第12話 交渉
結論から申し上げると、歯ごたえがなかったのはジェルヴェではなくテストの方だった。
筆記試験は4人全員文句なしの満点、実技試験も軒並みパーフェクト。
私たちは、一カ月前から、綿密な情報収集と、どんな無茶な難題が来ても問題ないよう、用心に用心を重ねた対策をやりつくしてここまで仕上げてきたから、当然の結果と言えようが、私たちよりも後れを取った分際で余裕ですが? みたいな顔をして私たちと肩を並べたジェルヴェのスカシ顔が腹立たしくてならない。
君は元々の天才気質に加えて、去年も同様の結果でダントツ一位に君臨したチート存在ことレナンドルにマンツーマンで手取り足取り対策してもらったんだから、鬼に金棒も良いところだっただろがい。クソ、さも当然みたいな面しやがって。
テストもテストである。なんだあの激ヌル仕様は、やる気あんのか。どんな捨て問が来てもいいように、二年で習った単元の最新研究の論文まで取り寄せて演習問題作った私の努力は何だったんだ。
テスト開始からほんの10分くらいで解き終えてしまい、問題用紙に抜けが無いか疑ったし、にわかには信じがたく、テスト監督にまで確認したほどだった。残りの80分を無為に過ごす羽目になった私の心はやるせない怒りでいっぱいだった。
とにかく、4人がパーフェクトという前代未聞の結果に終わった学年末テスト。
そこで、主席を選抜するため、学園長の苦肉の策として急遽用意されたのが、魔法戦闘トーナメントだった。
一応、2年の学年主席を決めるための特例というのは学園の沽券にかかわるということで、志願者は全員参加してもよく、優勝者には、枠に関わらず、アトラム寮への入寮資格が与えられるということになった。
ここで参ってしまったのがリューシェ様である。彼女は持ち前の優れた素質を弛まぬ努力と研鑽で磨き上げ、ニンフィールド出身者には後れを取りがちな大陸生まれでありながら、魑魅魍魎のルブルムとも対等以上に渡り合う女傑だ。
しかし、魔法戦闘が嗜みとして根付いている野蛮な……もとい、ストイックなニンフィールドと違い、大陸では実戦経験を積む機会など皆無に等しい。学園に入ってからも、実戦的戦闘魔法を教える唯一の選択科目である魔法戦略実践学は履修していないという。
「あああ、どうしましょう、シルヴィ……! 私、決勝どころか、予選トーナメントすら勝ち上がれる気がしないわ……! ジェルヴェ以外の人を吹き飛ばすなんて考えられないの!」
「ジェルヴェ殿下ならいいのですね……」
「吹き飛ばされて喜ぶようなヘンテコな人が彼以外にいていいはず無いのよ!」
「ここにもいますけど……」
「ハェッ……!? やだ、シルヴィ、正気に戻ってぇ……!」
リューシェ様は涙目で私の肩を揺する。今日もリューシェ様が最高に麗しい。
勿論ほかの人間に吹き飛ばされたら次の瞬間には風魔法で服をズタズタに切り裂いて社会的に殺してやるだろうが、リューシェ様に吹き飛ばされるのはこっちの界隈じゃご褒美なのだ。
ア待って、でもこれじゃ私ジェルヴェと同類ってことにならない? うわあ、それはものすごく嫌。身の振り方には気を付けよう。
「本番は一週間後……リュー様、私に考えがあります」
「なあに……?」
「レナンドル殿下をこちらに抱き込むのです」
「まあ……!」
そう。テストではジェルヴェの方に渡ってしまった当学年の鬼札。
レナンドルを、ジェルヴェから引きはがし、あわよくば、ジェルヴェの戦闘における弱点を聞き出して対策するのだ。
何せ、アトラムニコイチことレナンドルとジェルヴェは、揃って魔法戦略実践学の授業を取り、普段も暇さえあれば二人でアリーナやシミュレーターに入り浸って、互いとの対戦にうつつを抜かしている戦闘狂だ。
ジェルヴェの弱点はレナンドルが知り尽くしているはずだし、指南役としてこれ程までの適任はいない。
