依頼②


 彼らと接触するには条件がある。

 まず自分の依頼が私利私欲に偏ったものではないこと。

 続いてその依頼を直球ではなく、いかに婉曲に表現して訴えることができるか。

 それと忍耐力だ。

 指を三つ立てて教えてくれたイリスに、凪は丁寧に頭を下げる傍ら、なんでそんなに詳しいのかと聞いてみた。

 答えは簡単だった。

 イリスが在籍していた神殿がその窓口だったのだ。

(有力貴族が主催する裏の組織……蒼の夜明けブルーモーメント

 表では処理できない厄介ごと請け負う組織だといい、ボスは高貴族という話だ。イリスはハイランド侯爵が頭領ではないかと話していたが、それならそれで上手い具合に話を持っていけると凪は踏んだ。

 ハイランド侯爵は王党派の人間だ。彼らは水面下で暗躍する、亡くなった元宰相を筆頭とした派閥に頭を痛めていた。彼らは富を他者に分け与えることを嫌い、民を思った王太子の政策をことごとく却下する。怪しげな術者を使い、王党派をせん滅しようと考えている行き過ぎた保守派なのだ。

 その彼らに対抗するべく、王党派は王太子の従兄であるオルダリア公爵を指揮官に据えて、黒の領地の魔物討伐戦を行うと発表した。

 一つは魔物の誕生地ともいわれる黒の領地を王党派の人間が平定することで権力を見せつけることと、もう一つは、黒の領地の平定と浄化の際に神星官から聖女が現れることを期待してのことだった。

(歴代の聖女は研鑽を詰んだ神星官の中から、魔物との対峙中に現れるという)

 イリスに教えられた、ブルーモーメントの窓口となる王都の神殿の、最奥二番目の席に腰を下ろした凪は、組織の人間からの接触を待っていた。

 彼らと話をする方法は一つ。この場所で最低でも二時間は座り続けることだ。

 そうしながら、凪は状況を整理する。

 聖女とは莫大な神星力を持ち、『星の加護』という特別な魔法が使える存在だという。それは悪しきものを浄化し、人々を癒し、土地を健やかにする力だという。その聖女が亡くなってすでに五年が経過した。まだ先代の加護が続いてはいるが、そろそろ新しい聖女が現れる頃合いだと言われている。

(そうして原作を読んだ私は知っている)

 果たして、聖女は王党派の連中の読み通り黒の領地の討伐戦で現れるのだ。

 ヒーローであるオルダリア公爵が、オーガストの罠によって負った怪我を治す形で。

(オーガストは元宰相派に取り入るべく、黒の領地での公爵暗殺を買って出る。死んだリディアの遺産を使って呪術師を雇い、出現する魔物を強化するのよね)

 だがこれは絶好の「復讐計画」ポイントだ。

 放っておいてもオーガストは断罪される。聖女が公爵の傷を癒してオーガストの悪事が露見し、処刑されるのだ。だがその時点で、リディアは死んでいる。

 リディアが死んでしまっては意味がない。それにオーガストはお金が無いと呪術師を雇えない。リディアが生存し続けると遺産が手に入らず、黒の領地では何も起きず、断罪イベントも立ち消えになる。つまりこのまま逃げ続けてもオーガストの断罪には繋がらないのだ。

 ということは。

(オーガストが黒の領地で暗躍する予定だと、王党派にばらせばいいわけよ)

 これが凪のブルーモーメントに提示する「奴を始末する大義名分」だ。

 幸いオーガストにはリディアを呪った実績があり、それは手紙にはっきりと書かれている。呪術師とのつながりを調べていけば、きっと元宰相派に辿り着くはずだ。というか、辿り着く。

 原作にはオーガストが元宰相派に人気の高名な呪術師と懇意にしていると書かれていたし、それを足掛かりに元宰相派に取り入るつもりなのだ。

(あとはオーガストがブルーモーメントの働きかけで破滅して終わり)

 私は手を汚さずに依頼を完了できるというものだ。

 原作によると黒の領地での討伐戦の後は公爵と聖女のラブロマンスなので、リディアには一切関係がない。よってあとはリディアは好きに生きればいいのだ。

 そろそろ二時間を過ぎて尻が痛くなってきたが、現代日本で時間に追われる生活をしていただけに、のんびりとした気持ちが溢れてくる。

 神殿は静かで、エネルギー資源は魔法石という独自のものなので二酸化炭素の排出はなく、空気は綺麗だ。聞こえてくるのは人の声と子供たちのざわめき。風が木の葉を撫でる葉擦れの音。

 のどかな昼下がりにぼうっとするという贅沢を噛み締めていると、不意に誰かが隣に座る気配を感じ背筋を正した。

「何かお困りごとですか?」

 にこにこと笑う、五十代くらいの神星官に凪はごくりと唾を呑んだ。それから考えに考えた……相手の興味をひきそうな言葉を口にする。

「実は……最近何度も夢を見るのです」

「夢、ですか」

「はい。黒い地平線を目指す羊の群れに、一頭だけ黒い羊が混じっている夢です」

 そっと伺うように神星官を見れば、彼はにこにこ笑ったまま「それは怖いですね」と穏やかな声で答えた。

 もしここで大したことのない依頼か、もしくは本当にただの善良な信者が座っていると判断された場合、神星官は穏やかに諭して引き上げていく。詳しく話を聞くべき……依頼人だと判断された場合。

「その話には何が必要だと思いますか?」

 対価を、聞いてくる。

「……私の瞳と同じ色の宝石が」

 どきどきと脈打つ心臓を隠したまま、すました顔で伝えればすっと神星官が立ち上がった。

「星のご加護があらんことを」

 そのまま立ち去る神星官に凪は唇の端を引きつらせた。

(これは……どっちだ? 受け入れてもらえた? それともちがう?)

 一応、神殿への寄付を行い滞在場所であるホテルの住所は記入しておいた。合格なら連絡が来るはずだ。追加で何かあるかもしれないと、さらに一時間神殿でぼうっとしたのち、凪は暮れ行く空を見上げながらホテルへと戻った。

 それから三日後。凪の元に舞踏会の招待状が届いた。四隅に金の箔押しがされたそれを手に、凪は部屋の中の鏡に映る自分に目を細める。大きく息を吸って、それからゆっくりと吐きだす。

 麦藁色の明るい髪にほっそりとした体つき。ピンク色の唇と大きなエメラルドグリーンの瞳。それはもう、春海凪の姿ではない。

(……今日を境に、凪は捨てる)

 ぐっと力強く彼女は拳を握り締める。今この時から、彼女はリディア・セルティアとして生きる覚悟を固めた。

 今ここに、リディア・セルティアの第二の人生が幕を切って落とされた。

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