第6話 会いたくなかった人

 グッと息をのみ、自動開扉の向こうを睨みつける。あの向こうは私にとってのアウェー、死地に向かう自爆兵みたいな荒んだ目をしていることだろう。


 まずもって私は、寮に足を踏み入れて、とある人物に出会った瞬間、振り乱して地べたに額を擦りつけて謝りたくなるだろうから、まずはそれを何とか辛抱するところから始めないといけない。


 どういうことかって? 簡単だ。レナンドル様に婚約破棄してもらうため、正ヒロインポジションに立ってもらった……つまり、ルブルム寮の誹謗中傷や嫌がらせの矛先を向けるよう煽ってしまった女子生徒がいるのだ。自分でも正直万死に値すると思う。


 彼女の名はリューシェ・エルランジェ。れっきとした「ロータス・イン・ザ・マッドアイランド」のキャラクターであり……原作の時系列では、故人として度々登場していた。


 のちの主人公の母親である。


 大陸生まれの女性で、当代でも類稀なる魔法の素養を持ち、原作ではカエルラやルブルムを差し置いて、女生徒の中で最も成績優秀な生徒だった。


 そして、原作では、故人でありながら、物語の殆どのキーを彼女が握っていたと言っても過言ではなかった。


 まず、学生時代、大人世代メインキャラクター殆どの初恋をかっさらったこと。大抵、主人公が知らない大人から助力を受けたり、因縁を付けられたりするときの動機は、初恋の女性の子供だから、と言う理由からだったほどだ。


 それは私の婚約者のレナンドルも同様のはずだった。まあ、彼の場合、初恋を親愛に昇華した上、彼女の後の伴侶と大親友だったというのが大きいが。それゆえ大人世代の中で主人公への感情が最もデカい。何があっても主人公の味方だったし、とりあえずレナンドルがいれば主人公は何とかなるという安心感を出してくれていた。


 とにかく。私はレナンドルのそんな花束のような儚い初恋をアテにして婚約破棄の計画を立てていたのだ。それなのに、どうしてこんなことに?


「私たちの代のアトラム生は本当に愉快な奴ばかりなんだ。きっと君にとってもいい刺激になるはずだよ」


 そう言って意気揚々と足を踏み出すレナンドルの後にトボトボついて行く。きっと彼が思い浮かべているのは件の大親友のことだろう。


 ああ、そうだ……リューシェの後の夫となるキャラが、彼女へ抱いている罪悪感との折り合いと同じかそれ以上に厄介なのだ。もう本当に嫌だ。


「荷物はもう部屋に運び込まれている。あとで案内するから、まずは寮生とのご挨拶といこう。それと……君は迷惑をかけた人がいるはずだから、ちゃんと謝るんだよ」


「……御命令とあらば」


「そっちの方が素直になれるなら、そういうことにしておこうか」


 マジで何なのこの推し。原作でもそうだったけど、まるで相手の心を見透かすような事ばっかり言ってくるんだよ。別にそういった特別な能力持ちとかいう設定無かったはずだけどなあ。マジで見透かされてたら私が貴方と言う推しにカチ狂ったイカレオタクと言うこともバレてるってことになるけど? まあありえないよな。精神衛生のためにも気のせいって言うことにしておこう。


 アトラム寮二年生の憩いの場として与えられているという植物園まで連れてこられ、ああ、この先に原作大人世代キャラの学生時代の姿があるのだな、などと実感し、生唾を飲む。正直原作ファンにとっては垂涎の供給なんだけど、それ以上に憂鬱で辛い。せっかくなら、ノースのしがらみとか何も気にせず堪能したかった。


 レナンドルの大きな背中に隠れるようにして、息を整える。私はシルヴェーヌ・プリエン。無様は晒さない。


「諸君、待たせたな。新入りの紹介だ」


 まだ心の準備が整わない私になんて構ってくれず、レナンドルはそう言って横にずれ、私の背中を押して前に出させた。ああもう仕方ない、腹をくくろう。


「ご機嫌麗しゅう、皆さま。シルヴェーヌ・プリエンと申します。アトラムの皆様のお目にかかれて光栄に存じますわ。私などには過分の立場ですから、誠に不本意ではございますが、皆様のお邪魔にならぬよう、努めてまいる所存でございます」


 開口一番、集中砲火を受ける事にはならなかったようで、私はいたって平穏無事にカーテシーをすることができた。非友好的ステキな歓迎に備えて、せっかく嫌味たっぷりの口上を考えたのに、なんだか拍子抜けである。


 それとも、ノース・スタンダードしぐさは連邦や大陸と比べて性格が悪すぎるってこと……!? そんな馬鹿な、これじゃ私ばっかり性格が悪いみたいでいたたまれないじゃん! これだからノースの貴族はクソなのだ。屋敷に隕石落ちて今すぐ滅びてくれ。


