オルダリア公爵家②


「こちらが私の依頼の証拠となる手紙です」

 彼の笑顔をきれいさっぱり無視し、すっと目の前に宝石箱を置いて背筋を正す。そのリディアを見詰めるリアージュの瞳が色濃くなった。

「……もう少し婚約者に優しくしてはくれないものか?」

「婚約者ではありません」

 きっぱり告げると、男は宝石箱に視線を落とした、ゆっくりと立ち上がった。天板に片手を突き、身を乗り出してリディアの頬に触れる。張られた白い絆創膏の上を固い指がなぞり、我に返ったリディアが思わず身をのけ反らせた。

「な、なにを!?」

「この痕が消えない限り、婚約解消にはならない」

「はあ!?」

 思わず、超絶不機嫌な声が出た。思いっきり眉間に皺を寄せて睨み付ければ、にやりとしか形容しようのない笑みを浮かべたイケメンが再び手を伸ばし、有無を言わさずリディアの後頭部を片手でホールドした。

「もう少し嬉しそうな顔をしてもらえないかな?」

「申し訳ありません、公爵閣下。私、閣下と婚約したつもりはないのですが」

「ワルツ三回を受け入れた後、わたしの求婚を受けただろう?」

 にこっと目が潰れそうな笑みを浮かべるが、リディアの苛立ちを煽るだけだ。

「事実を捏造しないでください! ていうか、その設定、本気で押し通すつもりなんですか?」

 一体何の理由があって。

 まさかまだ、犯人に仕立て上げるのを諦めていないというのか。

 今にも牙をむきそうな表情で威嚇していると、ぱっと手を離した男がゆっくりと机を回ってリディアの手首を掴む。そのまま机の前に置かれていたソファに座ると、彼女も引っ張って問答無用で隣に座らせた。

「そこの手紙には君にかけた呪いについて書いてあるのだろうが、恐らくは直接的な記載はない。違うか?」

 一転し、至極冷静な声音で指摘されてリディアは黙った。

 その通りだ。

 そこにある手紙は、愛人と思しき呪術師に爵位と莫大な金を提示するためにリディアに呪いをかけて殺そうとしていると書いてある。

 相手も馬鹿ではないので、自分の名も相手の名も記載されてはいない。

「そんな内容では確かに婚約者である君を亡き者にしようと考えているのは読み取れるだろう。だがそこから黒の領地での討伐戦で魔物を強化させる呪術を手紙の主が使うとは考えられない」

 あっさりと手紙の価値を否定され、リディアが目を丸くする。

「そう思うのなら何故、私との契約に同意したんです?」

 至極もっともなリディアの質問に、ソファの背もたれに片腕を回し、もう片方の手でリディアの髪を指に巻き付けていた男が微笑んだ。

「君を狙った暴漢が部屋にいたからだ。それも……任務に失敗したら自ら命を絶つ、プロを君の元に派遣した」

 すっと、リディアを見詰めるリアージュの瞳が冷たくなる。周辺の温度が二度は下がった気がして、彼女は思わず腕をさすった。

「……それでは手紙が無くても、私の発言は信用してくださると?」

「ああ」

 あっさり答え、持ち上げたリディアの髪に口付ける。なんでさりげなくそんな態度をとっているのか全く分からない彼女は髪を取り返そうかと考えるが、彼が何かを考えながらぼんやりと触る様子に閉口した。

(我慢よ……リディ)

 今すぐその手を叩き落としたいが、それをすれば何か……多大なる報復が来そうな気がして、きゅっと唇を結んで堪えた。

「殺されそうになって信用してもらえたのなら幸いですが……それと婚約とどう関係が?」

 気を取り直し、でも半眼で尋ねれば、「うん?」と甘い返事と溶けそうな眼差しを送られて、リディアの身体を寒気が走る。距離を取るべく身をのけ反らせ、ひじ掛けに背中をくっつける彼女に、にじり寄ったリアージュが笑みを深めた。

「大々的に俺がプロポーズしたと喧伝されれば、コートニー伯爵が動かざるを得ないだろう?」

 その一言に、リディアは全てを理解した。

「つまり……私の莫大な遺産を狙って婚約をしたオーガスト・ブレンドを更に焚き付けて、何か事を起こさせる動機にすると……?」

 呻くようなその台詞に、リアージュが悪魔的な笑みを深めた。

「流石は俺の婚約者。わかってるじゃないか」

(くっそおおおおおおおお)

 ぎり、と爪が掌に食い込むほどきつく拳を握り締め、リディアは歯噛みする。その理論を採用するなら、リディアはここから出られない。囮がほいほい、釣り主の目の届かないところにいては釣り上げることなど不可能だからだ。

(っていうか、犯人に仕立て上げることが無理なら囮にしようだなんて……この男ッ)

 甘くこちらを見つめるのも、自分の容姿の良さを十分に理解した上での行動だ。

(男は顔じゃないわ)

 憎たらしいその顔に、傷をつけてやりたい。もっとも……そんなことをすれば速攻で屋敷を叩きだされるのだろうけど。

 いや、案外そうやって屋敷を出された方が私にとっては幸せなのでは?

 その端正な顔が歪むところを想像し、やる価値はあるかもしれないと半ば本気で考えていると、その薄明色の瞳が底知れない影を纏って揺らめいた。

「何を考えているのか知らないが、やめておけ」

 すっと温度の低い声音で釘を刺される。

「君はコートニー伯爵を破滅させたいんだろう? ならなんでも協力するべきだ」

「……依頼料はお支払いしますと言いましたよね?」

 金銭で自分の責任は果たしたと、そう訴えるリディアに彼はふっと小さく笑う。

「あれでは足りない」

「そちらにも益があることではありませんか? 黒の領地で魔物が強化されて領主や付き従う騎士達に損害がでたら……──」

「それは起きるかもしれない未来の話だ」

 あっさり指摘されてぐうの音も出ない。

 こうなっては、彼の言う通り、婚約者として収まっていた方がいいかもしれないと、半ばあきらめるように考える。

 うぐぐ、と唇を噛んで言葉に詰まるリディアはいつの間にかリアージュの両腕とひじ掛けに囲われていた。


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