リディア・セルティアの未来③


「当分は無理だ」

 きっぱり言われ、リディアの目が点になった。

「…………………………え?」

 ぽかんとするリディアに、リアージュはぐるっと周囲を見渡し、冷たい視線で野次馬を睥睨すると、踊りながらゆっくりとリディアに顔を近寄せた。そのまま彼女の耳元でそっと囁く。

「シルビアなる女がまだ捕まっていない」

 ここで、オーガストを操っていたと思われる愛人の名前を出されるとは。

「…………いえ、まってください。その女と私たちの婚約解消不可とどのようなつながりが?」

「シルビアの狙いはオーガストの婚約者という立場にいた君だ」

 全然違う。

「──……あの……リアージュ?」

「彼女は愛する男性の婚約者だった君に対して嫉妬に狂い、再三に渡って殺そうとした。だが奴から逃げ出し、巡り合ったわたしの愛の前にオーガストは死に、最愛の人を殺したわたしと君に復讐するべく、彼女は憎悪を燃やしている」

 全ッッッ然違う。

「…………もしもしリアージュ? 公爵閣下?」

「我々を亡き者にしようと企む復讐者シルビアから、わたしは依頼人でもある君を護る必要がある。違うか?」

「違いますよね!?」

 くわっと目を見開いて突っ込めば、ちょっと目を見張ったリアージュがふっと妖しく笑う。

「違わないから、当分君はわたしの婚約者だ」

 きっぱり告げられて、リディアは眩暈がした。そんなバカな、という単語が脳裏を埋め尽くし目が回りそうになる。

(いや……そもそも目が回るのは……)

 やけに楽しそうにリディアを振り回してワルツを踊るリアージュのせいかもしれない。思わず半眼で見上げると、周囲を見渡す彼の瞳が怖いくらいに冷たいことに気が付く。

「……リアージュ?」

 思わず呼びかければ、ふっと彼の視線が彼女に向き、真っ直ぐにこちらを見つめる薄明のそれにリディアが映った。

「どうした?」

(うわ……!)

 さっきとはまるで違う、柔らかく温かみのある眼差しがそこにあり、リディアはぞわぞわしたものが背筋を駆け上がっていくのを感じた。思わずぶるりと身体を震わせると、それに男が気付かないはずがなく、かすかに眉を寄せた。

「そういえば君はまだ病み上がりだったな。これから立て続けにワルツを三回踊って、不埒な視線を向けてくる男どもに君が誰のものなのかわからせてやろうと思っていたが……」

 なんだか意味不明なことをぶつぶつと零すリアージュに、リディアは呆れる。

「病み上がりって……私は別に──」

「即効性のある方法で示すとしよう」

「……即効性?」

 一体何を言ってるんだと首を傾げれば。

 にっこりと、何も企んでいないなんて絶対に言えない、超絶いい笑顔を見せられてリディアの身体がワルツ中だというのに後退りかける。だがその動きをあっさり察知したリアージュがぐいっと腰を抱き寄せ。二人の距離が物理的に近づき。

 ふっと目を伏せたイケメン公爵の唇がリディアの唇横、きわどい位置に触れた。

(ぎゃああああああああああ)

 リディアが心の中で絶叫する。

 それと同時に、現実世界の舞踏室でも甲高い悲鳴のような声と息を呑む音、あちこちで卒倒する音や、それをみた紳士の慌てふためく声が一斉に鳴り響いた。

 大勢の人がいて。そもそもワルツ三回事件から心証が悪いというのに。今日だって階下に降りて来てから、値踏みするような視線や嫉妬、羨望、落胆をその身に浴び、ついに首筋にばっちり突き刺さる明確なる殺意が仲間入りしている。

「リアージュッ!」

 真っ赤になって涙目で睨み付ければ、彼は両眉を上げて得意げに笑う。

「さて、これでしばらく我々は、愛し合う婚約者同士を演じなくてはいけなくなったわけだが……」

 ワルツの最後の一フレーズが流れ、ちらちらとこちらを振り返る視線の中、ダンスが終わる。その手を堂々と取って、リアージュはざわつくホールを大股で歩き始めた。

「異議はあるかな? 愛しいリディ?」

 殺意がどんどん増していくような気がする。そんな中でこの男を袖にする勇気はリディアに欠片もない。ていうか、袖にしたところでリディアには次の手はないのだ。

 行く当てといえばイリスの神殿だが、出家して神星官を目指そうか……。

「逃げようなんて考えるなよ?」

 優雅に舞踏室を通り抜け、出口に向かって階段を上がり始める中、偽の婚約者が冷ややかに釘を刺す。対してリディアは、今現在巻き起こりつつある頭の痛い現実を締め出すように目を閉じた。

「……とりあえず帰りたいです」

 その一言に、我が意を得たりとリアージュが彼女を抱き上げた。

「仰せのままに」

 そのまま堂々とリディアを抱え、唖然とする主催に「婚約者の具合がよくないので連れて帰ります」と笑顔で宣言し、あっという間に馬車へと乗り込むと公爵邸へ意気揚々と帰ったのである。


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