第5話 転寮初日
遂に、学園生活二年目、アトラム寮生としては新生活が始まる日がやってきてしまった。
アトラム寮生は漆黒に金色の刺繍が施されたネクタイを締めることが義務付けられている。
ここは魔法の世界なので、私の転寮が決まった時点で、それまで深紅に白金の刺繍だったネクタイは、問答無用でアトラム仕様に様変わりしてしまった。
この世に慈悲など無いということだ。知ってた。
「やあシルヴィ! おはよう、いい朝だ! 近年まれにみるほどの良い朝だ、そうは思わないか?」
私がモタモタと億劫がりながら黒のネクタイを締めているところに、すっとこどっこい馬鹿元気な声で扉を吹き飛ばし現れたのはレナンドルである。
まるで知性というものを感じないペカーッ! と言う擬音がつきそうなきらきらしい笑顔は、その背中から差し込む朝日と、それを乱反射するプラチナブロンドと相まって、とっても目が痛い。
せっかくの耽美系超絶美男子な顔がまるで台無しで可愛いと思います。
私は顔のパーツを全部中央に寄せました、みたいなしょっぱい顔でレナンドルを一瞥し、悲しいことにこんな厄日でも推しが尊いことに変わりはないな、と思った。
今日も生きていてくれてありがとう。生きてるだけでいいとは言ったが誰が迎えに来いとまで言った。
「麗しい朝にございますね、殿下。わざわざご足労頂くなんて、畏れ多く存じます。どうか以後はこのようなお気遣いは召されませぬよう」
「まあそう遠慮するな、私と君の仲だろう」
逆に一体どんな仲だというんだ。険悪? 冷え切ってる? 仮面? そんな言葉しか浮かんできませんが。私は今日と言う今日まで、徹底したシルヴェスタエミュに徹してきたのだ。推しの生命の輝きで顔を合わせるたび失明の危機にさらされながら必死こいて頑張ったんだぞ。
原作のシルヴェスタならまだしも、陰険かつ愛想の欠片もない、顔と魔法しか取り柄のないような悪役顔パチモン女と一緒の寮になることで、どうしてそこまでウキウキワクワク嬉しそうに出来るんですかね。
私の頑張った甲斐は無かったということでよろしいか? 泣くぞ。三日三晩泣きはらして脱水症状で死ぬぞ。
因みに私は前世で一回そうなりかけたことがある。今度はちゃんとミイラとして死に晒して御覧に入れろと仰るか。
思うところがありすぎるあまりレナンドルの顔を見上げながら銭湯のオッチャンがタオルでやるみたいにネクタイで首の後ろを擦っていたら、ヤレヤレ仕方ないなあみたいな顔でバンザイさせられ、レナンドル手ずからネクタイを締められた。そのまま首絞めて殺してくれないかな。オタクの命と尊厳は軽い。ついでに正気も。
「よし、これで文句なしのアトラム生だ! よく似合っているぞ」
「さようでございますか」
アレェー?? この人私に対してこんなキャラだったっけ? この一年、最推しレナンドルを声のかけられない遠くから眺めるという、オタクの本望みたいな理想的な生活を謳歌しきったあまり、この人と自分が以前どんなかかわりを持っていたかとか記憶の彼方だ。
推しの供給で脳が焼き切れて記憶を失うとかオタクにとってはザラなもので。
しかも、学園に入ってからがまたとない婚約破棄チャンスだと息巻いていて、ゲロ吐きそうになりながらクソッタレ誹謗中傷や嫌がらせの数々をルブルムの矢面に立ってコントロールするとかいう業深い活動に精を出していた。
シルヴェスタにふさわしい優秀な頭脳を持っていても
結局私は引きずられるみたいに実家を出て、氷から引きずり出されるアザラシみたいな顔で、ペッカペカの麗しい笑顔を引っ提げたレナンドルに連行された。
天国と地獄のエンドレスバトルみたいな様相を呈しながら学園構内を闊歩する羽目になったのだ。
いったいこれは何の辱めだろうか。
人波がモーセのそれみたいにカッパーン割れて、とってもいたたまれない。
「レナンドル殿下、いい加減になさいませ! この際、私は逃げも隠れもいたしませんから……!」
「君は神妙にしている時が一番危ないんだよ。油断も隙も無い」
「ネクタイの色も無理やり変えられてしまって、今更どの面下げてルブルムへ帰れと仰いますの!?」
「ルブルムの寮棟を爆破してでも帰さないが……?」
「だから逃げないと先程から申し上げておりますでしょう!」
一体何が貴方をそこまでかきたてるの!? 散々自分に恥をかかせたことへの意趣返しですかね!?
あと恨みがあるのは分かるがルブルムの寮棟もれっきとした学園の設備なのでやめて差し上げてください。学園が可哀想。
ルブルムの生徒? 知らん。とりあえずそこら辺の草でも食っとけって思います。
「逆に、君はどうしてそこまで私と離れたがるんだ?」
「は……?」
「だって、婚約者じゃないか。これくらいのスキンシップは普通だろう」
そんなこと言われましても……何かの間違いで貴方の婚約者になってしまっていたけれど、これは修正しなければならないバグなのだ。
婚約破棄されること前提の婚約なんて、どう実態を伴わせろと申されるか。まあそんなことは口が裂けても言えないけれど。
収容先がアトラムからニンフィールド魔法研究所になるとかいう、至極残念な結果しか齎さないし。
婚約者がイカレ女だったというのは十分婚約破棄に足る大惨事だが、私はレナンドルとの婚約破棄達成と同じくらい、シルヴェスタのキャラとしての尊厳を守らなければならないので無理なのが辛い。イカレ女ならいくらでも出来るのにな。素をさらけ出せばいいだけの話だもんね。
「そんなに私が男として気に入らないか……?」
「そんな人間この世に存在するんですか……?」
「なんだって?」
「忘れてくださいませ」
駄目だ、本当に今日は厄日だ。ウッカリオタク女の自我が顔を出してしまったではないか。でもこればっかりはレナンドルが素っ頓狂なこと言うのが悪いと思う。
貴方に男性としての魅力を感じない人間がこの世にいていい筈が無いんだ。だって原作のシルヴェスタですらそうだったんだもの。
「君って昔から私がしおらしいこと言うと様子がおかしくなるな」
「記憶にございません」
「それなら……嫌でも記憶に残るように今日から毎日努力させてもらおう」
そんなこんなで到着した新天地。洒落た大学の図書館みたいな建物の前で立ち止まり、体ごと振り返って私に向き直ったレナンドルは、フフン、と勝気っぽく笑いながらそう言い放った。新手の死刑宣告か何かかな、と思った。
「アトラム寮へようこそ、シルヴィ」
本当に。本当に嬉しそうな顔で、レナンドルがそんなことを言うものだから、私はほとほと参ってしまったのだった。
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