天地の涯てに、青き風。

豆渓ありさ

 不老長生、あるいは不老不死というのは、古今東西を問わず、権力を極めた人間の欲望の、最後に行き着くところのひとつのようである。

 たとえば、昔日かつて、はじめて中原を統一して皇帝を名乗った男もまた、不死の妙薬を求めて世に道士を放ち、東海のてにあるという神仙世界を尋ねさせたのだとかいう。

 そして現在いま、ここりょう国――……この国の王もまた、不老不死に取りかれている、と、そういうもっぱらの噂であった。

 王は、若い頃からずっと、それこそ生涯をかけて、各地から不死に関する書物を掻き集めさせてきた。あるいは、宝玉、薬草、霊器、神獣や霊獣、呪法など、わずかでも不死の秘密と関わるものと聞けば、そうした風聞の真偽を確かめる間も惜しむかのように、迷わずそれらに手を伸ばしたという。その必死の様は、いっそ、奇矯、と、そう囁かれるほどだった。

 だが、そうした血のにじむがごとき積年の努力もむなしく、凌王も、いまやついに、誰しも逃れられない死の床に伏している――……そのとき、老王は、病床の枕元にひとりの黒衣の青年を呼びつけた。

 あるいは、青年というよりも、少年から青年へのちょうど過渡期といった具合だろうか。この年頃に特有の、甘く曖昧あいまいかげを頬に宿した彼は、呼ばれるとすぐに、王の枕辺にはべった。

君上くんじょう

 青年は眉根を寄せ、いつもの呼称で王を呼んだ。きつく噛んだくちびるの隙間から息を漏らすときのような声音になった。

 王は、ちら、と、青年を見る。

「――これ、を……」

 枕辺に寄った青年に、ちいさな玉飾りのついた錦袋を手渡す。

 受け取った青年は、すぐさま袋の口を開けて中を確かめた。てのひらに転がり出てきたのは、あか字でしゅつづられたのようなものである。

「持って、いけ……危機には、唱えよ」

 そう言って、王は青年にひとこと、呪言を教えた。

 青年が受け取ったそれは、守護呪符と呼ばれるものだった。決められた呪文を唱えることで、あらかじめそこに籠められてあった呪法が発動する仕掛けになっている。

 青年は、真意を窺うように、夜よりもなお黒い眸で王を見た。これを手ずからたまうからには、これから、随分と危険を伴う任務でも与えられるのだろうか。相手の皺深くなった顔をじっと見詰めていると、ふと、王は彼に向けて手を伸ばした。

「――殺、せ……」

 絞り出すように、しゃがれた声が言う。いまや枯れ枝のごとくになってしまった手指で、王は青年の腕にすがりつくようにした。カッと見開かれた瞳だけが、爛々らんらんと輝いている。

天涯てんがい山主さんしゅを、殺せ……!」

 王はまた言った。闇の深さよりもなお暗い衣をまとった青年は、王の命を受けて、その黒眸こくぼうまたたかせる。

 ややあって、声もなく、ひとつ静かに頷いた。短い黒髪が揺れる。

 彼は王直属の暗部組織に属する者、凌王に仕える諜報員、あるいは刺客と呼ばれるような存在だった。名を、青嵐せいらんという。

「必ずや、天涯山主を殺す、の、だ……!」

 勅命めいれいけた青嵐は、あとはもう、闇夜に雪が降り積むときのごとく静かにきびすを返した。

 天涯てんがいさんに向けて、すぐにも出立しなければならない。老王の弱り切った姿をかんがみるに、復命までに許されている時間は、さほど多くはないように思われた。

 王の命の灯火ともしびが消えるよりさきに使命を果たし、ここへと戻って来なければならなかった。

 そうでなければ、意味がない。

 なぜなら、凌王はなにも、天涯山主をうらんで、その殺害を命じたわけではないだろうからだ。かといって、政治的な意図からでもない――……理由はただひとつ、そこに、王が終生しゅうせいをかけて求めた不老不死につながる秘密が隠されているためであろう。青嵐はそう見立てていた。

 そも、世界は、三界から成っている。

 ひとつに、雲上うんじょうてん。ここは、法力を自在に扱い、時に大地に奇跡をもたらす天神、天仙の棲まう世界であるとされる。

 それから、中原。これが青嵐たち人間の暮らす世界である。中原は、更にいくつかの国に分かれ、時代により、場所により、国同士が争ったり、あるいは互いに結んで和平をなしたりしていた。

 そして、もうひとつの世界を、沙沙ささ下地がちという。ここは、大地に災厄わざわいをもたらす地鬼ちきどもがうごめく世界なのだという。

 人界の北のてには、雲上天と中原の境たる天涯山がそびえている。また、南のてには、沙沙下地と中原とを隔てる地涯ちがいこくが深く大地に口を開けている。これらはそれぞれ、天地開闢かいびゃくの昔から、中原におけるどの国の領土にも属さぬ場所として存在し続けてきた。歴史上、手出し無用の聖域とされていたのである。

 その天涯山、地涯谷の守護を務める者を、代々、天涯てんがい山主さんしゅ地涯ちがい谷主こくしゅと呼称する。

 雲上天も沙沙下地も、中原に生きる人間にとっては、直接足を踏み入れることのゆるされぬ異界である。ゆえに、人が雲上天や沙沙下地に無闇と入り込まぬよう、世界の境界を守るのが彼らの役目だとされている。

 しかし、このうち天涯山主、これは天・人を分ける境を護るというほかに、もうひとつ役割を負う、と、そんな伝説を持つ――……強大な霊力を秘めた龍玉を護る、と。そしてその龍玉は、人に不死をもたらすものだとも言い伝えられていた。

 死の暗い影に迫られ切羽せっぱ詰まった凌国王は、もはや人界のおきてにも構っていられず、なりり構わずに、これに手を出すことにしたということだろうか。あるいは世人よひとは、王のこの行為を、あるまじき天への叛逆はんぎゃくであり、蒙昧もうまい愚挙ぐきょである、と、そうさげすむのかもしれない。

 だが、そんな世の評価は、青嵐の知るところではなかった。命じられたからには、命じられたままに、天涯山主の命を貰い受けるのみである。

 なすべきことは、ただ、それだけ――……青嵐は、王の子飼いの刺客なのだから。

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