彼と彼女の関係①


「厨房で薬草粥を作るから野菜を採ってきてくれと頼まれまして。その時石垣の後ろを歩いていたセインウッド卿にお会いしたんです」

 そこから沼地で何が起きたのか聞かせてもらっていた、と答えればわずかにリアージュがリディアから視線を逸らした。苦虫を噛みつぶしたような顔をする男に呆れながら、リディアは背筋を正して尋ねた。

「それよりも、ミス・エトワールは大丈夫なのですか? 沢山の方が寝室に詰めかけていて……閣下も真っ青で、ご心配そうでしたし」

 顔色を含めて指摘すると、リアージュは視線を逸らしたまま、かすかに苛立った声で答えた。

「先程治療師が到着したからな。医療班が血清を作っていたし……容態が安定しそうだったから引き上げた」

「そうですか。よかったです」

 ほっとして素直に告げれば、彼の薄明色がぎらぎらした輝きを湛えてリディアを映す。

「──……死んでもらっては困るからな」

 その一言に、彼女の脳裏にエトワールを抱えて戻ってきたリアージュの姿が蘇った。蒼ざめ、震える腕でしっかりと、浅い呼吸を繰り返す華奢な身体を大切そうに抱えていた。

(そりゃそうよね。自分の運命の人だもの)

 再び鉛を呑んだように身体が重くなり、リディアはそっとソファの肘掛を掴む。それに気付いたセインウッド卿が「閣下」と一歩前に出た。

「……なんだ」

「閣下が命の恩人である、ミス・エトワールに心を砕かれるのは当然かと思いますが、婚約者はミス・リディアです。そのことをお忘れなきように」

(ひいいいいえええええええ)

 何トンデモナイ発言してくれちゃってんのおおぉぉ!?

 別の意味で青ざめるリディアを他所に、子爵は胸に手を当てて続けた。

「閣下はご存じありませんよね。ミス・リディアが立ち働く人々の邪魔になるからと、尋ねた閣下の寝室に入らずに引き返され、それからちょっと元気がなくなってしまった。わたしが素敵に笑ってくれるミス・リディアを見たくて、真剣にお慰めいたしてたんです」

 どやっと胸を張って訴えるセインウッド卿に、リアージュは寛大すぎる笑顔を見せた。だがその瞬間、部屋中が凍り付きそうな冷気が漂い、リディアの身体が悪寒で震え始めた。

「……それはありがとう、セインウッド。後はわたしが引き受けるから、君は自家の砦に帰られたらどうかな」

 言葉は友好的なのにこれっぽっちもそう見えない笑顔を張り付けて告げるリアージュに、セインウッドが目を瞬く。善良な彼は何故殺気に満ちた眼差しを向けられているのか理解できないだろう。

「その前に、毒サソリの生態についてもう少しお話されたほうがいいかと」

 エトワールを放っておいた件で再び怒られるのはごめんなので、引き延ばすようリディアが子爵の袖を引っ張る。

「あ、と……そうですね。閣下、エトワールさんを襲った毒サソリですが、やつが特別狂暴だったとか毒性が他より勝るこということは断定できませんが、奴らの生態を考えると沼地に現れるのはいささかおかしいのではないかと──……」

「セインウッド」

 べらべらと報告を続けようとする彼の言葉を断ち切り、一歩前に出たリアージュがぽん、と彼の肩を心持ち強めに叩いた。

「わたしも今日は色々ありすぎて疲れている。あの毒サソリにオーガストが絡んでいるかまだわからないというのなら、引き続き調査を続行して、回答が出たら教えてくれ」

(笑顔にも圧がある……)

 完璧な笑顔をセインウッド卿に見せ、さりげなく片手で出口を指し示すリアージュに、リディアはこれだけは言わなくてはと口をはさんだ。

「そうですね、もう日も暮れて大分経ちますし。空いてるお部屋にご案内しますわ」

 立ち上がり、困惑するセインウッド卿を連れていこうとして、がしっと手首を掴まれた。

「問題ない。彼には自分の砦に帰ってもらえ」

「ここは黒の領地ですわ、公爵閣下。夜間はもっと魔物が増えると聞いております。今から結界を抜けて砦まで帰ってくれだなんて……鬼ですか」

「少なくとも彼はセインウッド騎士団の団長だ。彼が砦にいるのといないのとでは士気も違う。それに領主を他家の砦にとどめておいてはいけないだろう」

 穏やかな声で淡々と告げるが、言ってることは非情だ。魔物なんぞ自分で切り捨てて帰れということだろう。

「ですが、道中怪我を負われてしまっては、セインウッド子爵領の皆さまになんとお詫びを申し上げればいいのか」

 むきになって言い返すリディアに、「大丈夫です」と当の本人が声を上げた。

「もともと閣下とエトワールさんの様子を見に来たのが発端ですから。問題が無ければ戻ります」

 にこっと笑う、邪気の無い笑顔にリディアは心の奥が救われるような気がした。ああいう屈託のない笑顔をしばらく見ていない。というか……ここ何年も見ていないかもしれない。

「お気をつけてお戻りください」

 心からそう告げれば、振り返ったセインウッド子爵はレディにするようにリディアの空いている方の手を取ってお辞儀をし、軽やかに階段を下りて砦を去っていった。

 食べかけの夕飯モドキに視線を落とし、リディアは無言で佇むリアージュに何気なく尋ねた。

「それで? 夕食はとりました? 下の食堂では他の騎士の方が──」

 最後まで言う前に、腕を掴んだままのリアージュが彼女を連れてソファに腰を下ろす。隣に引きずるようにして座らされたリディアは柳眉を釣り上げて男を睨んだ。

「痛いです」

「何故セインウッドと二人きりでいた」

 低い声が告げ、リディアはうんざりした様に肩を落とす。

「あなた達オルダリア騎士団が毒サソリに襲われた経緯を確認していただけです。どこかにオーガストの影があるなら、この現場で終わりでしょうから」

 事実をそのまま伝えれば、男が皮肉気に笑う。どうでもいいがイケメンはどんな笑い方でも許されるから腹立たしい。

「なるほど。それで次の婚約者としてセインウッドを品定めしていたわけか」

 吐き捨てるようなそれに、流石のリディアもカチンとくる。

「何か勘違いされているようですね、公爵閣下ユアグレイス。セインウッド卿は今回の作戦の経過報告にいらしたのです。それを品定めだなんて……私にも卿にも失礼です」

 冷ややかな眼差しでリアージュを睨み付ける。

「それともご自分のことを言っておられるので?」


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