第二十六話 いいや、俺はただのメガテニストだ

 このチーズ、やたら黄色いけど何の乳でできてんだ?

 匂いも独特。

 魚の発酵したみたいな匂いがする。


 自分の身体だったらぜったい食わないね。

 でもエリン様の身体だから食べちゃう。


 最初は臭いけど、噛むとほんのり甘味がでてきて、

 あー、こりゃワインに合いそうだわ。


「それで、兄さまとは何の話を?」


 リディアもめちゃくちゃ食うのね。

 兄妹で好きなのね、このチーズ。


 自分の好物、持ってきたんだ。


「今日の国境でのこと。

なあ、ネルガルとの協定ってなんだ?」


「ネルガルの、というより

ゲヘナ・レグルス同士での約束ですね。

簡単に言えば、互いの領分は犯さない、です」


「そもそもそのゲヘナ・レグルスってのがわからん。

なんか魔王的な?」


「魔王」

 リディアが鼻で笑った。

「人間は段階構造が好きですね。

ゲヘナ・レグルスは特定の概念や性質をより強く体現した悪魔。

近似の性質を持つ悪魔を利用はしますが、従えたりしません。

……しませんでした、地上で受肉するまではね」


「お前らって地上に出るまで身体なかったの?」


「そもそもゲヘナでは肉体を維持できません。

ゲヘナにいたときから肉体を持っていたのはおそらく

ゲヘナ・レグルスに数えられる

『永劫のマダ』

『呪われし肉体 アモン』

の二人だけでしょう」


「お、聞いた名前が出てきた。当ててやる、

ゲヘナ・レグルスは全部で七人だ」


「なぜそう思うのです?」


「七つの大罪。罪の意識こそ悪魔の源流だろ?」


「なるほど、原罪論はそちらの世界にもあるのですね」


「大人気だ。

自分たちを勝手に罪深いと思ってくれるんだから、

悪魔にとっちゃ都合のいい連中だよな」


「ふふ、確かに。

あなたはときに衒学的な物言いをしますね。

神学の知識もあるようですし、そちらの世界では

神を疑う神学者といったところなのでは?」


「いいや、ただのメガテニストだ」


「メガテニスト……剣呑な響きです」


「実際、ヤバい連中だ。

悪魔を使役して戦えると本気で信じてる」


「私や兄さまを使役できると?」


「俺はそこまでのファンダメンタリストじゃない。

それよりどうなんだ? 七人いるんだろ?」


「残念、五人です。先の二人に加え、

『死霊の王 ネルガル』

『争乱の女主人 アエシェマ』

この二人の勢力が地上では最も大きい」


「最後はエリン様か。二つ名、なんてーの?」


「エリン様は違いますよ。

もともと地上にいたんです。悪魔でもありません」


「え? でもゲヘナ・レグルス同士で協定を

結んでるってことは、トーレにもいるんだよね」


「はい、います」


「えー、誰よ? 俺、知ってる人?」


「わざと言ってません?」


「うん、まあ思い当たるのは一人いるよ。

でも、あれがぁ? まさかなー」


「いえ、それです、それであってます」


「マジかー、ゲヘナ・レグルス、ちょっとかっこいいって

思い始めたとこだったんだけどなー」


「兄さまはかっこいいですよ!」


「答え言っちゃったじゃん」


「あなたがさっさと言わないから。

そうですよ、最後の一人は兄さまです。

『契約を司るもの クロム』

恐れおののけ、悪魔は人と契約するとき、

必ず兄さまを通さないと契約できないのです」


「そりゃ確かにすごいな。

悪魔って契約で力を発揮するもんだろ?

