ヒロインになれませんが。

橘しづき

第1話 ヒロインは……?



 駅から徒歩十分ほど進んだところに、大きいスポーツジムがある。一般的なトレーニング器具とプール、それからテニスコートもあり、スクールもあった。テニス初心者でも楽しめるよう、コーチがしっかりと見てくれる。


 初級クラスで、平日の夜十九時から開始のコースがある。そこは時間的にも社会人のメンバーが集まっており、二十代前半から後半ぐらいの男女が毎週通っている。ダイエット目的、ストレス発散目的、それぞれあるが、みないつの間にか仲良くなり、スクールがない日に飲み会を開くほど親しくなっていた。


 そこに一人、入会してきた女性がいた。


「あの……佐藤さんって、彼女いるんですか?」


 おずおずと尋ねる。佐藤と呼ばれた男は、すらりと高身長で爽やかな顔をした好青年だ。彼は少し迷ったような表情をしたが、しっかり答える。


「いや、いません」


 それを聞き、女性はみるみる顔を綻ばせた。誰が見ても、想いを寄せているんだと分かる状況だった。


 周りの人間は見てないふりをしながら、二人の状況をしっかり見ていた。


 そして一番端にいた女性二人組が、小さな声で会話する。


「ねえ……あれ、いいの?」


「……いいの、って聞かれても」


 困ったように呟く彼女は黒髪のミディアムヘア。真面目そうな、大人しい顔立ちだった。隣に立つショートカットの女性がなお言う。


「佐藤さん放っておいていいの!? あの入ってきた子、明らかに狙ってるじゃん!」


「……凄く可愛い人、だね」


「そりゃ可愛いけどさ。入ってきて急に佐藤さんに目を付けて……佐藤さんは絶対、美鈴のことが好きなのに。そして、美鈴もそうなんでしょ?」


 美鈴と呼ばれた黒髪の女性はビクンと肩が反応する。だが自信なさげに俯くだけだ。


「あんな可愛い人に言い寄られて、佐藤さんも嬉しいよきっと……」


 そう言って辛そうに佐藤の方を見る。隣には、アイドルのような可愛らしい顔立ちで、さらにはスタイルもよく、明るい女性が笑っていた。


 美鈴は泣きそうな顔になる。


「だから……私より、きっとあの人の方が佐藤さんに相応しいよ」


 それを聞いた友人は、少し間があった後、冷たい声を出した。


「これまで佐藤さんがあれだけ美鈴を大事にしてくれたのに、その気持ちを疑うんだね」


 美鈴がハッとした顔になる。さらに続けた。


「美鈴が困ってるといつでも声を掛けてきて、二人で出かけて、距離を縮めてきたんじゃん……! あんなパッと出てきた女に取られてもいいの? それで、あんたは後悔しないの!?」


 言われた美鈴は、わなわなと手を震わせた。テニスラケットを強く抱きしめる。


 そうだ……私、あれだけ佐藤さんに助けてもらいながら、気持ちを伝えることすらせずに諦めるなんて。


 どうせなら、この気持ちを伝えて振られたい。


 きっと顔を上げる。その表情は、先ほどのようなか弱い顔ではなかった。何かを決意し、強くなった人間の顔だ。


 美鈴はすぐさま佐藤に歩み寄った。彼の隣には、目がクリっとした美少女がきょとんとして立っている。


 美鈴は震える声で、佐藤に勇気を出して言った。


「佐藤さん……わた、私、ずっと……好きだったんです!」


 言った途端、後悔した。こんなに人が見てる前で、今から練習が始まるタイミングで、どうして言ってしまったんだろう。佐藤さんだって、迷惑に思うに違いない。


 顔を真っ赤にし、消えてしまいたい気持ちになった。



「……俺から言えばよかった。ごめん……」



 佐藤から発せられた言葉を聞いて、驚きで顔を上げる。そこには、嬉しそうな、それでいて恥ずかしそうな優しい顔をした佐藤が美鈴を見つめていた。


「俺も好きです。付き合ってもらえますか」


 まっすぐな愛の言葉。美鈴は目を真ん丸にして驚きつつも、ぶわっと溢れかえる涙を止めることが出来なかった。


 声すら出せず、ただうんうんと、何度も頷くことしか出来ない。


 内気で自分に自信がなかった私が、初めて好きな人に振り向いてもらえた。佐藤さんも同じ気持ちだったなんてーー


 その途端、周りがわっと祝福モードになる。周りは二人の気持ちに気付いていながら、中々進まないじれったい様子を見守っていたのだ。


「美鈴! 頑張ったじゃん!」


「佐藤、やっとかよー!」


 そう声を掛けるメンバーの後ろには、なんとテニスのコーチまでもが笑顔で立っている。練習が始まる時間だったというのに、すっかりタイミングを失ってしまっていたのだ。


 はしゃぐ周りの人々と、恥ずかしそうに赤くなっている二人。ここに一組のカップルが誕生した瞬間だった。





「……ということで、私はまたしても、当て馬女となったのでした。おわり」


 目の前のアイスティーを無表情でかき混ぜながら、私は物語を締めた。向かいに座る友人の彩は、引きつった笑いをしている。ケーキを食べる手は完全に止まっており、私を憐れんだ目で見ていた。


「……それで、テニススクールどうしたの」


「は? 通えるわけないじゃん。その日のうちに退会手続き」


「……えっと……元気出せ、朱里」


 私ーー安西朱里は、アイスティーを一口飲んだ後、わっと両手で顔を覆った。


「だってスクール入ってみたら、好みの人がいたんだもん……! 優しかったし、頑張ろうってなったんだもん……!」


「いい男だったんだねえ」


「でも彼女持ちならしょうがないって思って、ちゃんと聞いたんだもん! 浮気するような男はやだし、略奪もしたくないから」


「彼女はいないけど、絶妙な距離感の女はいたんだね」


「いないって言うから嬉しくて舞い上がってたら、目の前で公開告白始まるなんて思う!?」


「朱里の出現により、女が焦って勇気を出したっていう王道パターンかあ……」


 彩はようやくケーキを頬張った。甘みを味わってしっかり飲み込んでから、呆れたように言う。


「朱里はいつもそういう役割だよね」


「……ほんとだよ……いや、まじで……なんでなの……?」


 私は絶望して呟いた。



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