短編集
菊池 快晴@書籍化進行中
さくら
――私はよく間違える。
私は、富山県の小さな町で生まれた。
人口千人にも満たないところで、お父さんは漁師で生計を立てていた。
お母さんは家事をしながらお手伝いをしていて、海沿いの立派な一軒家に住んでいた。
都会の人から見れば退屈な町なのかもしれない。
コンビニはないし、地元のスーパーは夕方に閉まるし、ウーバーイーツもない。
けれど私は、自分の家も町も人も漁師をしている両親の姿を見るのが好きだった。
幼い頃、外で遊ぶのが好きだった私は、男子と混じって夏は一緒にカブトムシを獲ったり、冬は小さな公園に積もる雪でスキーの真似事をしていた。
家から少し離れているところに、桜の並木道があった。
春になると、いつもは忙しいお父さんがそろそろだと言い、家族3人でピクニックに行った。
私は桜が大好きだった。
凄く綺麗でなんだか切なくて見ていてうっとりする。
桜を見ながら、家族3人でお母さんが作ったお弁当を食べる事が、我が家の春の恒例だった。
いつもは両親の仕事柄もあって魚ばかり食べているが、この日ばかりは普段は見ない揚げ物や私の大好物が宝石のように輝いている。
どれから食べようかと幸せそうに悩んでいたのを、今でも鮮明に覚えている。
小学3年生になった私は、夏休みのお絵描きコンテストで、大好きな桜の並木道をキャンパスいっぱいに描いた。
桜の木の下には、おいしそうにお弁当を食べる私たちの姿も描いた。
真っ白で儚くヒラヒラ消えていく桜の切なさもすべて込めた作品だ。
その想いが届いたのか私は賞をもらった。地元の新聞に載るだけの小さな賞だったが、お父さんとお母さんがたくさん褒めてくれた。
小学生の高学年になった頃、私にとっては大きな事件が起きた。
物事を段々と理解しはじめて、偉そうにもお洋服に興味を持ち始めた時期だ。
「ねえねえ、お母さん。私の黄色のシャツ知らない?」
「黄色? そんなのあったかしら? 赤色じゃなくて?」
「黄色だよ~。いつも着てるやつだけど、あったこれこれ!」
私は、得意げに黄色のシャツをお母さんに見せた。
なのに首を傾げられた。
「これ……赤色だよ? あなたには黄色に見えるの?」
私には、お母さんの言葉の意味が理解できなかった
心配になったお母さんは、近くの小さな病院に私を連れて行った。
風邪を引いたときにだけ行く病院だ。
眼鏡をかけた先生は、たくさんの色が書いてあるボードを私に見せて、この色は? と聞いてくる。いつもよりなんだか怖い感じがした。
私は、見たままの色を先生とお母さんの前で答えた。
赤、青、黒、白、茶色
私が色を言うたび、先生とお母さんは顔を見合わせた。
「詳しく調べてみないと確かなことはわかりませんが、おそらく色覚障害ですね 、お母さんは特に問題ないようですし、お父さんも気づいていらっしゃらなかった事を考えると遺伝ではなく後天的なものだと思います」
色覚障害とは、正常とされる色とは異なって見えてしまう、感じてしまう状態のことだ。
この日初めて、自分が色覚障害ということ知った。
お母さんは心配していたが、先生は日常生活においては特に支障はないですし
気を付けていれば問題ないと思いますとの事だった。
とはいえ、信号の点滅であったり
車のブレーキランプ等が見えづらい場合もあるので、そのあたりは気を付けてほしいと先生からの注意があった。
幸い私は軽度らしく、信号の色がわからないことはなかったが
段々と悪くなる可能性もあるので気を付けてほしいと医者から念を押された。
後日、詳しい検査をするらしい。
私とお母さんは家に帰り、漁から帰ってきたお父さんに事情を説明した。
お父さんはそうだったのか……と不安げな表情をしたが、どこか納得したようなタメ息を吐いてから、私の目を見ながらよしよしと頭部を撫でた。
真っ白で儚くヒラヒラと舞っていた桜が、実はピンク色だったということは翌年の恒例のピクニックで初めて知った。
中学を頃には、自分が色覚障害だったことは気にならないでいた
あの出来事以来、洋服はお母さんが用意してくれるようになった
綺麗なピンクソックスは、私にだけ真っ白に見える。黄色に見える赤いシャツ。
修学旅行の服は、指定された色を間違えなようにお母さんと相談しながら決めた。
少し離れた高校に進学してからは、お母さんに頼らなくても色覚障害とうまく付き合っていけるようになっていた。
黄色に見えるのは赤
真っ白いのは少しピンクがかっている
それよりもっと真っ白は本当にまっしろというように
それでもどうしても不安な時はお母さんに頼った。
無事高校を卒業した私は、就職と同時に今よりほんの少し都会で一人暮らしをすることになった。