じゃあ、クロムがいなかったら

他のレグルスも何もできないんじゃないか?」


「いえ、それがみんな地上で肉体を持って

人と直接接触できるようになったものだから、

兄さまを通さなくてもよくなっちゃった……」


「あらら、そりゃガッカリだ。最高レアなのに産廃だ」

 俺はうつむくリディアの肩をそっと叩く。

「ドンマイ」


「でも、悪魔にもいろいろいるし、契約こそが本分だと

考える悪魔は兄さまの眷属としてついてきてくれたし、

力じゃなく存在感、カリスマ? で上に立ってるんだから

兄さまこそが王。そう、魔王って兄さまのことよね?」


 なんか勝手に擁護し始めた。

 やっぱクロムのこと大好きなんじゃ……


「なんとなくだけどわかってきたよ。

この世界じゃイカれた天使やら怪物やらが暴れまわって

悪魔たちが支配力を強めてる。

人の勢力ってどのくらい残ってんの?」


「一番、大きな勢力はネルガルに恭順した国々で作る

連合国でしょうね。霊合国とでも言いますか?

ふふ、失礼。次にバシレイアを中心としたレイナン・ルチア。

サルワト教の最大勢力ですね。覚えてますか?」


「ピアースだろ。書簡が来たって聞いたよ」


「内容は期待しないほうがいいですよ。

他には北方で獣人と人間が暮らすミルダルス。

エルフや灰毛短躰のグレイブンに保護された人々。

勢力とは呼べませんが、あの忌々いウイザードども。

あとは南方諸国で、私はよく知りません」


 リディアの顔つきが険しくなってたから言えないけど、

 後半の連中が魅力的すぎる。


 自キャラの種族にはそっち選んじゃうな、俺。


「明日明後日に人類絶滅とかじゃなくて安心した。

そういやアモンのことなんだけどな、俺の世界で──」


 リディアが鼻の前で指を立てる。

 何事かと思ったら、ノックノック。


 クロムが戻ってきたみたいだ。


「エリン様、書簡をお持ちしました」


「ああ、入ってくれ。すぐ読みたい」


 リディアが俺に向かって口だけ動かしている。


 読めるんですか?


 読めませんね。

 そういや俺、こっちの字、まだ読めないや。


「何やら楽しげに話しておいででしたな。

最近はリディアとそんなふうに話すのも減っていたので、

安心しましたよ」


「エリン様、ちょうどいい、兄さまにネルガルの勢力について

聞いてはどうです? 私よりずっと詳しい」


 書簡の入った綺麗な小箱はリディアが受け取ってくれる。

 ナイスアシスト。

 すぐに読まなくて済む。


「そうなんだ、ちょっと気になってね。

ネルガルが人間の勢力で一番大きいってどういうこと?」


「はは、そんなことですか。ちゃんと勉強しないと

ストラたちに笑われますよ」


「勉強はわりと好きだよ」

 なんなら教えるのもね。


「……いま、なんと?」


 驚愕しているクロムの横でリディアが咳払い。


 あれ? エリン様って勉強嫌い?

 なんか見た目は勉強できるっぽい子だよ?


「最近は、いろいろなものに興味をお持ちになられてますよ。

最近は、ね?」


「ああ、世界が開けたみたいにな」


「それは頼もしい。外交と口にされたのも、

ただの思い付きではなかったということですか。

ネルガルのことでよろしいですか?」


「ああ、頼む」


「ふむ。まず、ネルガルの力ですが、私の知る限りでは

死者の魂の掌握です。そしてその肉体を意のままに操る。

受肉したネルガルは自分で死体を作れますので、

いかようにも手勢を増やせます」


「ネクロだ! ぜったいかっこいいやつだ」


 リディアがこっそり俺を蹴ってる。

 あんまりヘンなこと言うなって?


 そんなにヘンか?

 ファンタジーのネクロってロックスターみたいなもんだぞ。


「でもさ、それってヤバすぎない?

ネルガルはこうしてる間にもどんどん死者を増やしてる。

そんなのずっとやってんなら、地上は死者だらけだ」


「ところが地上には魂を狩り集める神『アスター』がいます。

当然ですがネルガルを嫌っており、あまりやりすぎると

アスターが直接介入してくる口実を与えてしまう」


「サーバー負荷かけすぎてBANされる感じか……」


 痛い痛い。わかったから蹴るな。


「しかしやつはずる賢い。

いま地上にはゲヘナの怪物どもが溢れています。

ゲヘナの怪物に殺された魂はゲヘナに向かう。

つまりアスターの管理下には置かれないのです」


「わかったぞ?