予選対策はリューシェ様に吹き飛ばされるの大歓迎な私が請け負い、決勝はレナンドルの指南と戦略で、油断したジェルヴェの裏をかく。間違いなくこれで勝つる。
「それなら、シルヴィの独擅場ね!」
「へ……? いやいや、リュー様が少し微笑みかけてくだされば、レナンドル殿下なんてイチコロですよ。私の出る幕はありません」
「まさか! レニーはいつだってジェルヴェの肩を持つわ……レニーを悩殺できるのは貴方しかいなくってよ、シルヴィ!」
「でも、寧ろ、私が頭を下げるなんて、逆効果も良いところでは……? 殿下は私の望みなんてよっぽど叶えてくださいませんもの」
「ねえ、本気で言ってる……?」
「誓って、リュー様に嘘などつきません」
まあ、厳密には、リューシェ様の前ではウソなんて付けないって言うのが正しいけど。彼女の澄んだ瞳の前にはどんな詐欺師も無力なので。リューシェ様最強。
「ああ、レニー……信じられない、あの魔法馬鹿……!」
私のどこまでも真剣な眼差しを受けたリューシェ様は、何故か両頬に手を当てて首を横に振りながら呻いた。
オイ誰だリューシェ様にこんな顔をさせたのは、いくらレナンドルでも万死ぞ、万死! まあ彼を死なせるのだけは私が許しませんけどね!!
「ああ、もう! シルヴィ、こうなったらカチコミよ! 彼がどんなに貴方に甘々か思い知らせてあげるんだからっ!」
リューシェ様は椅子からガタリと立ち上がり、私の手首をガッシリ握ってぐいぐいと引っ張った。
私は咄嗟に立ち上がって前につんのめりながら、待ちきれないと駆け出したリューシェ様の後をオタオタとついて行ったのだった。
さて、今日のレナンドルは、魔法理論フォーラムに出席するとのことで、ニンフィールド魔法研究所へ出向している。
私たちはそんな彼が帰って来るのを待ち構えに外部連絡転移ゲートへ向かい、出会いがしら問答無用で捕獲して、そのまま学園都市商業区の穴場カフェへと連行した。
リューシェ様のベリーベリーソーキュートプンスコ顔にお出迎えされたレナンドルは、膝の上で猫がガチ睡眠始めてトイレに行けなくなったみたいな困惑顔をしていた。愛おしいと愛おしいの累乗でオタク幸せ。
さて、カフェに到着し、興奮のあまり言動が支離滅裂になったリューシェ様にパンケーキを注文し落ち着かせるなどして、仕方なく私が交渉役を請け負うこととなった。
一通り説明し終えた後のレナンドルは、とても愉快そうにニヤリと笑い、テーブルに腕を置いてこちらに身を乗り出した。私は何だかとても嫌な予感がした。
「なるほど、面白い提案だ。ただし、こちらにはあまりメリットが無いように思う。生憎、私はジェルヴェが主席で不満は無いし、君たちに協力する旨味はそこまでない」
ほらな。やっぱり私ではだめなのだ。ここはひとつ、リューシェ様の最強悩殺スマイルをお見舞いして……あああしまった、パンケーキに夢中だ!
はわわ、ほっぺにクリームついてる……きゃわ……こんなあざとい天然記念生物は国をあげて保護すべき。
王室はいち早く、クリームがついたほっぺに今すぐ吸い付きたくて辛抱たまらない私のような不届き者からリューシェ様を守れください。
「それでもなお、私をそちらに引き込みたいなら……私の要求を一つ飲んでくれないか」
あんまりに愛おしいリューシェ様を愛でるのに夢中になっていた私は、真正面にいる人生をかけてでも守り抜きたい推しの言葉を処理するのに通常の3倍の時間を要した。
私は彼の言葉の意味を理解した瞬間、パンケーキを口いっぱいに頬張るリューシェ様を抱きすくめ、子熊を庇う母熊のような顔でグルルルルル……とレナンドルを威嚇した。
リューシェ様の乙女の尊厳は私が守る……っ!! 例え相手が推しでも、リューシェ様とめくるめくときめきメモリアルを繰り広げようなどという邪な下心は決して看過しないぞ……!
