第18話  ジョージとの出会い

 俺は家出をしてから、いろいろなことを知った。家出をしたキッズの中には、それこそ身1つで家を出て来た者もいる。スマホさえ持っていない。スマホなしでは生活が不便だと思うが、そいつ等は何とかスマホなしで済ませた。俺が一番驚いたのは、自分のキャッシュカードすら持っていないキッズが居たことだ。そういうキッズは家に居たときには親がキャッシュカードを預かり、暗証番号すら教えてくれない。高校生のバイト代を生活の頼りにしている程の貧乏な家庭の少年少女が、何か揉め事や気に入らない事があって、家出をしてQ界隈のキッズになる。

 口座開設やスマホの契約は、保護者の許可なくできる方法がある。そういう時、いろいろアドバイスをしてくれるのが、「カシラ」と仇名されている、本人はジョージと名乗っているキッズが詳しい。俺がQ界隈では「はじめ」と名乗っているようにカシラの名前の「ジョージ」も本名ではないだろう。

 ジョージによれば家出少年少女が外出をしてはいけない時間は朝10時から夕方4時までだという。その時間は俺の睡眠時間だ。

ジョージはその時間帯は、家出少年少女は銀行のATMにも近づいてならないと言った。「なりすまし詐欺」の受け子だと警察は判断するからだ。実際、ネットニュースで、昼間のATMの前で挙動不審な高校生を見つけ、成りすまし詐欺の受け子だと分かり補導されたと報道していた。


 ジョージの言葉遣いや知識の深さから、ジョージは貧困家庭出身でも底辺高校の生徒でもないことが分かる。

 ある時、ジョージの方が

「お前、地頭良さげだなぁ」

と言った。山手線ゲームなどで俺は躓くことなく答えを述べるので、そう感じたのだと言う。俺は旅行用カートの底の、自分の出身高校の制服を見せた。

「なかなかいい偏差値の学校じゃねえか?」

 ジョージは言った。Q界隈では自分の家の身の上話をあまりしないのが、掟やマナーになっていたが、このときジョージは、自分は「教育虐待」の被害者だと言った。

ジョージの通っていた学校は県内では有名な中高一貫男子校だ。小学校2年の頃から有名中高一貫校を目指して勉強をしていた。特に中学入試の頃は胃が痛くなるほど、勉強に継ぐ勉強の日々だった。入学した学校は校則が緩く学ランの制服着用以外は、自由な校風らしい。

 中学校に入学すれば、学校の予習復習だけでいいだろうとジョージは思っていたが、現実はそうではなかった。

「鉄緑会って、知っているかい? 東京や大阪にある塾で中高一貫校の生徒しか入塾できないんだ。おれはその鉄緑会のノウハウを持った学習塾に入れられたんだ。塾では宿題が多く、学校の授業中に教師の目を盗んで塾の宿題をしたさ。おれには正月も連休も夏休みもなく、ひたすら勉強をさせられてた。おれは小学校2年を最後に、クリスマスも正月もお祝いをしていないんだ。皆が勉強をサボっているときにこそ、勉強しろってね」

 俺は黙ってジョージの話を聞いていた。上流階級らしいジョージの実家と比べ俺の家は、あまり豊かではない。親父が365日24時間のデリヘルの仕事をしていて、クリスマスも正月もなかった。俺は正月の朝はいつもと同じチーズ付きのパンの耳と茹で卵で朝飯を喰っていた。親父は正月でも「いつもと同じ」ものを喰わないと仕事モードにならないと言っていた。

「私立の学校へ通うなんて、家にはカネがあるんだなぁ」

 俺は思わず呟いた。Q界隈のキッズ達は家庭が経済的に貧しく、正月やクリスマスの特別な食べ物を喰ってお祝いをする余裕がない家庭の出身者が多い。クリスマスも親も高校生の子どもも、繁忙期で仕事が忙しい。正月は臨時のバイトを親も子も従事するような家庭だ。

「実家はカネがあっても精神は貧しいよ」

ジョージは言う。

 ジョージの家庭は幼児の頃は、家族で旅行をする習慣があった。もちろんクリスマスや正月を祝った。年に何回かはお洒落をして一張羅のよそ行き着を着て、家族揃ってクラシック音楽の演奏会や美術館へ行った。

 だが小学校3年辺りから、家族の団欒からジョージは弾かれた。2つ年下の妹も、上級校を目指して同じように小学校3年生頃から、やはり勉強一色の生活に変わった。子ども達が勉強している間、親達は自分の書斎に閉じ籠って、子ども達の勉強の邪魔をしないようにしていた。