 おっかなびっくりな内心を鉄面皮の下に隠しつつ、鼻持ちならない表情を心掛けながら顔を上げてみる。


 すると、すぐ目の前に、全ての原罪を焼き尽くす浄化の炎みたいな満面の笑みを浮かべたストロベリーブロンドの美少女が立っていて、私は思わずヒェッとたじろいでしまった。


「ああ、会いたかった! 貴方がシルヴィさんね! 貴方とお話しできること、ずっと心待ちにしていたの! 私、リューシェ・エルランジェ! 私たちきっと仲良くなれるわ! よろしくね!」


 彼女は元気いっぱいそう捲し立てて私の手を強引に取り、ブンブンと振り回した。アカン、無邪気の暴力。処理落ちする。こんなのはブルスク通り越して死のレッドスクリーンだ。


「ピィ……」


「ぴぃ?」


 隣でブハ、と吹き出す音が聞こえる。おいレナンドル、なにわろてんねん。曲がりなりにも婚約者がバグって……もとい困ってるやろがい。分かってるなら助けてくれや。万年地の底みたいに暗くてしみったれたノースで過ごしていた人間にこの光は強すぎるんだよ。


「あっ、あの、ミス・エルランジェ……」


「いやだわ、リューって呼んでくださいな!」


「エルランジェさん、あの」


「……」


「……リュー、さん」


「ええ! なあに?」


 ムウ、とむくれてジト目からの、御所望に応えたら一転、満面の笑みで素敵なお返事。情緒のジェットコースターだ。


 わたし、もうだめかもしれない。そもそも、原作のシルヴェスタだって、この光にはタジタジだったのだ。あの苛烈な悪の華こと真正シルヴェスタが駄目だったのだから、私のような造花女では、この天真爛漫ディ〇ニープリンセスに到底かなうはずがない。


 彼女に笑顔を向けられるだけで、脳の中で火花が散ってるみたいに狂おしい。全身が総毛立ち、心がかき乱されて仕方がないのだ。とてもノースの令嬢の仮面なんて被っていられなかった。


「すっ、すこし、離れて、くださいません、か、わたくし」


「あっ、ごめんなさい、私ったら、嬉しくて……」


 しゅん、と落ち込みながら私の手を離してくれるリューシェ。それだけですっごい罪悪感。元々彼女には負い目しかないので、余計いたたまれない。


 背に腹は代えられないので、とりあえずレナンドルの背中に避難。推しを隠れ蓑にするなんてこれまた万死だが、こちらが灰になりそうな太陽と慣れ親しんだ月光なら、後者の方がまだマシと言う判断だ。


「あのね、シルヴィさん。私、貴方とずっと話がしたくて……誤解を解きたかったの。学園で、噂が流れているでしょう、私と、レニーが、その……恋人だって。違うのよ、本当じゃない。でも、貴方からしたら、自分が知らないところでフィアンセが知らない女と親しげにしていたら、不愉快に思っても仕方ないと思うわ。配慮が足りなかったと思う。本当にごめんなさい」


 な、なに、貴方は聖人ですか?? 明らかな被害者で、貴方には何の非もないのに、まさか根も葉もシャモもない(私が情報工作した)噂のことで負い目を持っていただなんて。自分の毒で死ぬフグみたいに、自分の罪悪感に殺されそう。


 それに、例えどんな噂があったとしても、私に情状酌量の余地はない。私、知ってたもん。貴方がレナンドルと結ばれることは無いって。レナンドルに向けてるのはどこまでも純真な親愛だけで、そんな事実は無いって分かってた。


 それに、私が貴方に嫉妬していたなんて、そんな事実もない。だって私は、私こそ、レナンドルと結ばれるなんてありえないのだから。私は、ただの自分のエゴで、貴方の尊厳を踏みつけにした。本当に最低だ。


「シルヴィ」


 窘めるような声が頭上から降り注ぐ。推しの声はいくらなんでもチートだろう。私に許しなんてあって良い筈がないのに、どうしてこの優しい人たちは、私に許しをくれようとするのだろうな。シルヴェーヌ・プリエンは、楽な道を選んではいけないのに。


「……レナンドル、殿下。私に、ご命令を。そうでなくては、私は、貴方の意に沿うことができません」


「シルヴィ、ここは、ノースでも、ルブルムでもない。君も私も、自由なんだ」


「言い方を、変えさせていただきます。未来永劫、私が、貴方様のご期待に沿うことなどありえません。どこにいたって、私は、プリエンなのです」


「そんなことを言うから、私は君に期待せずにはいられないんだ」


 大きくため息を吐きながら、レナンドルはそんなことを言った。どういう意味か全く分からない。期待できるところなんて皆無だろう。私のことなんて早く見限ってほしいのに。


 でも、そんなことを言うなら、仕方ない。私は、許されない道を選ぶだけだ。


「エルランジェさん。こちらこそ、誤解があるようですから、訂正させていただきます。私は、婚約者の隣に、私以外の女性の姿があろうが、関心を払うことはありません。私が問題意識を感じたのは、我らがノースの星である殿下の傍をうろついていた、貴方の出自の方ですの。貴方が恥じるべきは、婚約者ある相手との不貞行為ではなく、大陸生まれでありながら、いやしくも殿下に近づいた身の程知らずの方ですことよ」


 途端、空間に、針の筵のような緊張感が張り詰めた。

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