの情報を探り当てています。樹海の発生機序が解明されない以上、比較できないため彼らの調査記録が活用された痕跡はありませんが」
「充分だよ。それはこれから活用できるはずだ。教えてくれるかい?」
無論、その質問があれば答えるつもりで準備はした。だが彼女自身の依頼がこの情報に到達すると確信する思考は気味が悪い。
石神には今回の蔵先市街からの依頼について譲葉煙が何を見ているのか想像がつかなかった。
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