慣れ親しんだこの町から離れるのは不安だった。
そしてそれ以上に、お母さんとお父さんから離れるのが寂しい。
だけども、いつまでも親に甘えることはできない。
仕事を始めてから、書類を作るときに色分け等で苦労する事が多々あった。
色覚障害については会社に予め伝えていたが、なかなかうまくいかない時もある。
そんなとき、私の間違いをいつも助けてくれる同僚の男性がいた。
彼はいつも優しくて、一生懸命に、誠実に仕事をする人だった。
私たちは自然と惹かれ合い、同棲をはじめて約2年のお付き合いを経て結婚をした。
その翌年には第一子を授かった。お父さんとお母さんも喜んでくれた。
男の子か女の子かどうかはまだわからない時期だった
彼に似たらとても優しい子が生まれるだろう。そうだといいなと私は思った。
出産の6週間前になったことで産休に入り、ほとんどを家で過ごす事になった。
会社を休んで家にいることが、なんだかサボっているように感じ。
旦那に申し訳なくも思ったが、彼はいつも安静にしてねと笑顔で会社へ行った。
また、飲み会や友人と遊びに行く事もなく、いつもまっすぐに家に帰ってきてくれた。
人望も厚く、誘われる事もたくさんあったろうに。
彼の支えもあり、私はストレスを感じることなく無事出産を終えることができた。
女の子だった。
彼はとても喜んでいて、私に似てすごくかわいいと言ってくれた。
娘には桜(さくら)と名付けた。真っ白でヒラヒラしている私の大好きなお花の名前だ。
といっても、私以外の人はピンク色に見えているけれど。
でも、どちらでも可愛いからいいのだ。
私の大好きなさくら
この子が少し大きくなったら、春には桜が見える場所でピクニックに行こう。
その年の冬。
朝起きて赤ちゃんのお世話をしながら、旦那と一緒に食卓を囲っていた。
会社へ出勤する旦那にマフラーを巻いている時、ふと気が付いた
そういえばこのマフラーは私が去年、産休に入る前に近くのお洋服屋さんで買ってきたものだ。
薄い茶色で旦那にとても似合ってると思い、衝動買いした。
ネクタイもお揃いがいいだろうと薄い茶色で同じ柄。
初めての妊娠で舞い上がった事もあり、自分が色覚障害ということをすっかりと忘れていた。
不安な表情を浮かべている私をみて、旦那はどうした? という表情を浮かべていた。
私は、ちょっと待ってほしいと伝えた。
それからマフラーとネクタイが写るように、旦那を携帯で撮影した。
なに? どうしたの? と不思議そうな顔をしたが遅刻してはいけないと、急いで家を出た。
私は、薄い茶色のマフラーをした旦那の写真をお母さんに送った。
もちろん、薄い茶色のネクタイも見えるように
「ねえ、このネクタイとマフラーって何色?」とメッセージを添えて。
それから10分後、お母さんから返信がきた。
「もの凄く真っ赤なマフラーに真っ赤なネクタイだけど、これで会社に言っているの?
その瞬間、私は旦那に申し訳なくなった。
私が薄い茶色のマフラーと思っていたのは、真っ赤なマフラーで
私が薄い茶色のネクタイと思っていたは、真っ赤なネクタイだった。
それを旦那は恥ずかしげもなく会社に着けていっていた。
後日わかったことだが、私が旦那のために買った薄い茶色ソックスも実は驚くほど真っ赤で、なんだったら左右が違うときも頻繁にあったらしい。
妊娠していた私を気遣い、ほんの少しでもストレスを与えてあげたくないと思い黙っていたそうだ。
マフラーとネクタイは気に入ってるよと言っていたが、絶対に会社でこそこそと何か言われてたに違いない。
なぜなら、真面目な旦那のイメージと違いすぎるからだ。
それから数年後。
私は旦那と娘のさくらを抱えて近くの公園にきた。
実家にある桜いっぱいの並木道にはとても敵わないが、綺麗な桜が咲いている。
真っ白で儚くてヒラヒラと切なく舞っている。
思えば、私が色を間違えなければ旦那と結婚してなかったのかもしれない
私が仕事であたふたしたり、ミスをしていなければさくらが産まれてなかったのかもしれない。そう思うと、色がわからなくて良かったなと思える。
――私の目はよく間違える。
桜は真っ白ではなく本当はピンク色。
小さい頃好きだった黄色のシャツは赤色。
薄い茶色のマフラーは真っ赤なマフラー。
薄い茶色のネクタイは真っ赤なネクタイ。
ソックスの左右の色も頻繁に間違える
だけど旦那を選んだ私のこの目は
世界中の誰よりも正しい目をしているだろう。
――――――
あとがき。
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