第十八話 この展開だとそろそろサイレン聞こえてくるぞ

 俺は病院で検査。

 白石は体調不良。

 ということにして学校を休んだ。


 あんな事件の後で二人揃って休むと

 またあらぬ疑念をもたれるかもしれない。


 でも、盗撮やフェアウエルのことが騒ぎになる前に

 金森の家には行っておきたい。


 ただでさえ子供を失ったばかりだ。

 そのうえ怪しげな噂にまで苛まれたら、

 絶対に会ってなどくれないだろう。


「お前、本当に家族と面識があるんだろうな?」


「ある、よ?」


「なんで疑問形……」


「中二のときに一回来て、そんときにちらっとお母さん見た」


「それは面識とは言わん」


 不安になってきた。


 よく考えたら俺、学校に嘘言って休んで

 事故で亡くなった生徒の家に来てる。


 学校側に苦情がいったら相当ヤバい。


「あ、ほら、車来たよ、避けて」


 住宅街で道幅が狭い。

 白石と並んで壁に寄ると

 車は俺たちの前を通り過ぎずに車庫に入っていく。


 ああ、帰ってきちゃった。

 もう逃げられない。


「連絡もなく来てしまい、申し訳ありません。

私、鳴神山高校に勤めている瀬名浩一と申します」


「白石沙里です。

中学生のときに金森さんと同じクラスでした」


 車から降りてきたのはたぶん金森の母親だろう。


 事故があってから家に戻ったのは初めてなのかもしれない。

 顔色は悪く、肌や髪がどこか色あせた感じがする。


 やはり来るタイミングを間違ったか。

 まともに話せる状態には見えないぞ。


「あの、学校の方とは午後から話すと主人が……」


「いえ、今日は学校とは別に、個人としてお伺いしました。

どうしても金森美和さんのことでお話したいことがあります」


 母親は見えているのか見えていないのか

 よくわからない目で俺たちを見る。


 憔悴してる。頭なんか働いてない。


「あの……今はまだ美和についてお話する気には、なれなくて」


 母親は言い終わる前から背を向けて玄関に向かっている。


 白石が呼び止めようとするのを俺は止めた。

 黙って首を振る俺に、白石は容赦なく怒りの目を向ける。


 彼女の不安や恐怖を、俺が共有できていない怒りだ。


「待って、白石さん……て言いました?」


 玄関の前で母親が首だけ回して俺たちを振り向く。


 まるで今にも首がちぎれそうで、

 それを落ちないようにバランスを取るみたいに。


「はい、白石です」


「この間、事件に巻き込まれた?」


「そうです。

こっちがそのとき助けてくれた先生です」


 母親の目にもある種の怒りがあったと思う。


 でもそれは俺や白石にというよりも、自分に向けての怒りで、

 後悔に近いもので。


「どうぞ、入って。

こんなところでするお話じゃ、ないんでしょう?」


 母親は玄関を開け放して家に入っていった。


 なんだかその玄関がやけに暗くて、怖い。

 入ったら二度と出られないみたいな。


「ほら、先生、いいって。行こ?」


「お前が先に行けよ」


 白石が後ろからぐいぐい押してくる。

 やっぱ白石も怖いのね。


 母親は俺たちを案内するでもなく、

 俺たちは物音のするダイニングキッチンに向かった。


 なんで明かり点けないの?

 なんでダイニングのカーテン、閉めたままなの?


 四人掛けのテーブルにペットボトルのお茶がドン。


「買い物に行けてないから何もなくて。

どうぞ、おかけになって」


 俺が座ると白石は椅子を寄せて俺の腕に肩をくっつけてくる。

 雷が鳴ってるときの犬か?


「改めて、このようなときに突然お邪魔して申し訳ございません。

美和さんのことは心より──」


「同じ制服」

 母親が座った白石を見て微笑む。

「そこに座ってると美和が帰ってきたみたい」


「ご、ごめんなさい。違うとこ行きます」


「いいのよ、そこにいて? そのほうがうれしい」


 白石が俺の手ぎゅって握ってくる。

 保護者の前でそういうのマズいけど、気持ちはわかるよ。


 この人なんかヤバい。


「それで、その、美和さんのことなんですが、

最近ふさぎ込んでいるように見えたと伺っています。

その理由について何か思い当たることはありませんか?」


 母親は白石を見つめていて、俺の声が聞こえているか怪しい。

 でもうなずいたりはするんだよね。


 白石と話してるつもり、なのかな?