「でもおれは、そういう生活に疑問を持ったんだ。親はおれを東大に入れたがっていて、将来は国家官僚になれって言うけど、おれみたいに何の世間も知らない者が国家を背負えるだろうか? そう思い、おれは家出をした。おれの家族はおれの行方を探すのに探偵を雇っているんだ。だからおれは、バイト先を点々としている。……おれは18歳の誕生日を迎えるまで、家に帰らないと宣言している」

 18歳になるまでの家出なんて俺と同じだなと俺は想った。

 ジョージは続けて言った。

「Q界隈のキッズになれる奴らは幸運な方だ。容姿だってQ界隈の奴はキレいなのが多い。……知っているかい? 偏差値底辺校の生徒には、極端なデブと極端なチビが結構居るんだ。そういう奴らは食生活がかなり乱れていたり、親から愛情を貰えない子が多い。デブやチビは、工場とか工事現場に雇って貰えないんだ。もちろん接客業もね」

 底辺校出身者は、たいていは単純労働に従事する。しかし底辺高校では単に学力が低いだけでなく、基本的な生活習慣が身についていなかったり、心理面でも家庭環境の複雑さからいろいろな問題を抱えていたりする。そういう若者が単純労働に従事すると、この国の産業競争力が低下する。

今や底辺高校の生徒の問題は、将来の日本を左右しかねない重大な問題だとジョージは続けた。

「だけど低学力児問題は、この国の教育政策の中では、問題視されていない。おれは真剣にこの国の将来を憂えるよ。教育行政は、やれ英語の授業は英語で全て行なえだの、ⅰPadを教育現場に使えだの、普通の子どもでも難しいことを注文する。まるで低学力児なんて存在しないように」

 ジョージの話は俺にもよく分かった。スマホのネットニュースには「ギフテッド」の子どもの教育についてどうすべきか問題視しているが、本当に小学校で落ちこぼれ、高校生になっても九九が完全に言えない生徒のことはまるで無視している。

「おれは18歳になって家に帰れば、ここで体験したことを無駄にはしない。将来は国家官僚になって、貧困家庭の低学力児問題や外国にルーツを持つ生徒のための教育について政策提言できるようになりたいんだ」

Q界隈にはブラジル人労働者の子弟もいる。俺達日本人の若者とは没交渉だが。ジョージによれは、ブラジル人の子ども達は、日本語の読み書きが出来ず、もう1つの母国語であるポルトガル語も不自由だという。ジョージはそういうブラジル人の子弟のことを憂いでいた。言葉は思考の乗り物、もし日本語もポルトガル語も不充分ならば、あの子達は抽象語を使った、複雑な思考や理解が出来なくなる。

「そう言えば、底辺高校には50以上の数の計算が出来ない生徒も居るらしいね」

「そうだよ。学習障害に知的障碍のグレーゾーンの生徒も居る。また貧困のため勉強する習慣が身についていない生徒もいる。Q界隈のキッズの中にもグレーゾーンは居ると思うよ」

 俺とジョージの間にはしばらくの間、沈黙の時間が走った。

「まあ、おれもいつもそういう低学力児のことで悩んでいるわけじゃないさ。はじめ君がQ界隈に来る少し前は、緑地公園で夜通し虫の声を楽しんだんだ。秋の始めのイチジクとか梨とか葡萄のような果物をたべながらね。緑地公園には梅雨時は蛍もいるんだ」

「へえ、風流だね。コウロギとか鈴虫は真夜中まで鳴いているのか!」

 俺は驚きを持ってジョージにそう言った。

ジョージは言葉を続けた。

「これから冬になると、NPOなのかそれとも裏社会の半グレが絡んでいるのか分からないが、七輪や一斗缶ストーブの貸し出しをやってくれるんだって。……そしてR街にある定時制・単位制・総合学科の公立高校が入学や編入のためのテントを張るんだ。Q界隈のキッズは高校を不登校しているか中退しているか、そんな子どもばかりだけれど、高卒の資格は大人になると必要だ。だから真夜中にキッズのための入学編入学の手続きをしてくれるんだ」

 Q界隈のキッズの中には18歳になるとキッズを卒業し、キャバクラやホストクラブに勤める者が出て来る。18歳を過ぎれば保護者の同意なしに安宿にも深夜に泊まることが出来るし、マンスリー契約で安く入居することも可能となる。生活に余裕の出来た元キッズは18歳を過ぎてから、定時制高校に編入学をする。そのためR街にある高校は、20歳前後の生徒が多いみたいだ。

 俺達は永遠にQ界隈のキッズで居る訳ではない。いつまでも真夜中の四ツ辻や三叉路でゲームや踊りや飲み会を楽しむ訳には行かないのだ。


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