第三十二話 次に名前の出てくるやつが悪党だ
あんなの見た後でも腹減るもんだね。
タフになったな、俺。
厨房に寄ってみたけど、
学生寮みたいに俺の分とっといてくれないんだよ。
ああ、腹減った。
リディアは晩餐会でうまいもん食ってるのかな。
やっぱあっち行っとけばよかった。
夜中にベッドに倒れ込んですきっ腹抱えてるなんて
いつ以来だ?
昔は耐えられたけど、今は全然ムリ。
幻覚見える。
なんだ、あの赤い二つの点……
……赤く光る、二つの……
「うぉあ⁉ なんでお前いるんだよ」
ベッドから飛び降りて壁際まで後退。
真っ暗な部屋の中にしれっとリディアがいやがる。
いつから?
最初から?
「何を言ってるんです?
あなたを待っていたに決まってるでしょう」
「明かり点けろよ、声かけろよ」
「私だけなら暗くても問題ないので。
あとは、そんなに気の緩んだ顔のエリン様、
なかなか見られないのでつい……」
「明かり点けて」
「はい、ただいま」
あ、ちゃんと夜食用意してある。
気が利くなあ。
これで距離感まともならなあ。
「どうだったんだよ、晩餐会」
「最低でしたよ。そちらは夜の散歩にしては
ずいぶん遅くまで外にいらしたようですね?」
給仕するふりしながら圧をかけてくるな。
でもこれ、麦? のお粥?
玉ねぎとミルクの甘味がおいしい。
しかも温かい。
マジ神だな、このメイド。
距離感さえまともなら。
「あの……一人で食べられますから、
晩餐会のお話など、聞かせてもらえませんか?」
「兄さまとエリン様の格段の庇護をねだる豚と
やたらと酒を飲ませようとする下品な豚。
どちらの料理がお好みですか?」
はいわかりました、機嫌が悪い。
「ヨナは? 一緒にいたんだろ?」
「彼は仕事以外では何を言っているのかよくわかりません。
声も小さく、目も合わせず、緊張で赤面しています。
彼は有用な人材ですし、
できるだけ優しくしているつもりなのですが……」
「人材、ね。ヨナは豚じゃない?」
「あなたが言ったんですよ、友好的でありたいと。
ならば私もそうします」
俺が言ったから、か。
リディアが俺の望みを優先してくれて、
それがヨナをアシストしてる。
面映ゆいやら、歯がゆいやら。
「おもだった収穫はなしか。
ま、とりあえず人間たちが友好的でよかったよ」
「気になる話なら聞けましたよ?」
「それを先に言え」
「エリン様のがっかりした顔、
たいへんおいしゅうございました」
「怒った顔にもそう言えるかな?」
余裕、というか満面の笑み。
まったく悪魔ってやつは。
「残念なことに、と言いますか、
どうやら彼らの多くはトーレの国民になることを
望んではいないようですよ」
「残念なこと、だな。理由は?」
「彼らのほとんどは隣領ティルダからの難民なのですが、
近いうちに戻れると考えているようです」
「そりゃみんなそうだろうよ。
だが、現実的に考えて怪物どもの脅威から
解放されるのはいつの日だ?」
「今いる難民の中には故郷を離れた理由が
怪物ではないものたちもいます。
ティルダ領主の継承問題が混乱を大きくしました」
「国王は何してる?」
「ティルダはバシレイアに属していますが、
バシレイアは現在──」
「ネルガルにかかりきり。
エリン様にちょっかいは出したけどな」
「自分を殺そうとした相手と同盟しようと
いうのですから、エリン様も豪胆ですね」
「言ってくれるな。
で、ティルダの継承問題ってのを詳しく教えてくれ。
そういうの、好きなんだ」
「おや、悪魔らしくなられて。
前領主の長男エンリコが健康なら問題はなかったでしょう。
しかし彼は病床に臥せり、余命も長くない。
そこで前領主は遺言でエンリコの死後は
長女のアンナを領主に据えるようにと遺した」
「次に名前の出てくるやつは絶対悪いやつだ」
「権力闘争に善悪の概念を持ち込むほど
幼稚なことはありませんよ。
ですが、次に登場するルイス卿。
あなたの期待通り、簒奪者です」
「たまらん。赤い光の剣とか出せるっぽい?」
「出せないっぽい。前もそんなこと言ってましたが、
あなたの世界では光の剣が権力の象徴なんですか?」
「フォースの象徴だね」
「ルイス卿の話をしますか?