「シルヴィ、君は一体何を勘違いしている……?」
「お黙りやがれなさいませ……っ!! リュー様の純真は私が守るのです、例え貴方様でもそれだけは、それだけは許しませんわ!」
「すみません、デラックスチョコバナナパフェをひとつ」
レナンドルはゲンナリした顔で通りがかりのウェイターさんにそう声を掛けた。なんだ、賄賂か!? 私にそんな甘い手は通用しないぞ、たとえどんな大金積まれてもリューシェ様は渡さない!
レナンドルは間もなく届いたクソデカパフェを虚無の顔しながらスプーンで採掘して、無味乾燥の笑顔でこちらに突き付けてきた。
「シルヴィ、あーん」
「結構です……!」
「なら、交渉は決裂ということで。残念だ」
「クッ……」
私は屈辱に打ち震え、拳を握りしめながら、ア、と口を開けた。クソッ、おいしい……!
レナンドルはフフン、と勝ち誇ったような顔で笑いながら、自分もパフェを頬張る。かわいい。そう言えばレナンドルもドのつく甘党なんだよな。愛おしいぜこの野郎。
「まあ、安心してくれ。ジェルヴェに殺されるのなんて御免だし、リューのことをどうこうしようなんてつもりは毛頭ない。何度も言うようだが、私とリューは親友だ」
レナンドルはまた私にスプーンを差し出してきたので、仕方なく口を開けて頷いた。待って、下層のブランマンジェ、ちょっとミント風味でさわやか、美味しい……!
「いいかい、お願いを聞いてほしいのは君の方だよ、シルヴィ」
レナンドルは私の口からスプーンを勢いよく抜き取っては、その先を私の鼻先に向けた。コラッ、お行儀悪いでしょ、おやめなさい。
「何でしょうか。言っておきますが、あの約束を撤回しろなどとおっしゃるなら、表に出ていただきますわよ」
「まさか、違うよ。約束は約束だ。違えないさ」
「それでは、何を……」
レナンドルは少し頬を紅潮させ、フワリと綻ぶように微笑んだ。ヒェ、顔が良い……っ! シックなインテリアで少し暗めの店内がここだけ光り輝いて見えるよォ!
「君の休日を一日、貰い受けたい……どうだろうか」
頬杖をついたレナンドルは、首をかしげて、何を言うかと思えば、そんな素っ頓狂なことを口走った。私は思わず呆気にとられ、ハ……と口を開けた。すかさずレナンドルはそこにバナナをヒョイと投げ入れる。おちょくってやがるぜこの野郎、お茶目さんめ。
「まあ、まあ……!」
釈然としないままバナナを食む間抜け顔と傾国の笑顔で膠着状態に陥ったテーブルの沈黙を破ったのは、パンケーキを完食したらしいリューシェ様の喜色満面な声。彼女は無邪気に私の腕に抱きつき、誰よりも楽しそうにウフフと笑った。耳が幸せである。
「いいじゃない! やるじゃない、レニー! 婚約者の立場にあぐらをかいていたなら、一体どうしてくれようかと思っていたけれど、見直したわ!」
「ああ、リュー。最近は君にとられてばっかりだったからね。一日くらいは独り占めさせてもらうよ」
「やだもう、シルヴィの言う通り、貴方に声を掛けてよかった、流石は私の親友よ!」
当事者のはずなのに私だけ置いてけぼりで盛り上がるテーブル。ワア、推しと推しがキャッキャウフフとはしゃいでる、ここがエリュシオンか……賽銭箱はどこですか……?
「ようし! そうと決まれば明日から三人で特訓よ! 打倒ジェルヴェ、最高の気分で学年を締めくくりましょうね! レニー、シルヴィ!」
「は、はい……」
リューシェ様が嬉しそうならまあ、それでいいか……私はそんな風に思考停止して、これまたニコニコと得体の知れない顔で笑うレナンドルを一瞥し、ため息をついたのだった。
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