第2話





 木の階段を降りながら『ボク』はこう思っている。あの紳士気取りの馬鹿は、レシートの束を集めればあの女に近づけると思っているんだ、と。結局、お金を得る為とはいえ、ボクは本当にしょうもない仕事に手をつけているのだ。ケチャップに塗れた赤い指を服で拭いながらそう思う。階段を降り終える。


 顔を上げて、街の白さと喧騒に暫く圧倒される。目の前を目にも止まらぬ速さで次々と通り過ぎていく色とりどりの車たち。綺麗な毛羽の立たない絹の服を着てその前を歩いていく数々の人たち。ボクにはどんな存在も自分には無縁に思える。路地裏に住み着いている鼠なら、僕は同類だと思う事ができる。


 とうの昔に穴の空いた靴でボクは歩き始める。あの男に言われた情報を手に入れるために。街の白さは徹底してボクを虐め抜こうとしているみたいに思えた。その間を縫うようにして、どうにも仕様がない重たい荷物を背負うようにして歩いていると、塾帰りだろう、同年代ぐらいの少年達の集団にぶつかりそうになる。


 気持ち悪い視線を感じながら、ボクはその集団をやり過ごして通り過ぎ、多分後ろで噂されているのだろうと思いながら歩いていく。


 なに、仕事は他にもあるんだ。何もあの男から言われた紙だけじゃない。そう言いながらもボクの足は、例のあの女が落とすゴミ袋のあるエリアへと再び足を向けているのだった。





 ねえ、と言われて顔を上げる。時刻は五時になろうとしている。図書館は静寂に包まれ、誰の物音も本の中の物語や論調に吸収されて消えている。『僕』は目を上げて、肩に乗っている相棒へと目を向けた。相棒は忙しなくキョロキョロと辺りを見回しながら、思案げな賢そうな目を向けてきている。


「ねえ、もう五時だよ。そろそろ時間じゃないの?」


「分かってる」


「分かってないよ。準備してないじゃない」


「うん」自分の周りには借りてきた本がピラミッドを成して置かれたままになっていて、その殆どにはまだ手がつけられていない。


「ねえ」と相棒の声がする。


「まだ諦めてないの?」


 囁くように言われたその言葉を無視して、僕は置かれている本の束を片付けにかかった。無言で本を重ねて戻しに行こうとすると、後ろの方から声が聞こえてくる。


「ねえ、あれチンチラじゃない? 可愛い~」


「肩に乗っけてる。可愛い、いいなぁ~」


 相棒が誇らしげにえへんと鼻から息を吐いているので、何となく腹が立って頭を叩こうとするが、一瞬で姿を消して、次には胸から顔を覗かせていた。僕は構わず本を片付け、コートを羽織る。季節は秋。まだ残暑が残っているとはいえ、そろそろ風が冷たくなり始めている頃だった。まあ、コートを羽織っているのはそれだけが理由ではないのだが。


 入り口で会員証を見せて、僕は外に出る。相棒はいつの間にかまた右肩へと位置を移動していた。人々の視線を感じながら、僕は外に出るのだった。


 外に出ると、空の白さが眩しく感じられる。人々は下を向き、俯き加減で、どこかいつも急いでいるように感じられる。それを見ても僕は特に何も感じないが、時間はとにかくも有限だと、人々が無意識に感じているのだと思ってしまう。腕時計を見、懐から懐中時計を取り出す。時間を見る。あと十二分。相棒が時間に遅れるかもしれないと危惧していたが、僕は無意識にでも仕事のことを忘れたりはしない。僕の足は決められた場所へと、決められた行動を取るように運ばれていった。誰の意図かも分からずに。



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