フォースとやらの話がいいですか?」
「ルイス卿で」
「ルイスは前領主のさらに前の領主の血を引く
ボネという娘を自身の長男と結婚させたのち、
ほとんど意識のないエンリコにボネを後継として
指名させました」
「どうせすぐにエンリコは死んじまうんだろ」
「その通り。エンリコは死に、ボネが領主となった。
むろんアンナとその周囲のものたちは黙っていません。
さあ、賢いエリン様、次の役者は誰でしょう?」
「意地悪な聞き方するなあ。ヒントは?」
「本気ですか? 冗談でも失望します」
「待って、そんな目で見ないで。
わかってるって、ネルガルだ」
「無知は闇、装うは罪ですよ」
悪魔に諭された。
教師失格だ。
いや、人間失格か?
「肝に銘じます」
「よろしい。それならネルガル登場後の展開、
あなたから聞かせてもらっても?」
「アンナはネルガルの力を借りて
ルイス一派を打倒。領主の座を取り戻した。
けどティルダはバシレイアに属してる。
つまり、領民はサルワト教の信者だ。
ネルガルの力を借りたアンナは受け入れられない」
「加えるなら、アンナは領民の全てをネルガルの兵として
戦わせることに同意しています」
「そりゃ逃げるわ」
「彼女自身、すでに魂を掌握されているかもしれません」
「笑えねえ。でもそれならなんで、
ティルダに戻れるなんて思ってるんだ?」
「ボネが生きているからですよ。
真偽は確かめようがありませんが、
豚どもには確証があるようでしたね」
「ボネ一人でネルガルに勝てるわけでもあるまいに。
能天気な連中だな」
「能天気なのはあなたですよ」
「突然のディス。
なんで? これはホントにわからん」
冷酷に目を細めるリディア。
採点中……
お茶、淹れ始めたぞ。
俺にも淹れてくれてるけど、自分が先に飲んじゃってるぞ。
でもため息は免れたぞ。
うーん、俺たぶん六十点。
「あなたは自分が戦うという可能性を
全力で排除していますから、仕方ないですね。
彼らはエリン様の力を借りれば勝てると考えていますよ」
アホか。
ぜってーヤダ。
でもそう思うと、胸が痛むんだよな。
国境で離した、あの小さな手を思い出して。
「あの~、それってネルガルの力を借りたアンナと
何が違うんでしょうか?」
「エリン様はゲヘナ出身ではありません。
ギリ、悪魔じゃないと言い張れるのでは?」
「やれやれ、迷惑だが、バシレイアの連中も
そのくらい適当だと助かるんだがな」
「そのくらい適当なら、バシレイアはとっくに
ネルガルの餌です」
「ごもっとも」
俺は大きく伸びをして欠伸もする。
頭も腹も落ち着いた。
ボネが生きているならトーレに亡命させ、
暫定政権を樹立ってところか。
うまくすればバシレイアとの橋渡しになるかもしれない。
そしてネルガルとの火種になるかもしれない。
俺がカップに口を付けたまま頭の中で天秤を揺らしてると、
リディアがいつの間にか背後に回り込んでた。
「さあ、今度はエリン様の番ですよ?」
「な、なにが?」
「夜のお散歩。どこで、何してらしたんです?」
いきなりのバックハグ。
エリン様とのスキンシップに飢えてるのか、
密着率が半端ない。
重ねたスプーンみたい。
「おい、離れろ、そういうのは本物のエリン様のときに……」
「ダーメ。エリン様は最近、おとなしくしてくれないから。
ふふ、柔らかくて温かい。効くわあ」
何に?
いやそうじゃない。
ほんとダメなんだよ。
声が出せなくて顔が赤くなって、目も合わせられない。
てヨナと同じじゃねえか。
鼓動よ静まれ。
「それで、何してたんです? エリン様。
森と……」
リディアが俺の首筋に鼻を付け、そっと上下に動かす。
産毛が逆立つ。
背筋がゾクゾクして、手足から力が抜ける。
なに? リディア、なんて言ってる?
「……こんなに濃厚な、血の匂いをさせて」
鼓動、静まった。
息も止まった。
あ、これ全部バレてるやつだ。
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