夫(予定)に殺されるモブ令嬢に転生しましたが、何故か謎の公爵様に三回目のワルツを申し込まれてます

千石かのん

深夜11時のニュース

 本日、午後八時半頃、××区××町のマンションの一室で女性が刺されたとの通報があり、その後死亡が確認されました。

 殺害されたのは、マンション住人の交際相手、春海凪さん、二十五歳。

 警察は、現場にいたマンション住人の知人女性から任意で事情聴取をしているということです。




「……え? これニュース映像?」

「そうだな」

「……春海凪って……私ですよね?」

「そうだな」

「……死んだってことですか?」

「そういうことになるな」

 断言されて、凪はもう一度よく、今現在目の前に展開している光景を見直した。

 ひんやりと冷たい空気が漂うそこは神殿だった。といっても、きちんとした屋根のあるものではなく、漫画やアニメで見るような白亜の柱が途中で折れ、蔦が巻き付き、天井は半分以上が崩れ落ちて無く、地面に敷き詰められていた石畳はあちこち割れて欠け落ち、雑草が生えている……いわゆる廃墟のような神殿だった。

 その中央、壊れた天井から太陽がさんさんと降り注ぐ場所に、座り心地のよさそうな赤色のソファが置かれていて、先程「ニュース映像だ」と断じた、腰まである真紅の髪に大きな赤い目をした存在が座っている。

 自ら『女神だ』と名乗った彼女の手には水晶玉が光っていて、さながらプロジェクターのように空間に映像を流している。それが「凪が死んだニュース映像」である。

「……それであの……私が死んだのはわかったのですが……ここは一体?」

 女神がいるから天国だろうか。

 首を傾げる凪に、彼女はそっとソファの上に水晶玉を置くとじっと凪の顔を見た。

「お前、彼氏の浮気相手に刺されて死んだんだろ?」

「…………ええ、まあ……はい」

 なんともよくある……嫌な話だ。彼氏の浮気に気付けなかった自分に腹が立つ。更にはその相手がそこそこ可愛がっていた後輩だなんて。

 たまたま寄った彼の家のリビングのソファから全裸の二人が起き上がった時には、頭が真っ白になった。

 何をやりとりしたのかは思い出せないが、らちが明かずに帰ろうとして後輩に刺された。薄い皮膚を破って肉に突き刺さった冷たい感触。それはまだ凪の中に生々しく残っている。

 倒れる寸前、赤い赤い唇が笑みの形に歪むのを見た。

 だが凪は意外と腹が立たなかった。

 そりゃ二人の浮気を見破れなかった自分が不甲斐なく、苛立ちはしたが、死ぬとわかった瞬間、人生こんなもんか、という謎の諦観が湧き上がったのだ。大した人生でもなかったからかもしれないが……あっけないもんだなとどこかが冷めていた。

 それにまず間違いなく、要領だけは良かった後輩ちゃんが豚箱行きになる。それはそれでちょっとザマミロと思ったし。

 うふふ、と薄暗い笑みを浮かべる凪に、ほんのかすかに女神が眉を上げた。それから「ふうむ」と奇妙な唸り声を上げた。

「お前、人助けしたくないか?」

 唐突に何を言い出すのやら。

「人助け……ですか」

 興味ない。

 思わず半眼で彼女を見れば、女神がにっこりと微笑んだ。顔立ちが端正なため、周囲に花が咲くような気になる。

「ここに、恋人から早死にする呪いを掛けられた女がいる」

 ゆらり、と女神が持っていた水晶玉から陽炎が立ち、再びプロジェクターのように映像が映し出された。

 麦藁色の髪に温かな南の海のようなエメラルドグリーンの瞳をした可愛らしい女性だ。

 現代でも日本人でもないことは、着ているドレスや背後に映る景色でわかる。

「この女から私は婚約者への復讐を依頼された」

「え?」

 ぎょっとして女神を見る。

「あなた、復讐の女神なんですか?」

 本のタイトルでしか聞いたことのない単語を言えば、彼女は得意そうに胸を張った。

「正確には運命の女神だ」

 運命。

「別に一人一人の人生を司ってるわけじゃない。ただ運悪くこの世をドロップアウトした人間に、その運の無さをカバーしてやる仕事だ。おかげで見ろ、この神殿を。ぼろいのは神殿の建て直しに神星力しんせいりょくを使わずに、ここに来た連中の運をカバーしてやってるからだ」