それで人間たちを集めて怪物と戦わせるってわけだ。

ゲヘナの怪物とは戦わなきゃならないんだ。

ネルガルの思惑がどうあれ、共闘せざるをえない」


「さすがです、エリン様。

加えて言うなら、ネルガルは悪魔になる前は人間の王。

英雄王と称されていました。

そのネルガルが怪物の蔓延る世に蘇って戦うのです。

救済と錯覚する人間がいてもおかしくはない」


「まんまイモキンじゃねえか。

たった今からネルガルのやつらをイモキン連合と呼称する」


「はあ、エリン様がそうおっしゃるなら」


「聞かなくていいですよ、兄さま。

なんか悪ノリしちゃってるだけです」


「ははは、悪い悪い、冗談だ。

確かバシレイアはネルガルと敵対してるんだよな?」


「ネルガルは生前、サルワト教を弾圧しましたし、

何よりネルガルの力は教義に真っ向から反します」


「正面からやりあってる?」


「いや、専守防衛です。

ネルガルが怪物と戦う最大勢力であることは事実。

そこは静観といったところでしょうか」


「呑気なもんだ」


「教会の連中が能天気なのは伝統ですよ。

ネルガルが怪物どもを駆逐したのち、人間たちで協力して

ネルガルを討ち果たせばいい、と考えていそうです」


「そのころにはネルガルの操る死者はどのくらいだよ?」


「見当もつきません。人類の半分くらい?」


「うえ……その数のアンデッドとやりあうの?

ノーマン・リーダス召喚しよ……

いって、あ、なんでもない。

とりあえずわかったよ、ありがとう。

なんでネルガルと戦っちゃいけないのか。

いま戦えば、多くの人間たちも敵に回す」


「そういうことです。

エリン様はお強い。ネルガルにも負けはしない。

ですがあの軍勢からトーレの全てを守るのは……」


 クロムがゆっくりと首を振る。

 不可能とは言いたくないんだろう。


 俺も不可能とは思わない。

 イーライ・デウと戦ったあの感じなら、

 どんな大軍勢でも一掃できそうだ。


 でもそれは、多くの人の命を奪うということだ。

 天使と戦ったあの日よりはるかに多くの命を。


「エリン様? お顔の色が優れませんね。

休憩なさいますか?」


 まだそんなに顔に出るのか。


 リディアに背中をさすられて、

 初めて自分の中に吐き気を自覚した。


「これは、調子に乗って喋りすぎました。

こんなにエリン様とお話しできるのも久しぶりで、

だいぶ興奮してしまったようです。お許しを」


「いや、いい。おかげでいいこと思いついた」


「いいこと?」


 恐れているばかりでは、今日のモリーのように

 必ず誰かが傷つく。

 戦わないというのは何もしないのとは違うぞ。


 恐怖を飲み込み、知恵を吐き出せ。


「エリン様?」


「ああ、ちょっとした宗教運動を始めようかなって」


 まずは第一ステップだ。

 敵に敵を作れ。


 どう? お前ら聞きたい?

 久々の先生モード、いっちゃう?


 あれ? こいつら目をキラキラさせて

 これ、俺の顔しか見てないな。

 俺の話に感銘を……受けて……ないなあ。


「あの、エリン様、今のわっるいお顔、

もう一回いいですか?

ね、もう一回だけ、おかわり」


「いや、どんな顔してたかわからんし」


「ああ……」


「エリン様の邪悪な笑み……邪悪な……

そんな顔をして何をなさるので?

なにをしてくださるので?」


「お前には何もしないよ?」


「ああ……」


 二人ともうずくまっちゃった。

 こいつら、話に飽きてたな。


 まあいいか、すぐに何かできるわけじゃない。


 それに俺が何から誰を守るのか、

 そのために誰が犠牲になるのか。


 よく考える時間が必要だ。

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