黒い糸

四季秋葉

始まりの噂

 今の時刻は、深夜2時。


 静まり返った学校のとある教室で、男女が向かい合っている。


 女は恐怖に彩られた瞳を男に向け、男は憎悪と軽蔑で熱がこもった瞳を女に向ける。そして、その手には包丁が強く握られていた。


 「な……に、するの……?」


 声になっていたのかも分からないが、男はそれに答えた。


 「お前と話す義理なんて無いね……でも、教えてやるよ。俺はな、お前を殺さなくちゃいけない。例え、が傷ついたとしても、俺はお前を殺さないといけないんだ。これは……言わば義務だ」


 ただ淡々と、何の感情もそこにはなかった。コンビニ店員とその客の様な、いや『パペットの様な』といった方が正しいのかもしれない。そんな話し方だった。そして扱い。これでも、2年は付き合っていたのに。


 「や……や、めて、よ……来ないで……」


 じりじりと近付いてくる彼に、つたない足取りで後退あとずさるが、直ぐに壁にぶつかった。


 両腕を頭上で拘束され、彼は低く唸るような声で囁く。


 「最後に、言い残すことは?」


 冷たく、聞いておいてどうでもいいと言う様な話し方に、背筋が凍る。


 何か話したくても口が回らず、頭の中だけで言いたいことが木霊こだました。


 『私は死にたくない!!』


 『助けて!! 誰か!!』


 『怖いよ!! お願い許して!!』


 人というのは、窮地きゅうちに立たされると自分の事しか考えられなくなる。最後の力を振り絞って「愛してる」だの「私を忘れないで」だの、そんな台詞セリフを言うのは、映画やドラマだけだ。現実でこんな事が起こったら、そんな事を言える余裕なんて無い。


 「残念だな」


 が笑った気がした。でも、それは気の所為せいだったのかもしれない。


 「せめて、良い声を聞かせてくれ。これぐらいなら、お前も出来るだろう?」


 恐怖で足の震えが止まらない。涙が止めどなく溢れる。


 「や……やめ……!!」


 包丁が振り下ろされた。


 「あ、ぁ……ああああぁぁぁぁぁ!!!!」


 女が発した叫び声は、誰の耳にも届くことはなかった。


 

 ●



 深夜3時。


 男は硬い床の上で目を覚ました。身体のあちこちが痛い。周りの雰囲気から、学校の教室であることを知った。よくあたりを見渡すと、視界の端に誰かが映った気がしてそっちに目を向ける。


 机の隙間から靴下を履いている片足を見つけた。


 ―他にも自分の様な人が居た。起こしてあげなくては。そして帰ろう。明日学校に着いたら彼女にこの不思議な体験を聞かせてあげよう。


 そう思い立ち、倒れている人の側に近づいた。


 「あのぉ…………は……?」


 周りの惨状に気付き後退る。


 目の前には紅い海。そして、あちこちに散らばる手足。さっき見た足は、解体されたものだったのだ。


 マネキンの様な白い腕は、二本とも折られたのか変な方向に曲がっている。その内、片方は指が全部切り落とされ、あちこちにばら撒かれている。足は腕よりは比較的綺麗なままだった。けれど、腕よりも足よりももっと酷いのは、真ん中に置かれていた胴体だった。最初は手足しか見えなかったが、紅い海の中心に置かれているそれに気づいた時、我慢していた胃液が一気に上がってきた。胴体は四肢が無くなり、首も切り取られていた。ただ、学生なのか制服らしき物を見つけている事しか分からない。見た所、首らしき物は見当たらない。いや、見たくもない。


 ここで一体何が起きたのか、知る由もないが悲惨な光景に後退る。ふとかかとに何かが当たり、それにつまづいて後ろに転んでしまった。


 「痛え……なんだ……?」


 右手に、恐らく転んだ原因だと思われる何かがある。


 何となく、見たくなかった。


 見たら、いけない。


 本能的にそう感じたが、見てしまった。


 それは、首だった。


 窓から差し込む月明かりで、その顔が見えてしまった。


 目をこれでもかという位、かっと見開いて、何かを訴えかけている様な表情。そして、見間違える筈もない知った顔。付き合っている彼女の顔だった。


 「あ……うぁあ……」


 またしても胃液が込み上げてきた。


 彼女がこんな酷い殺され方をして死んでいるのに、不思議と涙は出てこない。


 ふと、自分の服が目に入った。自分の服には、これでもかという程紅に染まっていた。


 一体何故。そう思った瞬間、誰のか分からない記憶の様なものが頭の中に入ってきた。


 それは、彼女を殺した誰かの目線。彼女の怯える顔、悲痛な叫び、殺されていく様。見たくもないのに、その映像は止まらない。そして、聞こえてくる聞き慣れた声。彼女のものではない声。


 『あはははははは! もっと叫んでみろよ』


 これは、自分の声に似ている。いや、そんな訳がない。自分には殺す理由もないし、度胸もない。自分じゃない。そうだ、これは夢なんだ。


 「夢? これは現実さ」


 低い声が耳元で囁かれた。息を呑み後ろを振り返るが誰も居ない。嫌な汗が頬を流れた。


 「これは紛れもない現実。事実さ。彼女が死んだのは、運命ってやつでお前らのせいじゃねぇ。こればっかりは決まっていた事だからな。でも、彼女を殺したのはお前だ。それは変えようもない事実だよ。まぁ、殺したのはお前だと断定は出来ないけどな。お前は、この事実を受け入れなければならないのさ」


 ねっとりとした低音が頭の中に入ってくる。こんな事を認めたくはない。なのに、自分がやってしまった事が事実だと受け入れなくてはならないと思ってきた。


 「あ、う……う、うわぁぁぁぁああああ!!!!」


 今度こそ、涙が溢れた。


 その横で、高らかな笑い声が響いていた。

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