「……はあ」

 ちょっと何言ってるかわかんない。けど、凄い力を人のために使っているというのはわかった。

「そこでだ、春海凪。この女、リディア・セルティアの願いを聞き入れて、復讐に手を貸す気があるのなら……そなたをこの女の元へと遣わそうと思う」

「……何かメリットがあるんですか?」

 思わずそう尋ねると。女神は数度瞬きをする。それからにっこりと微笑んだ。

「リディア・セルティアは自分に呪いをかけた相手に命を賭けて復讐すると誓いを立てた。だが自分に掛かっていた呪いを解くのに生命力を使い切り、相手を殺すには至らなかった」

「命まで賭けたのに!?」

 それはあんまりだと、眉間にしわを寄せれば、どうしようもないというように女神が肩をすくめる。

「魔力が足りなかったからな。だが……面白いことに、魔法や神星力と全く関係ない世界に暮らしていたお前には何故か、それを補える魔力がある」

 立ち上がった女神が顔を近寄せ、その赤い瞳で真っ直ぐに凪の黒い瞳を覗き込んだ。

「……不思議だな。そんな不要なものを持っているとは」

「……私、別に霊感とかありませんけど……」

「使い方を知らないんだろう。お前の居た世界の人間にはよくあることだ」

 あっさり告げられて、凪は閉口する。では完全に宝の持ち腐れではないか。そんなどこか不服そうな凪を無視して女神は続ける。

「そこでだ、春海凪。お前をこのまま消滅させるのは勿体ないので、リディア・セルティアの復讐を条件に、彼女として生きてみるのはどうだ?」

「……………………は?」

 思わず低い声が漏れた。だが女神は気にするでもなく、意気揚々と告げる。

「人生これから、っていう時に死んでしまい、夢も希望も打ち砕かれただろう? ここを境に地道に築き上げた春海凪という人格も崩壊するなんて……あんまりだと思わないか?」

「……いえ……特には……」

「そうか! やっぱり生き返りたいか!」

「い、いえ、ですから私は別に無に帰っても──」

「ここに一冊の本がある。リディア・セルティアが生きていた世界のことが書き記された本だ。お前は一度それを読んだことがある。駅の売店で買っただろう?」

 指摘され、凪ははっと息を呑んだ。

 後輩に刺されたあの日の朝、駅構内の売店に売っていた本に興味をひかれたのだ。普段はそんなところから文庫本なんか買わないのに、何故か。

「君はあの日、死ぬ運命だった。その救済措置があの本だ」

 もし手に取らなければ、君は刺された後もここには来られなかった。

「君は気付いた。そうしてここにいる」

 胸を張る女神に、「ちょっと待て」と凪はため口になった。

「それってつまり……引き受けること前提に動いてたってことでしょう!?」

 思わず怒鳴りつける凪に、女神は「だって私は女神だもの」ときょとんとして首をかしげて見せた。

「そんなわけで、春海凪よ」

「まてまてまてまて!」

「復讐をやり遂げたのち、第二の人生を謳歌してきたまえ!」

「ちょ……!?」

 女神が持つ水晶玉が真っ白に光り輝き、凪の視界がホワイトアウトする。上下左右が全くわからなくなる感覚が数十秒続いた後、はっと彼女は目を覚ました。

 覚まして。

「……………………ここ、どこ」

 気付いた彼女が立っていたのは、薄暗い、物が積み上がった屋根裏部屋のような場所であった。

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