「白石さんは、怒ってる? 美和のこと」


「え、なんで……ですか?」


「あの子、気にしてたから。

自分の紹介したアプリのせいで襲われたって」


「ない。ないない、それはないよ。

あれは私がバカだっただけだし、それきっかけでせんせ……

いい人に出会えたし」


 よく踏みとどまった白石。

 でもそれほとんど俺だって言ってるようなもんだ。


「そう、よかった。

あの子もね、福士君と付き合うようになってから

だいぶ落ち着いたのよ。

福士君は本当に美和のことを大事にしてくれた」


「あの、失礼ですが、それは盗撮のことと関係が?」


「ご存じなんですね、盗撮のこと。

あの子が噂になるのを嫌がってたから

学校には言わなかったんですけど」


「すみません。少し調べさせていただきました」


 母親は軽くため息をつき、天井を、というよりは天井の向こう、

 二階にある何かに目を向ける。


「盗撮……盗撮ねえ」


 白石が青ざめてきてる。


 だって天井を見た以外には

 まったく白石から目を逸らさないんだもの。


「見てもらったほうが早いかしら。

私も、うまく説明できる自信がないの」


 母親は立ち上がると一人でさっさと二階に上がってしまう。


 申し訳ないけど……

 いなくなるだけで呼吸が楽になった気がする。


「ねえ先生、なんで来ようなんて思ったの?」


「お前が行きたいって言ったからな」


「それは言わないでよ。

あんなにガン見してくるとかわけわからん。

私がカナに何かしたって思ってる?」


「かもな。ほら、さっさと行け」


「え~、やっぱ見に行くの?

もう黙って帰らん?」


 俺は黙って白石を二階に追い立てる。


 昼寝を邪魔された猫みたいに文句たらたらで上がっていくが、

 母親が待ってる部屋のドアを見た途端、俺も後悔した。


 自宅の部屋にごっつい鍵、三つもつける?


 しかもこれあれだ、

 ドアが開いたらわかるようにセンサーついてる。


「ものものしいでしょ?

これ全部、あの子と福士君で付けたの。

あ、先生、ちょうどいいところに。一番上の鍵、固くて。

開けてもらっても?」


 お母さん、いい笑顔。

 共同制作の美術課題とかですか?


 白石に任せようとしたら必死に首振られた。


 じゃ、開けるよ? 開けちゃうぞ。


 やべ、唾飲み込んじゃった。

 鼻で笑うなよ、白石。


 映画とかでさ、どう見てもヤバいのになんで逃げねえの?

 て思うときあるよな。

 このときがそう。


 見てるだけじゃわかんないんだよ。

 その場にいてもわかんねえんだから。


 部屋を見ても声も出せない。

 絶句ってやつだ。


 俺も、たぶん白石も、股の間に汗かいて立ち尽くしてた。


 真っ暗。

 ていうか真っ黒。


 壁から天井まで黒く塗られて、窓にはフィルムが貼ってある。

 家具は一切なし。

 ドアが開いたことを知らせる甲高い音がずっと鳴ってる。


 おい、この展開、そろそろサイレン聞こえてくるぞ。


「いつごろからだったかしら。

あの子が、誰かに見られてる気がするって言いだしたの。

受験のストレスだろうってお父さんは言ってたし、私もそう思った。

実際、福士君と二人で過ごすようになってからは落ち着いてた」


 母親は部屋に入って、

 そこにかつてあったものが見えているみたいに、

 部屋の真ん中で見まわしてた。


「でもね、あの子が深夜にすごい悲鳴をあげたの。

急いで来てみたら、あの子はベッドの上で泣いてた。

部屋に誰かいた、ベッドに上がってきたって。

それ以来ね、隙間から覗かれてるって言いだして、

家具も捨てて壁を黒く塗り始めたの」


 白石が廊下の壁に背を付け、座り込んだ。

 同じ視線、同じ恐怖の記憶が黒い部屋で混ざり合う。


「盗撮のこともあって、

そのショックで悪化したって病院では言われたけど、

だから何? 私たちはどうすればよかったの?

最近は福士君が一緒じゃないと眠ることもできなかったのに」


 ずっと笑ってる。

 母親は、別人の皮膚を被ってるみたいに笑ってる。


「先生、私、ほっとしちゃったんですよ。

あの子が死んだって聞いて、ようやく部屋を明るくできるって、

思っちゃったんですよ」


 もっと早くそうすべきだった。

 俺は白石を立たせると抱えるようにして階段を下りた。


 白石は震えてて、軽くて、抱き上げて走れそうだった。


 母親をあの状態で放っておくのは罪悪感があったけど、

 それよりも白石をあの家から、

 あの部屋から少しでも遠ざけたかった。


 ずっとあの、甲高いセンサー音が耳の奥で鳴り続けてる。

 あの部屋の黒が追いかけてくる。


 見知らぬ住宅街をあてもなく歩きまわって、

 どこかへ向かってるみたいなふりをして、

 そのうち白石が俺の胸に額をつけて泣き始めちまったら、


 何が起こってんだクソがって、


 悪態つくこともできやしない。

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